この社会はいやな空気を持ち出しています。
日常にしがみつく事の大事さ。
8月28日朝、私は、絶対に日常を手放すな!と思いました。手放したらアウトだなと。
植木等やチャップリンが繰り返し、表現の中に細やかな抵抗をした。細やかな抵抗を繰り返す事の大事さ。危機感を煽って軍需費をあげる。心理操作でしかないのに・・・
共謀罪が通ったことの一つに、東京新聞に政府が抗議したとありました。あからさまに出た政府に、これはあぶないと・・。
今夢中になって読んでいる本、アーサービナードの「知らなかった僕らの戦争」という本があります。いつも本屋さんで買っている。本屋がなくなるので・・・一冊ずつ買っている。
(少し話はとんで・・・)
今回は図書館の御世話になった。読みたかった本がなかったので、、、内村かんぞうの「末裔たち」という本を読みたくなったから。
(第二次大戦の小栗町のキリスト教独立学園の園長さんをしょっぴいた話をされる。)
私は社会に対して[「どうせ」と思った時には、そう言う人の良い仕事をみるようにしています。
良い映画、本など・・・人間に失望しないように自分を励ますんです。
こういう時にこういう人になりたいと思う人がいる。
それがロベルド・アノー・写真家(ルノーの車のカメラマン)。自伝の中に電車か地下鉄の中で苗木を持っているモデルがいる。その人はナチ占領下のパリでゲシュタボ(特高警察)が捜査に入り、そのモデルは印刷屋で、逃げてきた人たちの証拠書類を廃棄し、地下の河に流した。その事を戦後もその方も言わなかった。誰も知らない。その行為で生き延びた人がいる。
こんな人がいるって・・・
こういう社会の中に、かくまう勇気の大事さを思います。
人間なんてどうせ・・・ではない。あの人が居なかったら生きていなかったかもしれない。あの人がいなかったら・・・そういう人の行為にふれると、まんじゃらじゃないな~てホッとします。
ルアーブルの「靴磨き 」(映画)。アフリカのある所から密入国して・・・の話。抵抗運動をやった男に助けられて・・・靴磨きの男に希望を貰う。かくまう事はどういう事だろうと考えていた。
他にも、私事ですが、下北半島の旅に言ったときの話です。その時に50代くらいのバスガイドが、停年の運転手に聞いた話。運転手が子どもだった時に自分のうちのおばあちゃんが夕方に、エプロンになんか包んで出て行く。それについていくと、おばあちゃんは、浜の船小屋に消える。そこには、朝鮮労働者がいて、その人達は、脱獄者でその人たちに食べ物を与えていた。希望が持てて・・・そう言う人たちに連なりたいな〜。
「どうせ・・・」は傲慢。
宮崎駿さんにはどうしても入っていけない。高畑さんがアーサービナードの「知らなかった僕らの戦争」という本の中で、宮崎さんの作品は、風の谷のナウシカまでは良かった。それ以降は笑えなくなってしまったと、高畑さんが言っていました。
宮崎の主人公の女の子は、かわいくて、けなげで、かわいそうな子。
女の子すべてがみなそうではない。その部分がなくなれば、宮崎の作品はもっと豊かになるではないか。
高畑さんの作品の「かぐや姫」はよかった。これは面白いと思った。線がおもしろい。この切れ目に私たちは入っていけると思った。高畑さんの描く人間は線が切れていて、線の切れ目って面白!宮崎さんは線が閉じて、出来上がっているんです。
練馬区の九条の会のこと・・・ある方のお話の中に「傲慢だぞ」と思った事に、高畑さんがその話にいさめた時、高畑さんをはじめて意識しました。
アーサービナードの本の中に・・・ハラハラドキドキについて書いてある。高畑さんは、宮崎駿の作品は今やドキドキになっている。ハラハラは、能動的で、ドキドキは冷静に判断しない。つまり、ドキドキは成り行きに流されてしまうんだと。
