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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

お盆

あの日も入道雲が空に盛り上がり、お盆だというのにまだ夏の暑さを告げる蝉の声が聞こえていたね〜。
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今日はお盆。
実は我が家は、今年は初盆だった。
といいつつ私の実家は浄土真宗なので、お盆は、身内だけでお墓に参って、お寺さんが家に来られてお経をあげるくらい。
でも私の嫁いだ家の宗教は、禅宗で、曹洞宗である。
またそのお寺さんと今までなんも関係がなかったものだから、なんともすべてが初めての事。
このお寺さんにご縁が出来たのは、亡くなった義父がたまたまこのお寺さんのお墓を自分のために買っていたからだった。
地元では大きなお寺で、本山は福井の永平寺である。
私が慣れ親しんでいた「南無阿弥陀仏」とは違って、葬儀の時は太鼓や鐘が鳴り響き、般若心経以外はよくわからないお経だった。
ここでは葬儀と変わらず、初盆は大きな行事で、祭壇を作り、花かごを盛って、玄関には灯籠や提灯が並ぶ。祭壇には、なすびとキュ一ウリで出来た馬と牛の飾りもの。それに3日間供物を与える。
お墓と祭壇、仏壇にはミソハギを飾らなくてはいけないそうだ。
13日からたくさんのお客さんが来られ、家で食事をしてもらう。
14日にはお米をお寺さんにもっていく。その日も近所の方や知り合いの方がお焼香に来られた。
15日は朝から喪服を着てお寺へお参り。たくさんの初盆の方や、檀家さんが大きなお寺にやってきて、長い長いお経や、お坊さんの儀式につきあう。
とにかくすごい。
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とにかく、宗教が違えば、やり方も、儀式も、お経も違う。
そして三日間松明を灯し霊魂を呼んで霊魂を送る。
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嫁として関わったこの行事・・・大変疲れた。
周りの人の小言・・・見えない仕事をやり続け、・・・でも何をしても言われる嫁の存在をこれほど味わった事は無い・・・
冠婚葬祭っていつから始まったのだろう。
私の気持ちとは裏腹に、知らず間にその家のものになっている。
私がこれを受け入れた覚えはなくとも、知らず間に背負っている事になる宗教やそれにまとわりつくしがらみを〜。
見栄があればあるほど、その重みは重くのしかかる。
自分は持たない見栄なのに、誰かが持つ見栄をいつの間にか背負っている存在って何だろう。
お盆は大変大事な行事だとこの地域では言うけれど、その大事さのはかりどころが、違う。
もっとシンプルに生きたい。
宗教が儀式になり、その儀式に何かいわれがあるのだろうが、その儀式に多額のお布施の値がつき、その盛大さに、檀家さんはありがたさを感じているのだろうが・・・
生まれたときからこの宗教や儀式を知っていたなら当たり前と思うだろうけれど、今になって新しき宗教を自分の目の前にして、あたかも自分のものとなっている感じというのは、なんとも違和感を持つものだ。
するといつの間にかその宗教儀式の成り立ち、その宗教の歴史について思いを馳せてしまう。
浄土真宗は、親鸞が農民のためにわかりやすくした浄土の道で、そのシンプルさは、やっぱ庶民的なんかもしれないし、案外曹洞宗は、もう少し格式を重んじた宗教なんだろうと感じずにはいられなかった。
私は死者は私の中にいて、何処からかやってくるものでもないし、いつもそこに意識しているものだと思っている。
いつからか、お寺もお仕事になって、・・・冠婚葬祭がお仕事になって・・・
大事な事が抜け落ちる・・・魂も今何処にいるのやら〜。

