ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


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権力の図式化

暗雲立ちこめて・・・
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昨日特別秘密保護法案が衆議院で可決された。
強行なる可決である。
民意は無視である。
二時間の議論しかせず早急なる可決である。
みな嘆き、皆声を一時失った。
危ない!、危ないのである。
麻生副総裁は、ヒトラーに学んで、皆が静かな時に知らぬ間に事を運べばいいと以前言っていたようだ。
今日本国民は、軍国主義を望んでいるのか!?嘗てのドイツ、嘗ての戦時中日本に憧れているのか?
戦争をどう捉えているのか?
安倍晋三氏は、岸信介氏の孫である。
岸信介氏は戦時中、戦後何をした人なのか、知っていますか?
私たちは、もう歴史から何も学ばない。
嘗ての総理大臣が何をしたか、そんな事学校では伝えない。
伊藤博文は、初代内閣総理大臣で、大日本帝国憲法を作った人である。そして富国強兵、殖産興業で強い国日本を作った。
日清戦争、日露戦争の勝利者日本。
小さな日本があんな大きな国中国とロシアに勝った。
神風旋風である。
いろんなおとぎ話が権力者によって変えられ、悪者を異人に例え、悪事をくじき退治していく日本である。
愛国者は、その嘗ての日本を夢見ているのだろうか?
事実と教科書・・・私たちには歪曲に伝わるのである。
戦時中日本がしたアジア諸国のへの植民地化行動を仕方ないとするのだろうか。
朝鮮、中国人への対応をそして他の国々にした仕打ちを知らなさすぎる。
もう戦争を知らない子どもたちは、僕らのせいじゃないもん!といいつつ、過去の権力者の真似をして、また権力に従った市民の真似をする。
強い?者に弱い人間が巻かれていく弱さである。
どんどん権力の図式化をしているのだ。
民主主義とか、平和とかという文字は彼等にはない。
武力と権力で出来た灰色の世界が広がるのである。
秘密保護法案可決において、市民がちゃんと声を上げないといけない!
まずは公務員が牛耳られる。
いろんな見張りが出来て、自由を奪われる。
見張られる事で人はどうなっていくだろうか・・・想像してみてほしい。
管理の中で人が置かれるという事は、一人一人の心の余裕は無くなり、ギクシャクし、自分の事で精一杯で、他者を思いやる事までの心のゆとりは無くなる。
そして人は、管理が徹底されると、自分がなくなり、ロボット化する。そして他人を売る行為に走る。自分を守るためにそういう風になっていく。
公務員というのは、学校の先生もそうで、今も管理下に置かれ統制されている教師が、もっと統制され、管理される。そのいっぱいいっぱいの先生方に教育を受ける子どもたちは、どうなるか、考えてほしい。
登校拒否がただでさえ増え、いじめ問題で子どもたちは、吐き出す場がなく死を選ぼうとしてしまっている現状に、もっともっと追い込んでいくのである。
ニート、登校拒否等ゆとり教育を受けたゆえにそんな子どもたちを作ってしまったから、もっとしめていきましょう!甘やかしすぎるから子どもはつけあがり、日本の子どもは馬鹿になったという声を聞くが、ゆとりを与えたから子どもがアホになったのではない。
それまでの競争社会に生きて来た大人が子どもを教育し、勝つ事が大事なんだと強いてきた、そして個を大事にしなかったからだ。
なのに、その大人の教育を反省せずして、なぜ子どもばかりを責め立てる。
北風と太陽というお話でもあるように、冷たい北風をぴゅーぴゅーと吹かして男の服を脱がそうとする北風と温かい太陽の光をサンサンと男にあてて服を脱がそうとする太陽。
事は、冷たさからは生まれない。
優しさから生まれるのである。
それが、権力者は、飴と鞭をよく心得ている。
おいしいものを目の前につって、時々厳しくしていく。
その厳しさは、自分をなくしてしまうくらいに厳しく、・・・そしてその厳しさの前にはプレゼントがちゃんと用意されているから、頑張るのである。
けなされて、なにくそって頑張るから次が有る。そういう啓発セミナーやいろんな開発セミナーでやっている。(どちらも同じだが)
でもそのやり方は、卑しさを子どもに作ってしまう。
卑しさは、人を蹴落とし、自分さえという利己的な精神を作ってしまう。
そして、力の突出を願うように育ててしまうのである。
誰かがまた自分を蹴落としにくる恐怖とともに共存しているからである。
飴と鞭の教育は、子どもに恐怖を植え込んで、その恐怖から逃れる究極の心理とその後に褒められる喜びで、どんどん自分という心をなくしていくのである。
そんな悲しき教育が今日本では当たり前になっている。
そしてそれがもっと窮屈な制約のもと行われていくのである。
軍事と絡めて強い日本を作り、秘密国家を形成する事は、私たち国民から自由を奪われてしまうのである。
想像力をなくした日本は、どんどん馬鹿な権力者の餌食になってしまうのである。
私は大丈夫と思う人は、権力者側か、はたまた傍観者か・・・
我が子を思う故に、また今身近で見ているアゴラの子どもたちを思う故に、この法案可決は、何ともいえぬ憤りを感じるのである。
しかし決して諦めない。
あきらめは権力者の思うツボだから。
私が想像する生きやすい日本は、こんな日本じゃないのだから!