ハラハラは客観的に自分を常に外から見ていないと感じられないのだと。
鶴見駿輔さんの言う当事者感覚に似ている。
宮崎アニメは、「わ〜!」と巻き込んでいく。つまり流されていく。すべて流されていく、その危険性。ハラハラの表裏一体が笑いだと。
ドキドキして読んできたのか?ハラハラとして読んできたのか?(ハラハラは危ないぞあぶないぞと思いながら読んでいること)
「岩場の上から」黒川そうさんの本の中には普通のどこにでもいる男の子、女の人が出ている。とてもいい。黒川さんは、鶴見駿輔を支えた人。
鶴見さんは息子さんに自殺しても良い場面が二つあると言っている。女性をレープしたくなる瞬間と殺せと誰かに命令され言われたときなら自殺しても良いと言った。
それは、鶴見さんはアメリカハーバードにいて、負ける時には負ける祖国にいたいと思った。帰国するときの船で殺されかけた。隣の部屋の人が殺された。たまたま隣の人が亡くなったが、自分の部屋に入り込んでいたら自分が死んでいたかもしれない。ハラハラした。つまりハラハラは主人公と一体となる感覚。当事者感覚。
(話変わり)
先生、私、本を読んでも内容を忘れるんです。と80歳の人が言いにきた。「あれ?なぜ忘れてはいけないの?」と聞くと、「本は読んで覚えて勉強するものでしょう、と。
学生たちもよくいう、本を読んでも覚えていないといけないという。そんな馬鹿な。
つまり、学生は、ノート一いっぱいになる事を求めてて、学生が求めているのは情報なんだ。と。
本を楽しむ為でなく、覚えるもの、読書感想文のためにとか、成績の為とか。・・・そういう風に教育が教えてしまったのか・・・
(教師時代の話になって・・・)
授業は教えるものではなく、私は体験してくれさえすれば良いと思っている。この時間を生きてほしいと。
子供達はノートがいっぱいにならないと・・を求めている。それは違うと思う。
戦争体験について語ることについて私は違和感をおぼえる。
戦争体験で語られるのは、された事ばっかりで、自分が被害者になっている。どうしてこういう事になったかを誰も語らない。そうなると、もっとそう言う事が起こるかもしれないと思ってしまう。
戦争体験を語る人は大変エネルギッシュだ。こんなにもたいへんだったという。で、今にいる若者は、戦争を語る事ができない。語る人生ではない。平凡だと・・・その感覚って・・・
私はある会議で戦争体験に対してもういいと思ったのです。それに異論はあるでしょうが、戦争体験を語るより、平和を生きる難しさを感じたのです。平和は、平凡で、ハラハラドキドキもないのかもしれない。ドラマでも物語でも、悲劇があって喜びがある。だから苦しみ故に平和の大事さを感じるように・・・でも平和は退屈で、何もない日常と勘違いする。悲劇のヒロインさえ生まない。けれど、この平和を生きることに意識を置くことの大事さ。平和を生きる難しさを感じるのです。と。
9月9日の朝日新聞の朝刊渡辺恭二さんの記事があった。
渡辺さんが10歳の頃「レ・ミゼラブル」に出会った。この本は自分が人間になるためにどうすればいいかと問いつめられた本だった、と。
私自身も子どもの時に「レーミゼラブル」読んで同じような事を思った。
罪を犯した人間が、生きられるかどうか・・・
児童文学をやっている意味は、ジャンは救われた。救われなかったら人間に絶望していたかもしれない。その救いを求めたんだと。
この本で、人間は信じられるし、生きられると希望を持った。だから児童文学の世界に希望を感じるのです。こどものときにあ〜いう本に出会う事。