お盆も大事だけれど、もっと大事な出来事・・・今日は終戦記念日。
たった一人の言葉で、張りつめいた日常の糸が切れた。
たった一人の言葉で、長かった意味の無い戦争が終わった。
あっけない・・・あっけなさすぎる・・・たった一人の、たった少数のものが、たくさん人の命や生活を翻弄させた。そんなことってありですか!?
そんなことでいいのですか!?
それでも日本人は、黙って生きてきた。仕方ないと生きてきた。
もうそれも終わりにしたい。
だれかの思惑で翻弄されるのは、もう終わりにしよう・・・
12時、この町にもサイレンが鳴り、亡くなった方へ黙祷〜。
# by polepole-yururin | 2012-08-15 23:47 | 思うこと
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8月11日、12日アゴラへお越し下さい!
アゴラは静岡県掛川市千羽という里山にあります。
千羽バイパスからすぐです。
交通の便がない人は掛川駅まで迎えにいきます。
是非この機会にアゴラにお越し下さい。
8月11日11時〜12時までフリージャーナリストの渡辺幸重氏の福島報告があります。
渡辺さんは福島とスリーマイル島を実際に行き来し、住民の方と会い、交流をされています。
現地の方の本当の声を聞いてください。
今手元に当日の資料があります。
この報告は、大変大事な福島の現実を伝えるものです。
新聞、テレビ等では知り得ない、大事な現地の方の生と福島からはなれた所に住む私たちの生が保っていられる事の真実を伝えます。
本当に「私たちはフクシマ後をどう生きるか」を考えましょう!!
利害なく、いつわりなく、本当を知りましょう!
来られる方は是非アゴラ子ども美術工場へ来てください!
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アゴラは自然豊かな場所です。
滞在制作中のアーティストの若者加藤さん、大見さんもこの場所を気に入っています。
自然の音だけが聞こえる、時間は緩やかに流れ〜、風が心地よさをもたらして〜、ヒグラシが時を告げ〜・・・そのアゴラで子どもたちを感じ、自分たちの表現を始めています。
是非見に来てください!
この間から、藤枝からも子どもたちがきています。
藤枝のこどもたちは、ちょっと障害?を持った子どもたちです。
子どもたちは、このアゴラを気に入って、ゆったりと過ごします。
ここにいると健常者と障害者という言葉はここにはありません。
ちゃんとここにいていいんだよ。あなたも私も同じ。すべて個性。たまたま。
あなたはこんな子、私はこんな子・・・生まれてきた意味は変わらず、大事な大事な存在です。
格差なく、フラットに、ニュートラルに〜。
私は、ここでいろいろ感じます。社会でも感じます。
ただただ思う事は、ここアゴラでは、区切りなく、装いもなく、素のままでいる事が出来る場所です。
社会にいると当たり前のように思えることが・・・例えば社交辞令・・・例えば原発・・・例えば福祉の問題・・・
アゴラにいると社交辞令は違和感を覚えます。原発、核を自分の事として話す事が出来ます。福祉・・・障害ってなんでしょうか?たまたまなんです。それよりも色眼鏡で見ている方の方が違和感に感じます。
私は、昔インディアンの本を読みました。
インディアンは分け隔てなく人と接しました。
大事な事は個々の思い。魂だけです。
自然と一体化した生き方・・・それはたぶん人間社会に毒されていない生き方です。
藤枝の子どもたちは、自然に近い存在です。
そしてアゴラで滞在制作している加藤さん、大見さんもここでどんどん自然のシャワーを浴びて素の自分を表している事でしょう。
ジャーナリストの渡辺さんも3・11を思い、原発事故の悲劇を肌で感じ、その前からも行き来しているスリーマイル島の方々と福島の方々を自分事として行動しています。
渡辺さんはもののけ姫のモデルとなった屋久島出身です。
屋久島を思い、屋久島の自然についてもずっと自然保護について思考されています。
皆、自然の子。
自然の子が今ちゃんと世の中を見ていきましょう。そしていっしょに思考し、話しましょう。
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ここ地球は誰のものでもなく、同等なんです。
「すべての創造物、いわゆる鉱物も植物も動物もスピリットも人間と同じ生きる権利を持っていると信じている。」インディアンの言葉より・・・
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8月11日午後からはこの加藤さんと大見さんを交えてのフリートーキングがあります。
光のアーティストの高橋匡太さんも加わります。
渡辺さんも加わります。
ぜひこの機会を大事にしてください。
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KAMEの翼プロジェクト
# by polepole-yururin | 2012-08-09 08:03 | カメの翼プロジェクト