ps:この法案が通れば、福島の原発事故の行方すらわからなくなり、オスプレイや自衛隊の動きも私たち市民にはわからなくなるのである。
こんな馬鹿げた政治が有るか!
福島は、広島、長崎のようにもう終わった昔ではない。(長崎、広島も終わってはいない)
まだ今ここにある。
どうか福島を忘れないで!
中国の情報がテレビで流れている。その情報さえも、本当か嘘か・・・
報道に流されず、大事な事実は、外にはない。
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by polepole-yururin | 2013-11-27 15:11 | Comments(0)

日差しの中で思う事

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優しい日差しが私たちを照らしている。
そのまぶしさに安堵して明日を思う。
けれど、今日本はこの日差しさえも感じ取れない大人が多い事か・・・
新聞やテレビでも「特別秘密保護法案」について議論がなされている。
もっと前にマスコミや新聞がもっともっと言い続ければいいものの、政治が危なくなりはじめてテレビ画面上や新聞に載り出す。
これが駆け引きで、これがマスコミの、これが社会のやり方なのだろうが、もっと早くから情報として異を表明し続けてほしい。
それでなくば、国民は情報をキャッチできない。
情けない話だが、国民の大半は、ネットからランダムに情報を取り入れ、さもなくばテレビニュースからの情報で社会の出来事をキャッチする。
もう新聞から情報を取り入れようとする者は少ないだろう。
新聞を読んでも、いろんな新聞があるから読まれている新聞の違いで情報も変わるし・・・
私も嘗ては新聞もあまり読まない人だったから、世の中の情報の捉え方もよくわかる。
だから、今この現状を歯がゆく思うのである。
公園でゲートボールをしているお年寄りたち、中学の役員会で出会う親たち、ショッピングセンタ―にたくさんの人たち・・・そういう人たちとすれ違うたびに、「今の社会を、いまの自民党を何も思わないの?あなたたちは、なぜのほほんとしているの?これはたまたま今一瞬のあなたですよね?」と聞きたい。
ちょっと前に、友人から突然アーサー・ビナード氏の講演会のお知らせとYouTubeを添付してメールが送られてきた。
YouTubeをいくつか見て、講演会に息子を連れて行った。
今まで思っていた私の違和感をアメリカ人であり、詩人である彼が言葉の罠について語っている。
ちょうど小説を書いていて、言葉について書いていたものだから自分の考えを確かめるのに大変いい話だった。
昨日は知人から清水真砂子さんのYouTubeを添付してメールをいただき、早々に清水さんのYouTubeを見た。
実は私は、絵本を二冊自費出版し、その本を編集してくれた青年が、私の本をもって彼の尊敬する編集者に会って、清水さんを紹介されたという。
その流れで、清水さんの事を知った。
「ゲド戦記」を翻訳された児童文学の評論家の清水さん。
その方の話は、たいへん聡明で、今の社会を教育者の立場からちゃんと捉え、分析し、何が大事で何が危険なのかをしっかり伝えてくださっている。
競争社会への投げかけ。感情を失っている子どもたち。幼児教育から小、中、高、大学・・・教育がもはや商品化している現状と統制された管理下に置かれた教師たちが、子どもたちに何を教育するか。教育者だけでなく、公務員は国に管理され、会社員は会社に管理される。個は尊重されず、国や会社に従う人材がいい人なのである。
だからいい子は、その先生の意向に従える子なのである。
戦時中の日本とよく似ている・・・
そんな風に日本という国が、戦後憲法改正で、「大日本帝国憲法」から「日本国憲法」になって民主主義になったのに、自民党なのか誰なのか・・・じわじわと労働組合等の国や会社への圧力を排除し、知らず知らずに統制されていたわけである。
それが、度を超した。
テレビでどうでもいい情報を流し、馬鹿な番組を流し、何も思考出来ない人たちを作った。
もうテレビなしではいられない・・・