この世に生きていて大丈夫なのか、この世に自分のいき場所はあるのか、人間は信じられる。それが生きられる事なんだと。本当に生きられると持った。あれがあるから生きられた。そう言う出会いって大事だなって。
そこで人は人を信じられる体験をする事、それで、生きられるし、支えられる。自分自身に問われたと言う体験をした本。
ところが、今日の学校教育現場において・・・
最近自治会の広報に、中学の校長が、今年は1番から○○番までの生徒が卒業しましたとあり、私はものすごくびっくりした。何名の生徒が卒業したでよかったのでは・・・刑務所や軍隊であるまいし、生徒を番号で呼ぶなんて、なんという感覚なのか、教師の意識や、社会の意識に疑問を持った。これを近所で言うも何でそこにひかかるのかわからない・・・という顔になっているので・・・だんだん言わなくなって・・・。そう言う事があっちこっちにはびこっている。
話は、元に戻りますが、宮崎駿氏の作品はドキドキワクワク、あ〜よかったでおわってしまう。・・・それをバッシリという高畑さんに共感を得たんです。
(話は変わり)
私は文学部だったのだけれど、フランス文学者の渡辺かずおという先生の静大の講義をモグリで聞きに行った。
その時のテーマは、「ルネッサンスと魔女狩り」だった。
ルネサンスはとても人間開放で良い時代と思っていたら、魔女狩りがとてもたくさんあったという。
火あぶりの刑にされている話しを聞いて、私がそこにいたら・・・私だったら・・・と必死で考えた。みんなが焼き殺せ!と言ったのか?魔女狩りにあった人を助ける?火あぶりを観ていられる?といろいろ自分に問いかけた。お前はどうする?と聞いた。とりあえず自分は立ち止まる人間でありたいと言い聞かせた。それが人生の最大の課題となった。
問いかける大事さ。
「夜」みすず書房 (エル・ビーゼル)の本を紹介する。
この話は、ナチ時代の話。収容所を消し、収容された人たちも逃げる。彼の父は体力がなく、走れなく、倒れた。その時エルビーゼルは父親の手をスーと離した。迷った自分。
その場面に、私もやるなと思った。大きな課題です。でもやってしまうんだったら、やらなくていい状況を作ることに意識をむけようと思ったし、・・・社会運動をやったのか・・・
学校の先生に言いたい。勉強って何??知識って何?本を読まなくってもすてきな人はいっぱいいる。
___後半___
私は、9年間静岡県立高校にいた。その後ゲドに会い、教師を辞めた。これを訳さないと死ぬ時後悔すると思ったから。
私はベキベキ(何々すべき・・・等)を学校で教えてて、それを家でそうじゃないとつぶし・・・また学校に行って・・・その繰り返しにいろいろ考えた。
島田高校から底辺と言われる高校へ転勤し、私は図書係りにならされて、図書にちくまから出ている漫画を入れた。すると、6・7人の高校の悪がやってきて(退学していい生徒たち)、「先生、漫画なんか図書に入れていいだかえ?」と言いにきた。その子らはどういう大人に出会っているか?本を読んでいない子たち。
漫画は悪いものと言われていたのだろう。そう言う人たちの物差しで事をみていたのだろう?と思った。
この学校に来て一週間目のことだった。ある駅で一人男の子(高校生)が「先生に今日生まれて初めて褒められた。」とその男の子は言った、その時私はよくぞここまで生きてきてくれたと思った。
褒められる事はそれまでにもそれなりにあったのかもしれないが、彼の受け止められかたの問題で、彼には学校で褒められた記憶がなかった。そう言う生徒がこの学校にはいっぱいいた。
ある時、「なぜ先生勉強しないといけないの?」と生徒は聞いた。
私は「支配者には勉強しない事の方が都合がいい。しないでいるとこれがいいのかわるいのかの判断もつかない・・・」と、