夏の琵琶湖と大飯

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今年はお兄ちゃんの受験だから下の息子だけ我が実家へ帰郷。
今年は息子を連れて福井県大飯の町を訪れた。二度目の大飯。
滋賀県から大飯町へ行く途中、いくつものトンネルを抜ける。
そしてトンネルを抜けるとそこは・・・海だった。
青い青いマリンブルーの海が輝いていた。
母も、息子も、甥っ子たちも「わ〜!うみだうみだ!きれいやな〜!」って思わず声を上げた。
その海の先に原発があるんだよ・・・って伝えると、みんなテンションが下がった。
青戸大橋を行き、大島という部落が見えた。
そしてエネルギー館へ向かう。
が・・・エネルギー館はあいにくの休館・・・
げ!残念だね。
でも・・・そのエネルギー館の前には今日もまた「特別警備実施中」の垂れ幕と警備員が三人物々しい状態で立っていた。
息子も母もなんやここは・・・と言った。
そのまま大島の海を行く。しかし海水浴のお客はいなかった。
あまりにも暑いので「しーまいる」という大きな施設があったので、立ち寄った。夏の琵琶湖と大飯_f0215179_10152237.jpg
二三の家族がいた。テレビを見ていた。ここは公民館だった。島民800人の村に巨大公民館。大きな大きな旅館のようだった。
公民館の館長さんらしき人がぶっきらぼうだったので、休憩するのをやめた。
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大島を出て、対岸にある家族館へいった。
ちょっと遊んで行こうと中へはいった。
100円で遊び場へ行く。
そこは、何階建てになるのだろうか・・・巨大な吹き抜けの建物の中に大きな船の模型があり、その周りに青、白のボールの玉がいっぱい。
そこに子どもたちはズボッと入って鬼ごっこしたり、ボールの当てあいっこをしたり・・・大人はその周りに座り、子どもたちを見ながら涼んでいる。 
母が言った「こんなに大きな建物にエアコンガンガン利かせて、何がエコかわからんな〜、省エネとかなんとか関西電力は言ってるけれど、こんなものが必要かいな〜」って。
確かにそう、天井までとてつもなく高く、そこに子どもたちがエレベーターで行き来している。そして走り回る・・・何で遊びにエレベーターが必要か・・・
その会館の外は海・・・海水浴客はあまりいない・・・自然いっぱいの大飯なのに、自然で遊ぶ事を忘れたか・・・
息子たちはすぐに飽きてしまった。「帰ろう・・・川に行きたい!ここはもういい。」と。
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帰り際、家族館の方が「せっかくだからエコガイヤへ行ってみてください。」といったので隣のエコガイヤにたち寄った。
ここは関西電力が作っている科学館だった。
誰もいないのに赤や青の電気がこうこうと光り科学の進歩を謳っていた。
2つ窓があって、関西電力の方の仕事場が見れるようになっていた。
のぞいていたら「ここは高浜原子力発電所と大飯原発の方がここで危険な事故を想定したシュミレーション施設です」と守衛さんだが話しかけてきた。
「さっき、エコパークへ行ったのですが、休館でした。木曜日は休館ですか?」と聞いてみた。
「あそこは今閉館しています。6月30日のデモがあってからずっと閉館中。また様子見ながら開館されると思うのですが・・」といった。
いろんな思惑がある大飯町・・・関西電力。
外に出て「ここは箱ものばかりでびっくりやな〜。いつの間にこうなったんやろう?昔は違ってたな〜行かんうちに変わったな・・・」って母はつぶやいた。
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そしてまた鯖街道を通って滋賀へ・・・
途中今津浜にたち寄った。誰もいない琵琶湖、ここで子どもたちは水遊び。
琵琶湖は静かに波打っていた。
遠くには伊吹山が・・・その前には竹生島が浮かんでた。
そこで子どもたちは網を持って魚とり。
たくさんとれて、子どもたちは水から上がる事をしない。
楽しくて楽しくて仕方ない♩
母も私も御座に寝そべって空を仰いだ。
青い空と松の木の陰。
こんなにも空は青かったのかと思う。こんなにも琵琶湖は静かだったのかと思う。
こんなにも時間は緩やかに過ぎて行くんだと思う。
ゆっくりゆっくり・・・そよ風のように〜さざ波のように〜。
幸せってこんな事を言うんだろう。
福島の方もこういう日々を過ごしていたんだな〜、きっと。
ずっと続く自然の癒しを感じていたのだろう。
永遠にある自然の恵み・・・福島・・・
そして今何事もないように大飯原発が動き・・・高浜を動かそうとする関西電力。大飯原発が電力として送電を開始したのは、昨日からだ。
それまで電力は足りていたような〜。
暑かったら海に、湖に、川に・・・そんなふうにして人は過ごしていたのだろうに。。。昔は。
子どもたちは知っている、どこに好奇心があるのか・・・大きな異物にはすぐ飽きる〜。