教育では、国のための子を作る教育がずっとなされ、右に倣えを強い、学校という大勢の意識を力にし、個の異を排除する。
この国は、個を大事にしない。
個がそれぞれ自立し、成長すれば、今の政府の思う国としては、不都合な人材育成になるからだ。
政治家、官僚、企業人・・・上に立つ者は賢い。
よくもここまで見込んで長いスパンで国作りをしていたか・・・
あ・・・一息ため息を漏らして、次をゴクンと飲み込んだ。
原発事故は私たち国民に見せてくれている。
この日本という国が、何を大事にし、何を企み、何をいらないものといして国作りをして来たか・・・
自然の中に身を置いて、温かい日差しに包まれると、自分の纏った鎧がどんどん溶けていく。
私は、私だったんだと。

ps:清水真砂子さんとアーサー・ビナードさんのYouTubeを是非!
今思考しなかったら、この先思考する事はないくらいに、危ない日本だから・・・
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by polepole-yururin | 2013-11-25 11:35 | 思うこと | Comments(0)

ヘリコプターブンブン

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ヘリコプターが空にブンブンとうるさい。
11月に入って朝、昼と何度も行き交う。
最近では夜にもブンブンとうるさい。
昨日1時に目が覚めたら、またブンブンとヘリコプターの音。
この苦情を何処に言ったらいいのか?
でもこのヘリコプターの音は、私しか聞こえないのか・・・
私はうるさいという事よりも、この自衛隊のヘリコプターがなぜこんなに行き交わなければならないのか・・・とそこがなんともざわめくのである。
戦争という直接的な発想ではない。
が、なぜ、ヘリコプターがブンブン大きな音をたてて行き交わなくてはならないのか?
民主党のときはそういう事はなかった。
自民党になって予算が軍事費にかなりの額を投じられ、その予算の中で防衛のために訓練するのか?
何処の敵のための訓練か?
尖閣諸島、竹島・・・中国、韓国の牽制のための防衛か・・・
防衛、予防・・・もうこういう考えで作られた社会は終わりにしたい。
誰々が襲ってくる。ばい菌がやってくる。いつ事故が起こるかわからない。何が起こるかわからない・・・防衛、ワクチン、過剰の消毒、生命保険、自動車保険、火災保険、あげくに年金・・・
年金を私も20代より払い、今も払い続けている。が、年金は何十年後の私にちゃんと届くのであろうか・・・
子宮頸癌はウイルスが原因だという話から、ワクチン投与が中学生の女子に!という話がこの何年かで出た。私は医療から離れていて、息子しかいないのでその事について知らなかった。
私が学生時代で習ったのは、子宮頸癌は、経産婦に多く、汚い事をしていると罹患する確立が高くなると何となく統計的な話を覚えたが・・・その10年足らずで、ウイルスが原因となった。
でもそのワクチンによるけいれんの発生率が・・・という指摘する医師も多数いて・・・
要するに、医療自体も変化する。正しいと今は言われていても、それは絶対ではないという事である。
ちなみに8年前にはいい薬で、副作用もない薬だと言っていたのに、年々その薬を飲んだ患者が増え、その当時は出ていなかった副作用を8年経って副作用を訴える患者が増えて、確率的にこれはこの薬の副作用だという事になって、今になってその薬の副作用の欄にその副作用が書き添え足れているわけである。
つまり、薬も今はいい薬と言っていても何年か先は、どうなっているのかわからないのである。
保険も、死んだり、けがをしたり、事が起きれば、その賠償が変換され、保険に入っておいてよかったね。と安心ムードになるが、何もなかったら、そのお金は安心料として消えていく。
今の社会は、不安を煽り、その心理につけ込んで安心を得るために対応する生き方をしているようである。
防衛も架空の敵に向かうための訓練をして、テロと戦う!と命名して私たちを守っているといい、多額の税金を使っているわけである。・・・騒音障害を我々は感じながら・・・
騙されやすい人間が多いのか、騙ます人間が多いのか・・・

