2017年 10月 29日
赤松小三郎を知ってるかい?
講演会が終わり、少し落ち着いたので、岩上安身iwjの動画を見てみた。
戦争特集とあって開いてみたら、拓殖大学の関良基氏のインタビューがあった。
以前から気になっていたのだが、忙しくて動画を見れなかった。
腰を入れて見始めた。
『長州レジューム』の言葉に目が止まった。
そうそう!そうなんよ。戦後レジュームじゃなく、明治から日本はおかしくなっていたんだよね。
そこをちゃんと紐解いてくださる人がいる事に安堵した。
関氏の言葉に納得がいったのは、彼は環境問題の専門家であって、歴史の専門家ではないこと、だいたい歴史学会とか、経済学会とか学会に所属している専門家は、上下のヒエラルキーが出来上がっていて、おかしいと思っても、上に歯向かう事はできにくく、長い者に撒かれるというのか、本心を言えない空気があるのか専門を突き詰めていけば、後戻りできない所まで来てしまっているのが現状だと言う。
特に経済は経済学者の中でグローバル化を提唱する動きが多感で、自由貿易が!という人たちが多数いる。そこに「違う!」と言えぬ空気がある。
また歴史学に関しても、今まで明治が文明開化した時代や、西郷隆盛、伊藤博文、大久保利通、桂小五郎などなどあの人たちありきの明治維新善!の歴史を「おかしい」とは到底言えず、今まで通りの歴史認識が前提に、歴史は繰り広げられていく。そこに違うだろうとは学会の中からは生まれないのであるという。
その言葉に私は大変共感した。
医療において、私はいろいろ見てきたが、私が習った医療はどんどん病気を生むシステムになっている。さらにそのまっただ中にいる人は学会に所属しているが、何をいっても到底聞く耳を持たない。学会の中の自分の存在が大事で、外野の言う事は専門外だと、無知な一般人の遠吠えとなって切り捨てられる。
しかし、医療ほど恐ろしいものはなく、人々の寿命をどんどん削っている医療システムが成り立っているとどうしたって思える。賢い医者を探しても、本当が本当に出てこない。おかしいだろう!?っと思っていた。
関氏のこの発言はもっともだと思った。
また、関氏の水利権、ダム問題の動画には、ことごとく、利権構造が浮き彫りにされてる。
どうして今麻生が水道の民営化を言い出したか、、、これは同じく、関氏の著書『自由貿易神話解体新書』に記していて、日本の問題になっているTPPに多いに関係している。
種子法を触って、水道の民営化は、人々の命を左右するものをグローバル企業に明け渡した政策であり、この大事な命を守る為の垣根を壊し、格差を作り、人が普通に生きる事さえ奪う。この基本的人権を無視した国家体制を着々と自民党は作っている。
ダムはこの国の土建と多いに関係し、文部技官の前川氏の天下り問題に似た事が、あらゆる省庁で繰り返し行われているという事実である。さらにこの天下り場所を作るにあたり、ダム建設は、あえて地盤の緩い場所に作られているようで、あえて繰り返し補修事業が行われる事が天下る人々の懐を肥やす。
これは建設省と土建の癒着である。
医療においても十分に説明はできる。731部隊の軍医はA級戦犯にも裁かれず、薬害エイズや、原爆、あらゆる公害問題において活躍している。さらにキリスト系の病院、日本赤十字社関係、血液製剤の会社等へ天下っている。
日本経済がどんどん空洞化し、外資にやられている経過は、日本の経済が日本人の為に経済をまわしているのではなく、一握りの人が上記のように私腹を肥やしている構図があるからだ。
この事は、岩上安身iwjの関氏のインタビュー記事を見ればよくわかるので、是非しっかりと見てほしい。
さて、この日本の構造がどうしてこうもひどいのか?