息子の今年の理科の自由研究は放射能についてだって〜。

お知らせ!
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KAMEの翼プロジェクトのスケジュール
・7月28日(土)9:00〜7月30日(月)Agoraキャンプ
・7月30日(月)〜8月31日(金)大見明子、加藤元Agoraアトリエ滞在制作
・8月11日(土)11:00〜12:00 福島報告ー渡辺幸重(フリージャーナリスト)「フクシマ後を私たちはどう生きるかpart2」
        13:00〜17:00 フリートーキング「KAMEの翼プロジェクトと今」
・8月12日(日)10:00〜16:00 サポーター交流会 山の再生プロジェクト「私の木をアゴラの裏山に育ててください。」第一弾「お茶よ、ありがとうの巻」紅茶を作りましょう。(8月12日は茶葉を摘んで紅茶を作ります。)
・9月1日(土)〜9月30日(日)大見明子、加藤元作品展
 高橋匡太の光のワークショップ(9月の第2・4の週末開催)
        
皆様へ・・・
このKAMEの翼プロジェクトへどうぞご参加ください!
8月11日の福島報告では、スリーマイル島へ行き来している渡辺さんが実際に歩いて感じたことをしっかり伝えてくださいます。福島を、スリーマイルをちゃんと知りましょう!
他にも盛りだくさんです。フリートーキング、山の再生プロジェクト、ワークショップ・・・どうかこのタイミングをお見逃しなく!


ご協力お願いします。
カメの翼ではサポーターを募集しております。
KAMEの翼は皆様の個人個人の資金で成り立っている非営利団体です。
一口10000円or一口5000円の資金協力をお願いします。
その資金で若者、子どもたちへサポートしております。
よろしくお願います。
連絡先:Agora子ども美術工場 tel&fax0537−27−1428

# by polepole-yururin | 2012-08-05 09:18 | 子供たち
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第1回KAMEの翼プロジェクト始動!
去年プレイベントが行われ、今年は第1回KAMEの翼プロジェクトが開催される。
Agora子ども美術工場のキャンプから参加した若もの二人は、ここ里山に一ヶ月滞在制作し、9月にその作品展示を行う。
第一回目の制作者に選ばれたのは、京都芸大大学院卒業の加藤元さんと東京芸大大学院卒業の大見明子さんだ。
選考者は、京都芸大教授の中原浩大氏と東京芸大教授の日比野克彦氏。
アゴラを知り、アゴラの主催者の渋垂氏の意向に20年前から賛同した(紙わざ大賞、カメパオプロジェクト)中原浩大氏と日比野克彦氏がこのKAMEの翼プロジェクトに賛同し、今にある。
KAMEの翼プロジェクトは若者を支援するプロジェクトである。
渋垂氏も中原氏も日比野氏も芸術家であり、その間口から若者サポートを思考した。
16年前のカメパオプロジェクトは、阪神淡路大震災の時に生まれた子どもたちへの守られる空間を作る事だった。
あの当時は、美術雑誌等でカメパオは取り上げられた。
制作者の中心の中原浩大氏は、カメパオを作品として扱わず、これはあくまでも社会的行為としてのカメパオであり、誰のものでもないとした。
カメパオは新潟の中越沖地震や台湾、トルコ等の地震時にも動き出した。
そのカメパオは、3・11の被災地・女川で作られた。
芸術家が社会を捉え、思考し、行動した・・・これが紙わざ大賞(紙を使う芸術家が、島田市の巨大製紙工場を見て思考した)であり、カメパオプロジェクトであった。
そしてKAMEの翼プロジェクトは、これから社会へ羽ばたく若者や子どもたちをサポートする。
KAMEの翼が始まる頃、偶然にも3・11が起きた。
KAMEの翼は、アゴラに留まらず、被災地へ向かった。そして日本中の子ども・若者へとサポートは拡大した。
KAMEの翼プロジェクトは、本当に今の社会に向き合う若者たちを支え、関わり、大人たちも変化する。
さ〜その選考された加藤さんと大見さんをサポートしよう!
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加藤さん、大見さんは今着々と制作モードへ!