不安を抱くのは人間として当然である。
特に死に対しては誰だって不安を覚える。
「死の瞬間」という本を出したキューブラ・ロスは、医者であり、精神科医だった。
その医師であるキューブラ・ロスは、たくさんの患者を診て死を迎える人たちの心理状況を段階をおって書き記している。
しかしキューブラ・ロスが癌を煩い、死を間近に迎えた時、「死の瞬間」を書き記していても本人は錯乱し、異常に怯え、死を拒絶したという。
それだけ、死というもは不安を持つものなのだ。だから、その死に直結する癌や交通事故や様々な事を出来るだけ回避できるようにと考え、あらゆるものが出来た。
不安と安心が点在する。
その心理につけ込む大人たちである。

今本当にこの社会は、いろんな言葉で偽装する。自分を正当化するために、自分を有利な方にもってくため、儲けるために偽装する。それが大人社会だと言っているように偽りだらけである。
徳洲会の事件も政治と医療の癒着を見事に表沙汰にした。医師会と政治と医療の実態。
政治家は私たちの国民の税金を使って国を動かしている。
その税金は、国策の原発に多額のお金を投じ、除染に投じ、日本の国民の安心を不安に、そして不安以上にひどい状態にしてしまった。
原発の企業も除染の企業も軍事産業の企業も顔ぶれはよく似ている訳である。
こんな社会は、日本だけではないのだろう。多国籍企業と呼ばれる企業が世界に鎮座している。
その企業は、何でもやってこなす。お金が動くところにちゃんといる。

私は子どもの時、私の取り巻く大人たちに安心し、私の周りには優しい人たちがいっぱいいる。なんて幸せなんだろうと思った事があった。
正直に生きる人たち、お金持ちでなくとも安心を私にくれた。お金がなくとも身一つで守ってくれた。
でも今私の目に写る大人たちは、嘘ばっかりである。
あげくに安心を与えるために不安をどんどん持ち込んでいる。
ヘリコプターなんていらない!軍隊がこの日本を68年前にぐしゃぐしゃにした。
世界をぐしゃぐしゃにした。
防衛と言う名の核武装のおかげで、日本は放射能まみれである。
安心を奪ったのは、誰だ!
それでもチカラに従う国民がいるのかもしれない・・・この日本という国は。
これが現実さ〜という大人がいる。しかたないという大人がいる。