これはひとえに脈々と権力構造が続いていたにほかならないのである。
そこに登場するのが歴史上から葬られた赤松小三郎である。
赤松小三郎は幕末に生きた下級武士であり、明治維新後の日本を支えた人物だという事。
さらに赤松は立憲主義の礎を150年以上前に説いていた人物であったという事。五日市憲法よりももっと民主的な思想であったそうだ。ちなみに大日本帝国憲法は憲法と言えず、単に上から与えた法である。憲法とは権力を監視するものをいう。
関氏は、歴史学者以外の自由な立場から、さらに赤松と同郷の立場から彼を紐解きこの世に明かしたひとりである。
赤松小三郎が日本史に登場しないのは、1868年9月3日、京都で薩摩藩に暗殺されたのだと言う。暗殺に関わったのが、来年大河ドラマになる「西郷隆盛」と大久保利通と、中村半次郎だったそうだ。そうなると、薩摩ってなんだ?江戸の無血開城ってなんだ?
さらに、関氏は経済学の域からも歴史を紐解き、民衆の帳簿に1858年に調印した不平等条約である日米修好通商条約の前に江戸幕府(本当は幕府ではなく、公儀だという)は、生糸を他国に輸出し、関税20%で貿易をしていたという事実を伝えた。ではなぜ不平等条約になってしまったかというと、その頃単独で長州がイギリスに戦争をふっかけて簡単に負けた。このふっかけの責任追及の為に江戸幕府にイギリスは、責任を追求し、関税20%は大幅に下げられ、さらに莫大な賠償金をとられてしまった。それだけでなく、イギリスは、長州を掴み、長州を利用し、グラバーから武器を長州に垂れ流し、この地から、日本を内から溶かしてしまった。ここに関わったのが、坂本龍馬であり、薩摩藩である。
明治維新は、クーデターである。ISが、アメリカに買われた人たちであるように、150年前に、長州の下級武士たちは、イギリスに買われた人たちであった。
長州の獅子と言われる人たちはビンラディン氏率いるアルカイダであり、ISであり、…延々と続く形である。
という事は明治政府は、イギリスに乗っ取られた傀儡政権だと言う事か・・・
明治以降急激に進んだ西洋文化革命は、新しい夜明けというよりも心を持っていかれた武力行使の末の結果であった。
今、安倍政権が明治150周年を祝うセレモニーを企画しようとしているが、この歴史を掘り起こしてみれば、さらにこの現政権が何を引き起こそうとしているのかがよくわかる。
明治は決して明るいとは言えない。軍国主義にひたすら突き進み、日本人を臣民と見なし、勝手に天皇を西洋のキリストの存在に仕立てた新興宗教を日本人全員に押し付けた独裁時代だったと言える。
その形が昭和まで続き、たびたび戦争を引き起こす破壊の時代っだったところに、アメリカと言う国が明治政府の上に君臨し、明治政府の末裔はそのまま使われ続けているということか。
ちなみに大久保利通の末裔は吉田茂であり、麻生である。・・・
そんな消された歴史が今、表に現れてきたわけだ。
ふと赤松小三郎氏の事を知りたくなった。
関氏の郷里でもあり、赤松小三郎の生誕地へふと行ってみたくなった。
台風22号の来る前の秋晴れの日、東京から上越新幹線で信州上田に向かった。
途中軽井沢を通過した。軽井沢の駅前はアウトレットモールのごとく、観光スポットなのか、降りる客人も多数いた。
宮崎駿の「風立ちぬ」の舞台か・・・とうんざりした。
だいたい、東京から上田にかけての駅周辺は、どこも同じ様相を見せていて、その土地の趣きは消えている。イオンモールやアウトレットショップ、ユニクロ、ナイキ、アディダス・・・グローバル企業が陣とっている。
これが続くのか、はたまた日本の・・・各土地の良さが生まれる時代になっていくのか・・・私は後者に期待したいが・・・
上田駅について上田城に向かった。上田城では、大々的に真田フェアーをやっていた。去年の大河ドラマの余韻を残し続いているようだった。ただ、中に入れば、作りもんの渦中と、コピーのような説明文と年表、大変簡単な真田家の話の映像。そして大画面のCGモニターが待っていた。