KAMEの翼プロジェクトのスケジュール
・7月28日(土)9:00〜7月30日(月)Agoraキャンプ
・7月30日(月)〜8月31日(金)大見明子、加藤元Agoraアトリエ滞在制作
・8月11日(土)11:00〜12:00 福島報告ー渡辺幸重(フリージャーナリスト)「フクシマ後を私たちはどう生きるかpart2」
        13:00〜17:00 フリートーキング「KAMEの翼プロジェクトと今」
・8月12日(日)10:00〜16:00 サポーター交流会 山の再生プロジェクト「私の木をアゴラの裏山に育ててください。」第一弾「お茶よ、ありがとうの巻」紅茶を作りましょう。(8月12日は茶葉を摘んで紅茶を作ります。)
・9月1日(土)〜9月30日(日)大見明子、加藤元作品展
 高橋匡太の光のワークショップ(9月の第2・4の週末開催)
        

皆様へ・・・
このKAMEの翼プロジェクトへどうぞご参加ください!

8月11日の福島報告では、スリーマイル島へ行き来している渡辺さんが実際に歩いて感じたことをしっかり伝えてくださいます。福島を、スリーマイルをちゃんと知りましょう!
他にも盛りだくさんです。フリートーキング、山の再生プロジェクト、ワークショップ・・・どうかこのタイミングをお見逃しなく!

ご協力お願いします。
カメの翼ではサポーターを募集しております。
KAMEの翼は皆様の個人個人の資金で成り立っている非営利団体です。
一口10000円or一口5000円の資金協力をお願いします。
その資金で若者、子どもたちへサポートしております。
よろしくお願います。
連絡先:Agora子ども美術工場 tel&fax0537−27−1428

