人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

1月17日・・・17年目

1月17日・・・17年目_f0215179_9251366.jpg

昨日、阪神淡路大震災の日だった。
あれから17年が過ぎた。
私も関西で、あの揺れを経験した。5時46分・・・下から突き上げるような大きな音、ド~ンと何かガス爆発したような大きな音とともに恐ろしく縦揺れがした。
揺れは大変長く、身体が硬直し続けた。
その夜は、成人式の次の日だったな・・・。
その夜は、なんだか知らないけれど、寝付かれず、何度となく目が覚め、神経が高ぶっていた。
寝汗をかきながら一夜を過ごす。
そして汗かいたな~・・て思った矢先の大きな揺れだった。
その朝テレビをつけると、恐ろしい神戸の光景が写っている。???・・・・
一応実家にも電話してみると、・・・電話は音信不通・・・つながらない。誰とも・・・
とりあえず仕事に行って准夜勤務をする。事態体は刻々と恐ろしい状態へと変わっていく。
死者が時間ごとに増える・・・
震災から2週間後、私が働いていたICUのナースと医師が派遣されることになった。
先輩から派遣された。その当時はどことも暖はなく、厳しい状態で寝泊りをし、食べ物も先輩たちは一緒に炊き出しに並んだとかいっていた。行く道も閉ざされていて大変だったといっていた。
私は1ヵ月後の派遣だった。
そのときは神戸港にフェリーが用意されていて、そこで私たちは寝泊りをした。
支援に行ったのは三宮の近くの小学校だった。
まだ小学校に避難されていた方がいっぱいだった。
食べ物もまだ炊き出しやパンなどが配られていた。
私は、小学校の保健室で、風邪の患者さんや胃腸炎になった患者さんの介助をした。
午後からは、精神科の先生と三宮の町を歩き、心のケアの巡回に行った。
県の先生と異人館の風見鶏のところを見に行った。
風見鶏は傾いていた。町のあちこちにブルーシートがかぶさってあってたくさんの花が手向けてあった。
まだ若かった私は、ただただ先生たちについていくしかなかった。
その後神戸にルミネリエができ、たくさんの亡くなった方の光をともそうと復興のシンボルができた。
いつしかそのルミナリエは、観光名所となった。
私の神戸も薄れていく。
2011年3月46分、東日本大震災が起きた。46分・・・!1月17日・・・17年目_f0215179_9392076.jpg
恐ろしい恐ろしい出来事だった。その出来事にかつて被災を受けた方々が、まず被災地に乗り込んだという。
昨日のテレビでは、今まで以上にあの震災へ、厚く追悼の念を抱いたような場面がうかがわれた。
そして被災した方々を17年目にして取材していた。
17年という月日は神戸の方々にとってはあっという間だったんだろう。
みんな白髪が増えた。亡くなった方の写真・・小学生。もうこの子達は今20代のいい若者になっていることだろう。その写真に向けて一人生き残ったお母さんが17年前を語っていた。
神戸は2年で復興した。とある神戸のおじさんが話してた。
確かに町としての復興は早かった。でもその復興は、長田の町を総ざらいして未来都市を作った。
風が吹けば桶屋が儲かる・・・
都市計画もそうである。
合理化を推し進めることが急速化した。ルミナリエができ観光化した。
明るいもの、きれいなもので負を閉じ込める。
確かに前へ進むことは、忘れることやきれいなもので気持ちを変えることである。
でもほんとうにそれでいいのだろうか・・・
東北にルミナリエができることがいいのだろうか・・・新しい未来都市ができれば復興なのだろうか・・・
たぶん震災は、いろんな投げかけを私たちにしている。
表層をペンキで塗りなおしきれいになりました・・・てことではいけないよね。
それが戦争後の日本の復興、神戸の復興となった。
日本はすごい!すぐ復興にこぎつける・・・その生き様の中に、日本がしてきたこと・・・見てみないふりをしてきたものに向き合わないといけないときが来ている。今・・・
by polepole-yururin | 2012-01-18 09:19 | 震災