しかし三半規管の弱い私は一秒も画像を見れず、リタイヤ。これを上田市は観光スポットとして、商業ベースに載せて映像会社に多額のお金を払って村おこしをやっているのか・・・と悲しくなった。
今の世において歴史は、もはや大河ドラマであり、大河ドラマを知っている事が歴史に通ずることになり、古き古文書を読み取るよりも新たに小説家によって作られた物語に酔いしれる事が美徳とされているようだ。
これが歴史というのなら、確かに150年も傀儡政権下で動く日本があったのだということも納得がゆく。
私たちは日本をあまりにも知らなさ過ぎた。
日本はヘイトスピーチの横行する国民性を持っていた訳でなく、たいへん平和的に生きた時代を経ていた。関税20%と外国と対等の立場を敷いて民衆は日常を営んでいた。
さらに、無駄な血を流さず交渉する言葉のやり取りができていた。
けっして西洋におとらず、自然の摂理を理解し循環する社会形態を築いていた。
これはけっして、歴史教科書には残らず。英雄と言う権力が作った人間を真ん中において形成する歴史であった。
その傀儡政権からして、邪魔者は消されていた。
真田特集ばかリかと思いきや、二の丸近くの隅っこに「上田市立博物館」がある。
そこに「赤松小三郎展」が開催されている。古い博物館の二階に展示会場があり、そこには赤松に由来する古文書が多数展示されていた。一つ一つ本物で、赤松がひたすら真面目に勉学に励んでいた様子が残された帳面からはひしひしと伝わってくる。
彼は、数学が得意だったようだ。さらに蘭学を学び、幕末乱世には、西洋の兵法を学び、京都で塾を開校。その時、薩摩藩邸によばれ、薩摩藩の浪士に兵法を教えている。その薩摩藩に暗殺されたのだから、何とも恩もあだで返す恐ろしい人たちが、この日本を形成していたという事だ。
博物館を出て、お堀を歩いていくと、隅に二メートルほどの碑が立ってある。
これは東郷平八郎書で、赤松小三郎を忍んで立てられた碑であるそうだ。東郷平八郎は、日露戦争の時に活躍した人物で、関氏によれば、日露戦争に勝ったのは赤松小三郎の塾生が多数いたからだという。
そしてそこからまた少し歩いていくと、赤松小三郎資料館があった。
小さく神社の隅に立てられていた白い蔵。この蔵の前にはしっかりと錠がかかってあった。ここにこの資料館を建てたのはこの上田市民の顕彰会の方達だという。
大々的に伝える真田のこととは対照的な赤松小三郎の資料館だが、この小さな蔵の佇まいはどっしりとこの地に腰を下ろすかのように見えた。
上田城を後にして、赤松小三郎の生誕地があったという木町に向かった。
といっても、小さな目印だけだというので、たどりつけるものかどうか・・・
すると、赤い旗が道ばたにはためいていた。赤い旗には、「赤松小三郎の生誕地」と書いてあった。
あ・・・ここが木町だけれど、どこにそんな目印があるんだ?と途方に暮れていた時、知人がふと目の前のおやき屋に意識が行った。
「おやき食べたい!」とその店に入っていった。
すると、80才くらいのおばあちゃんが出てきた。
そこで、知人は赤松小三郎の碑を探していると言った。
すると店主は奥の一畳間の部屋に案内した。そこには赤松小三郎の写真が飾ってあり、その上には赤松小三郎の事を書いた書が二枚額に入って飾ってあった。
ここは、赤松小三郎の生誕地の目の前に位置するという。そして赤松小三郎のことを調べている市民団体の方がここを訪ね、ここから赤松小三郎を町あげて盛り上げようと言う提案を出したのだそうだ。
店主は、赤松小三郎を訪ねてこの上田にやってきた私たちに、二本の団子を下さった。おいしかった。
すると目の前にストラップが目にとまった。
「赤松小三郎ストラップ」と書いてあって、そのストラップは、木の将棋ゴマの用のなものがついていて、この将棋ゴマの所には、『夢叶う』と書いてあった。
