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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

女川で出会った方たちは今・・・

この看板を4月から5回にわたって見たな~。
4月の時は何処が女川なのか、石巻なのか何も分からず、道の状態もでこぼこで、真っ暗闇の町だった。
この看板が頼りだった。
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4月は真っ暗だった町も、半年たって、明かるい町となった。
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避難所の保育所のお遊戯室は物資でいっぱいだった・・・4月。今は何もない。
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9月19,20日とまた被災地・女川に行ってきた。
今回は8月に作っていただいたテラコッタ作品を、静岡で焼き、その作品を届けにいった。
出来上がったテラコッタ作品は、静岡県のアゴラ子ども美術工場の和室アトリエで展示した。
その展示にあたって、被災地・女川のこと、私達が4月から被災地に行って、先生方と関わった足取りと、先生達の思いを伝えたいと思い、資料展として同時に展示した。
その資料展には、様々な方が来て下さった。
こちら静岡では浜岡原発があり、我々の住むところは20キロ~30キロ圏内のところ。
また海から近く、もしも3月11日のような震災が起こったとき、津波が到達する危険性がある地域はたくさんある。
その中で意識高く、反応してくださったのが、焼津市の保育園の園長さんだった。
震災後、先生方がどのように避難所で活動されたか・・・思いは・・・など共感された。
様々な感想を寄せていただいた。
またひかりのくに社の方もわざわざ関西から来てくださって・・・
ありがとうございます。
我々は、その思いと、テラコッタ作品をもって女川に。女川で出会った方たちは今・・・_f0215179_23144294.jpg
女川では、先生達は10月3日からの保育再会に向けて、大掃除の真っ最中。
3月11日からごった返していた避難所になっていた保育所は、ガランとしていて、あの震災を忘れてしまいそうな空間に変わっていた。
先生達は、テラコッタを手にとり、たいへん喜んでいらっしゃった。
テラコッタ展と資料展の様子をパソコンで見てもらった。
先生達は、興味深く見入っていらっしゃった。
第一保育所所長のY先生と、第二保育所の所長のI先生は、9月30日で保育士の職を辞す。
3月11日の震災で、とたんに避難所の所長になり、長年働いてこられた保育士の仕事の終わりが途切れてしまった。女川で出会った方たちは今・・・_f0215179_23152818.jpg
様々な思いをお聞きし、先生のお気持ちはいかほどか・・・。
その日、Y先生は6月にお渡ししたエプロンをしてくださっていた。
「先生、いつまでも保育士の仕事をやめないで・・・」という思いをこめて手渡したエプロンだった。
9月30日、その先生達ふたりに、アゴラの先生と退職のお祝いに静岡から花を贈った。
その後先生からお礼の電話をちょうだいした。
「この震災がなかったら、先生達(アゴラの先生)からお花をいただくなんてことはなかったでしょう・・・なんてなんて・・・本当にどうもありがとうございました。」と

御縁とは不思議だ。
この震災は、たいへんむごい出来事だった。
けれど、その出来事から今までは決して出会うことのない方々と関わることが出来た。

その不思議な御縁といえば・・・
保育所の帰りに、5月から避難所で出会ったМちゃん家族が気になって、引越しされた避難所を訪ねた。
Мちゃん家族は、この時点で、勤労会館の一部屋をもらっていた。
その部屋に、5歳のМちゃんと5年生のお兄ちゃんとお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんと7人が生活をしていた。女川で出会った方たちは今・・・_f0215179_23173368.jpg
まだ仮設に移れないМちゃんとお兄ちゃんにやさしさをプレゼントしたかった。
だから抱き枕を作ってプレゼントした。
Мちゃんとおにいちゃんはたいへん喜んでくれた。
ちょうどその日は敬老の日だった。
「おじいちゃんおばあちゃんになにかしたの?今日は敬老の日だね。」と問うと、「うん、ふたりで肩もみするよ♪」といっておばあちゃんとおじいちゃんの肩をもみだした。女川で出会った方たちは今・・・_f0215179_23125330.jpg
みんな笑っていた。
まだ仮設に移っていない家族なんだけれど、たいへん笑顔が素敵で、優しさあふれた家族の姿を見せてもらった。
Мちゃん家族からコップに入れたジュースをご馳走になった。
私がいただいたコップをみて「これお父さんのコップだよ。」とМちゃんが言った。
「いいんですよ、どうぞどうぞ」とお父さんは私に言った。
プラスティックの大きなコップだった。
まだ即席の生活がここにあるんだな・・・と申し訳ないような気持ちで・・でもありがたくジュースをいただいた。
「10月10日、3階建ての仮設にようやく移ることになりました。」とお母さんが言った。
あ~良かった、ほんと良かった。
10月10日の朝日新聞やテレビに、「女川町の三階建ての仮設住宅が完成し、ようやく女川町の方全員が仮設に移ることになった。」という記事を見た。
女川と聞くと、すかさず、あちらで出会った方々の様子を想像し、テレビや新聞にかじりつく自分がいる。
そして三階建ての仮設住宅にМちゃん家族がそこにいるんだと感じた。
Мちゃん家族の生活は、第二ステージへとようやく移ることが出来たんだと、安堵した。

仮設へ移り、避難所がなくなることで震災後の復興が完了したわけではない。
これが、第一歩ということで、これからが本当の個人個人の復興である。
どうか、疲れが出ませんように~。
by polepole-yururin | 2011-10-13 23:34 | 震災