カメの翼プロジェクト
# by polepole-yururin | 2012-08-01 07:04 | カメの翼プロジェクト

女川の復興 NO2

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次の日の朝、女川の町へ車を走らせました。
津波で町もろとも無くなってしまった女川は今、ブルドーザーとユンボが動き、大きな破壊された建物のガレキは撤去され、建物の基礎だけが残っている光景に様変わりしていました。
その中で、ビニールシートが掛かった建物を探しました。
ぐるり女川の町を見渡すと、ちょっと高台の所に灰色のビニールシートが見えました。女川の復興 NO2_f0215179_10494935.jpg
「あ!あれがMちゃんのおじいちゃんの工場だ」急いで小高い坂の上の小さなビニールシートの建物へ車を走らせました。
車を近くに止めると、「お早うございます」とおばあちゃんとおじいちゃんとお父さんがにっこりと挨拶をして手招きしてくれました。
ビニールシートの建物は、トラック一台入るぐらいのガレージみたいで、その中に工具がいっぱい置いてありました。
その工場は明らかに高台で、ここまで津波が到達するなんて到底思えない場所にありました。
Mちゃんの家はその高台の工場の上にありました。女川の復興 NO2_f0215179_10505889.jpg
今は空き地化しています。Mちゃんちの家から上に二軒目の家は無事だったようで、そこで生活されているようです。
津波は、Mちゃんの家まできた・・・そんな感じです。
Mちゃんちのあった家の対岸?(遠くの方の高台)に、女川町立総合病院が見えます。
今も病院経営されています。
その病院の壁の色が一階と二階で分かれています。「あそこの一階まで水がきたんだよ。」とおばあちゃんは言いました。女川の復興 NO2_f0215179_10524272.jpg
あそこまで・・・「そうだよ!あそこまできたらここはやられていまうわな〜」っておばあちゃん。
津波の脅威を感じずに入られません。
Mちゃんちの周りは見渡す限りの平地と化した女川です。
所々に私の家はここだったと主張している基礎だけがのこています。
地震から1年4ヶ月が経ちました。
テレビや新聞からは被災地の様子はもう流れてきません。
今は沖縄のオスプレイの配置の反対問題や政治の問題、九州の豪雨の被害・・・日常は今起こっている事がトピックスのように流れるだけで、その状況を追って知らせる事は少ない・・・それでもそこに生きている人たちはここにちゃんといる訳です。
私たちはついつい情報が流れないと、日がたって事が元通りになるように錯覚してしまいます。
でも状況は、いろいろなわけです。
何もない女川に今人はどこにいるのか・・・山の方に設置してある仮設に人々は暮らしています。
そして生活はどうされているのでしょうか?
女川は漁師の町でした。ずっとずっと昔から。(女川町史より)
復興は漁業再開から・・・
立ち上がったのは浜の人たちです。
浜の衆・・・漁師たちです。
その方々が動くためには、まず船が必要なんです。
昨年の今頃(7月)浜の衆は、Mちゃんのおじいちゃんに「はじめてくれ〜、Sさんがはじめてくれなきゃ始まんね〜。たのむっちゃ〜」と声を伝えたと言います。
Mちゃんのおじいちゃんは、震災前まで船にエンジンやマストなどをつけて最終行程の仕上げをする仕事をしていました。
その仕事をおじいちゃんは50年続けてきました。そしてそのおじいちゃんを息子のMちゃんのお父さんは支えてきました。そして震災・・・
女川は8年計画で、自宅に家を建てる事もできず、町が出来るまで動きたくても動けない・・待ったが掛かった状態です。誰がここで指をくわえてじっと待っている事が出来るでしょうか。。。
復興は、個々の自立であり、公共が町を整えて作り上げてできるのではありません。
その町に人が住み、息づかいが感じられることが生活であり、復興なのだと思います。
国や行政はいつも紙面上の構想で事を押し進める・・・でもそこにはまず生きている人がいるんです。
幸いにして、震災当時、おじいちゃんとお父さんは、他の所で仕事があり、女川にはいませんでした。ある程度の溶接機械や工具はトラックにつんで仕事に行っていました。女川の復興 NO2_f0215179_10535318.jpg
おじいちゃんたちに残されたもの・・・それがトラックとその中の部品、そして工場跡の銀シャケの稚魚のために頼まれていた水槽の鉄の骨組みでした。
そしておじいちゃんは始めました。
工場の跡地におじいちゃんとお父さんは、稚魚の水槽の枠を基礎にして、それに鉄で柱をくみ灰色のビニールシートをかぶせ、仮の工場を作りました。(役場の申し出に応じてすぐに解体できるようにナットで取り外し出来るように作りました)女川の復興 NO2_f0215179_10565262.jpg
ここから始まったのですね。ここからMちゃんの家族の復興が・・・。
おじいちゃんは言います。「やるしかね〜、やらねばどうしよもね〜、俺らはこれで生きてきた。浜の衆もここで生きてきた。やるしかね〜んだ。」

今女川はホタテの養殖から始まりました。
ただ東北の漁業は、福島の原発事故で、放射能の汚染等で大きな痛手を受けています。
この補償に関して、誰が責任をとるのか、問題は山積みです。
宮城県知事が震災後すぐに言い出した漁業の企業化・・・
合理化する事で人を救う事が出来るのでしょうか?
今まで日本がやってきた合理化、大量生産、大量消費の社会構造は、個で生きる人々の暮らしを脅かし、苦しませてきたのだとここにおいてはっきり見えてきたような気がします。
私は6回にわたり女川に行きました。
そこで見たのは、東北の方々の強さでした。
しかし時間が経つにつれて個が置かれている立場において格差が生じてきているのも事実です。
ただ言える事は、誰に雇われることがなく、自分から動き出している方々は、嘘偽りはなく自分を語ります。そしてちゃんと地に足つけて立っていらっしゃる事を実感しました。

ガレキの中からひとり動き出したMちゃんちのこの工場・・・そこから女川の復興を見たような気がします。
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そして女川のもう一つの復興・・・女川町立第一保育所の近くに「希望の鐘」という仮設の商店街が出来ました。
木造の柔らかい長屋仕立ての商店街。
郵便局、交番、銀行、そして果物や、魚屋、お花屋、文房具屋・・・昔の町がここにありました。
幼稚園の頃なりたい職業・・・「おはなやさん」「おまわりさん」「くだものやさん」・・・原点に戻りましょう♩そんな事を女川は言っているようでした。
# by polepole-yururin | 2012-07-23 08:26 | 震災