こんなことがあった。
1970年始めの頃のこと、あるお母さんが「私はいい成績とるためにこの学校にいかせたのでない。私は貧しかった。学無かった。肥料の計算や税金の計算をしていた。でも私のようにわからないでもそれなりに努力して計算してくれる嫁が息子に来る保障はない。小学校にいけなかったお母さんが息子にせめて税金の計算と新聞が読めるようにしてほしい。」と言った。教育とは何かを教えられた。
その後しばらくして私は青山女子短期大学で勤務した。そこは四大をやめてこちらに入るというくらいの大学だったが、新聞読める子がいない。読むとはどういう事か?読むとはどれだけの否定がかくれているか・・・を理解する事。
AはBであるを読むのではなく、AはBでなくてが書かれてていない事をどれがけ読めるか。
行間を読む事の大事さ。
ナバホインディアンの写真。この写真に私は感動した。それを写したカメラマンの感動を感じた。表現主体を初めて感じた経験。
何を写さなかったということ。行間を読む。かかれていないものうつされていないものはどういうことか・・・を考えるようになった。
それ以来いろんな絵、写真、報道写真など、カメラマンはどこに立っているかで写されているものがまったく違っている。そのことをその当時に出会ったそのおかあさんがピシーと教えてくれた。
私はデモにも出ていた。他の学校の先生もデモに行っていたが、その先生らは、生徒の密告の為にデモにいっていた。若気のいたりだったが、私は職員会議で、デモにいくのが悪いのなら、なぜいく前に行くなと言ってくれなかったのか!?といったが・・・デモにいった子供達は教師に密告されて退学処分になった。・・・
クラス委員がある時私に聞いた。身体がつかれたときは休んでいいのに、なぜ心がつかれた時には休んではだめなの?と。
私は「そうだね」って言ってしまった。
でこのクラスは心が疲れたときも休んで良いよっていった。ただし、私にはちゃんと伝えてほしい。と伝えた。
職員会議で多数と一で戦わなくてはならないから・・・
生徒たちに黙秘権もあると生徒に伝えた。
ゲド戦記を訳し終えた時、島田で高校紛争で処分された子がつかつかと現れた時、生きていてくれたんだね。と嬉しくなった。他、勉強嫌いな生徒たちだけれど、毎日6時間ちゃんとよく座っていれたねって思った。他にも生徒たちは私の家に来て、自分に瓦や百姓の子だと初めてはなした。でも学校ではあいつは生徒をうちによんで思想教育をしていると言われた。
学校では、生徒はまず職員室の前に、・・・お辞儀、入ってからまたお辞儀、用がある先生の所でまたお辞儀。おかしい。
いろんなことを子供達に教えられた。
私はことばって?あいさつって?をいつも問いなおしていた。
生徒たちがものさしをたくさんもっていたら・・・と。
今はネットでネトウヨに引っ張られる・・・おかしいと判断できること、はかれるものさしをいっぱい持っていたなら・・・と。
親戚の子がうれのこっちゃうと言った。こんな自分を物のように扱う感覚に違和感を覚えた。
10月7日にうちにくる、山形の校長。安積先生。高校生に何を恐れているか?と聞くと、100%親を恐れている。
子供達にやりたい事をしなさいなというと、親はそれを願っていない。と子どもはいうと。
恐れるべき者は何かと私は子供達に徹底的に教えると安積先生はいっていた。
夕方にゼミに学生がきた。戦争体験をしている人がうらやましい。私はすごいショックだった。私たちにあんなに生き生き語る事がないといった。
アメリカもソ連の若者のもベトナム戦争時同じ事をいう。語れるものがない・・・と、
生き生き語れるものがないってって!?