「そう、これ本当に夢が叶うんだと皆がいうています」って笑顔で店主は言った。
私の夢ってこの年になって夢といっても、個人的な夢はもうこれと言ってないかもしれないが、強いて言えば、この国が戦争をしない国のまま、さらに命を置き去りにする政治からおさばらしたいと思っている。これを夢というのかどうか・・・
しかし赤松小三郎氏が生きていたなら・・・いや歴史から消されず生を全うしていたなら、今私が思ったような思いでいたに違いないとそう感じた。
このストラップに辿り着く人は、歴史に埋もれた日本の確かな明かりを信じ、その灯火を次世代に繋ぐ役割を担うひとりかもしれない。知人のこの臭覚は普通ではなかったから。
さてこの旅にはオチがついていた。
同じ上田城内には、医師の山際勝三郎氏の資料館も併設されている。彼は、明治時代、人工癌の父と言われた人物で、ウサギに人工的に癌になるであろう物質を塗りつづけ、がん細胞を作り出し、癌治療への一歩を歩み出した人物、ノーベル賞寸前だったと書いてあった。その人を上田の偉人と称していた。
少し吐き気がした。
今の医療での経済成長を目指す社会体制に反映したものだな〜と思った。
癌はいろんな説があるが、この間亡くなった歌舞伎役者の市川海老蔵氏の奥さんの事を機に、厚生省は、がん検診を若年化した。
早期発見早期治療は、彼女だってやったから、癌だってわかったんだ。だから早期に癌治療が始まった。抗がん剤治療・・・
この抗がん剤治療が本当に癌を食い止めるのか?抗がん剤治療でどんどん元気だった人間が癌の衰弱ではなく、抗がん剤を投与し始めて衰弱していったケースを私はこの目の前で見ている。
また癌は、なにかをして癌になるのではなく、癌はどんな人でも毎日作られ、この癌が固定化されないのは、個人個人の免疫機能が働いて、無くなっていくのである。それが癌に固定されるのは、免疫機能が何らかのストレスがかかり均衡を保てなくなり固定化されたからである。よって癌ともし診断されたとて、ここにおいて免疫が正常に働くような生活改善をすれば、治癒に至り、癌だと断定し、きつい抗がん剤を投与した場合、免疫が落ちているのにさらに免疫を落とすような抗がん剤を投与することがどうなるか・・・これは私は怖い事だと思うのだが・・・
癌を悪とし、攻撃する事が治療だとした西洋医学ももう一度あの頃から思い起こしてみてはどうかと思うのである。
木町の先に柳町がある。そこは昔の北国街道だと言う。今や柳町は観光スポットで、酒蔵や洋風の菓子屋が並んでた。そこに「ウサギ追い師し」という映画広告が貼ってあった。
山際勝三郎氏の映画だ。その広告の下に、ノーベル賞には届かなかったが、ユング賞受賞したと。
…ユングだと。文化庁長官の河合隼雄が日本にもたらしたユング思想のユングだ。
ユングは優生学思想で、ナチスが取り入れた思想である。この事はかつての記事で書いているので省略するが、なぜユング賞をもらうのか・・・すべて同じ線上にあるわけだ。ちなみに昨日のニュースで、ノーベル財団は核開発に資金提供していたと言う。ノーベル自体、ダイナマイトを生産したわけで、その武器開発で莫大な富を稼いで、その富を賞として寄付した経緯であるから世の中の賞といわれるものや、大きな団体からの寄付というものも何かという事であろう。
不思議な旅だった。
私たちの当たり前、見てきた日常は、与えられたものだということ。そして日本の空気を感じるには明治をさかのぼり、江戸の時代を民衆の中から見てみるといいのかもしれない。
改めて、本棚にある渡辺京二氏の「
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)」
をもう一度、読んでみたくなった。
by polepole-yururin
| 2017-10-29 18:14
| 政治(思う事)