戦争体験は、どんな悲惨だったかを語るが、その状況を語る人がいない。戦争児童文学では、自然災害とどこが違うの?と思っていた。ほとんど自然災害と同じように語っている。戦争を悲惨な災害にあったように語っている。
悲惨さを語る方がドラマになる・・・おこられるが・・・
「平和を生き延びる」事をテーマに語る機会があって、その講演会の前にパースの町を歩いた。トイレのらくがきに俺たちに未来はないと書いてあった。すぐさま私は原稿を書き直した。
サバイブインピースという言葉にたくさんの人が共感してくださった。
しかしその後日本での子どもの本世界大会の時、戦争と平和を生き延びる大変さをいうと、あなたは戦争体験していないからだと非難された。でも戦争を語ることは、しだいに・・・戦争コンクール。悲惨さコンクールになる。
病気コンクールになる・・・これがいやだった。
あなたのいったことは非常に失礼だ、謝罪しなさいと言われた。でも私は謝罪しなかった。
山田真・・・座高を測る。第一次世界大戦の塹壕を作るのに必要で、その名残が残っていた・・わらえた。
私たちはドラマがほしい、たのしいより、不孝はドラマになる。これをやってしまうのが私たちなんだな。・・・
あんたたちは戦争を知らないんだと言う事はわかる。でも生物がただ生きるということでなく、健康な精神をもって平和の状況に生きる事の難しさ。戦争など悲惨な状況のときは課題がどんどんくる。そう言うときは向き合えるのだが・・・。私たちは平和に飽きる、だから何か面白い事がないかな〜とドンパチを起こしてしまう危険性。
ジョージ・ウォーエル、「春の訪れがわからない人間に、労働時間が減った事を喜べる事ができるだろうか。」その事がわかる人がどれだけいるだろうか。
若いお母さんたち・・・イベントの渡り。なんか面白い事に連れて行く。
子どもはイベントがほしい訳ではない。ブックスタートもいらない・・・
自治体と本屋がくっ付いて・・・
斉藤敦夫のスペインに行ったはなし。スペインの人が、なんで子どもに本が必要か?18歳までに本はいらない。お日さま、空、風に親しむ事の大切さ。両方楽しめば良い。日常を楽しむこと。
自治体はいつもイベントを用意しているから・・・それに流れてしまうが・・
言葉って面白い、
高山にいった時、あるお寺に「これからがこれまでをきめる」と札に書かれてあって、嬉しかった。
彫刻家の言葉「君たち、おだてにはちゃんとのれ!」これは大事なこと。
おだてにのれない時がある。おだてにのせようとするときにはもっとはらはらしている。おいとびおりてこい。に相手を信じてポンと飛び込んだら良い。
仕事ってそう言う事。
最近「断念する力」を考えている。
お金を出せば運命を支配できるようになってきた。そのことをやれない親になぜやらなかったと他者に言われる。人間の力を感じる力が大事だと思う。
「親になるまでの時間」奈良女子の方の本紹介し、断念する力の事が書いてあった。
他に「助けを求める力」・・とても必要だし、人と人を繋げる、山田太一もドラマで言っている。孤立しないこと。
最後にチラシに私の楽しみを二三書いたが、最後の一つは・・・
私は、再婚・・・私が37歳夫が35歳のときに再婚。
夫が「ぼくたちは、わすれない、はぐらかさない、我慢しない」でやっていきたい。と言った。
これはものすごくエネルギーがいる。
我慢しない事は難しい。我慢するは美徳だという日本、辛いことはわすれましょうもいうし、我慢することでどれだけ人生を歪めたか・・・
言葉を飲んだろうという暴力行為にちかいことが続いた。
我慢する事はすごく省エネ。でもいつか必ずしっぺ返しになる。
その一瞬は穏やかだけれど、我慢したことで、少しずつ少しずつ距離ができる。
「鉄道員」映画で「こうなることもみんなががまんしていたからよね。」というセリフがある。
気がついたらどうしようもなく距離ができていた。
生徒に「先生は授業で思っていた事を素直にいった。」といわれた。
「午後私のさぼって映画を観に行きます。私心がからからになっているから心をみたされるために映画にいく」と私が生徒にいったんだと・・・生徒が覚えていた。
読み聞かせをすると心が豊かになるといろんな所でいわれるけれど、・・どういうこと?と聞くと、心が豊になるとは、「優しくて・・・」というが、心が豊ってそんなこと?って思ってしまう。
心が豊かになるって、「あ〜無情」を読んで・・・自分の思いに気づく事などじゃないのかな?と。
学校教育は大事な事に触れない。優しい子、他人の思いになれる子だけをいう、隠蔽隠蔽ばかりいう。
「わからない事にとことんつきあうこと。」最首さとるさんのこと。
障害の娘さんに病院に連れて行って診断受けた事がない。これは大変エネルギーがいること。
絶えず聞く。いつもたずねる。そういうふうに言葉をはなさないわが子へずっと関わっている人。
私たちは早く答えがほしい。
ゼミの学生がある時、「先生わかりました!私、親からずっと何で勝たずけができないん!って起こられていたんですが、私は、かたずけられない症候群だったからなんですね」と喜んで言った。・・・
私たちは、わからない事を早く答えを得てすっきりしたい。でも答えを得る怖さ・・・だからわからないでいることの難しさを思う。
早く答えを欲してしまったら・・・とんでもないものにひかかるかも・・・。
わからないことって、思考し続ける事なんじゃないかな。
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以上の清水眞砂子さんの講演会の事を自分なりにまとめ記載しました。
清水さんは大変優しく、真っ正面から物事に向き合っていらっしゃり、また曖昧にされない清々しい方でした。
この社会において、はぐらかす人の多い中、曖昧にしない人がどれだけいるか。
信じられる方がどれだけいるか。
優しさはいいよいいよって何をしても頷いてくれる人や傷のなめあいのような中途半端な行為を優しさと思っている人もいるかもしれない。
でも私は清水さんと出会い三年の月日が流れて、いまやっと少しだけれど、本当の優しい人に出会った喜びを感じています。
優しさって曖昧ではいけないのです。優しさってうけ流す行為ではないんです。
私たちはまやかしの優しさに毒されてきたようです。
それが今の福祉の中に隠されています。
学校で習う優しさって何ですか?
言葉で〇〇と書ける事ではないんです。
本当の優しさって優しさを与える人が本当にエネルギーがいる事なんですよね。
ゲド戦記は私は映画から知りました。
ゲド戦記は、世間では失敗だと言われたようだけれど、私はジブリ映画では一番好きで、映画音楽まで買って聞いていました。場面場面の情景を浮かべて聞いていました。
ゲド戦記の映画表現よりも映画の中の台詞がとてもすてきで、生きることの意味を問いただすような、大事な言葉の数数だったと記憶しています。
それが期待はずれだと評価されたのには、なんかな〜と世間に違和感を覚えました。
ただ本は買ったものの、読む行為にはなかなか至らず、時間が経ちました。
清水さんを知って読んだ本は、児童文学の評論の本やエッセイでした。
その切れ味の良さに少したじろき、出会っていたものの、厳しい人だなとも思っていました。
そしてようやくゲド戦記を読めました。感動しました。
あ・・・あの映画にひかれたのは、清水さんの訳に惹かれて感動していたんだ。と改めて私の感覚に少し嬉しくなりました。
「ゲド戦記」全巻を二人の息子に買いました。
彼等が今すぐ読まなくても、きっと人生の中でこの本の中に答えが見つかる時が来るかもしれないと思ったからです。
今、私は世の中にいろいろ不信を抱いています。それは政権のせいかもしれない。それに従う大人の存在かもしれない。命と思想に偽の行為を施しているから、その行為ほど、人間の本質を歪めるものはないと思います。
「信じる事で生きるられる」・・・本当にそう。
信じられれる人にどれだけで会えるか?
私は最近そう言う人に出会い始めています。だから生きられる。
そして息子たちや、私と出会った小さな子供達にもそう言う人の存在をちゃんと伝えれる。この安心感を今得ています。
こんな時代だからこそ、これが希望と言うのだと思います。