・・・でも従えない大人もいる。日本昔話や童話を鵜呑みにした子どもがそのまま大人になったからか・・・emoticon-0142-happy.gif
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by polepole-yururin | 2013-11-15 11:37 | 政治(思う事) | Comments(4)
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美術家で京都芸大・彫刻科教授・中原浩大氏の個展を見に行った。
岡山県立美術館にて行われていた個展・「自己模倣」
11月4日は最終日であり、学芸員の方と中原浩大氏とのフリートーク会もあった。
それにあわせて、参加した。
中原浩大氏は、現代美術界では歴史に残ると言われていれる人で、美術手帖という雑誌ではよく取り上げられている人である。
二十代は看護師として、その後は主婦として生きて来た私にとって、そんなにすごいと言われる中原氏を知る機会なんぞなかった。
知ったのは、KAMEの翼プロジェクトのサポートをする事になった4年前。
KAMEの翼プロジェクトを発起するに至り、若者アーティストをサポートする際、選考される若者は、発起人の渋垂氏の信頼置ける二人に!ということで、2010年12月京都芸大の彫刻科の研究室でその話を詰めた。
そこで、中原浩大氏と日比野克彦氏に初めて会った。
その日まで、中原浩大氏と日比野克彦氏の過去の資料を渋垂氏に渡され、説明され、二人のアーティストについて思考した事を思い出す。
2010年、夏、京都近代美術館では、中原浩大氏を含む京都芸大と京都大学大学院医学研究科との共同研究の作品展示がされていて、そこで間近で中原浩大氏の作品を見て、触ってみた。
その後KAMEの翼プロジェクトへのリーフレットの絵や、文章を読んで、彼ってどんな人なんだろうと思考した。私はKAMEの翼のブログや新聞を担当しているため、KAMEの翼プロジェクトの趣旨やそのプロジェクトに参加してくださる方々の事を他者にちゃんとわかりやすく伝える役割が有るために、彼等を知る作業は、その頃から始まった。
そんな矢先、2011・3・11が起きた。
大きな震災は、私たちに問うた。
2011年5月13日〜17日までKAMEの翼の静岡メンバーと被災地の宮城県牡鹿郡女川町へ支援に行った。その時京都から中原浩大氏と黄瀬氏が私たちと加わり、女川町の第4保育所で「カメパオ」作成をした。
阪神淡路大震災後思考され、子どもたちの居場所を想定して作られた「カメパオ」を初めて実際の被災地で制作することになった。そこに私もいさせていただいたわけである。(ちなみに私はカメパオに中で遊ぶおくるみやクッションなどの縫い物の作品を大量に作ってもっていった。)
中原浩大氏は、カメパオの制作図面を丁寧にファイルして女川の保育士さんに渡した。
そのファイルされた図面や資料は、本当に精密であり、丁寧なものだった。
美術家というと、岡本太郎を私は連想する。なんか大胆でかついい加減で、本人しかわからない殴り書きのようなもんか・・・と美術家を自由人=いい加減という見方で見ていた。(岡本太郎さんには悪いがあくまでもイメージで)
しかし美術家(いろいろいるだろうが)って本当に精密で丁寧で、設計士以上に正確なのかもしれないと思った。
「ちゃんと見なさい」と渋垂氏にずっと言われ続けた私は、彼等が本物アーティストと呼ばれる由縁をずっと探していたのかもしれない。
そして崩壊された宮城県石巻市のホテルの一角で中原氏と仲間と寝袋を並べて寝た。
こうして私は初めてそこで「カメパオ」を目にして実際に入り感じる事が出来た。
さて、そういう経験を経て、今回の中原浩大氏の個展「自己模倣」を見に行った。
岡山県立美術館の玄関の窓越しに、中原浩大氏の写真とおめでとうの絵の作品が大きく一面を飾っていた。
有名人ってすごいな〜って私は思った。
そして中に入ると、まずトランプリンのような作品がで〜ん!とあり、そして会場に大きなレゴの作品が2体並べてあった。
「お〜!これがかの有名なレゴの作品か!」とちょっとうれしくなった。
規則的なのか不規則なのか・・・赤をベースに白、青、黄色のレゴブロックで組まれ、中は空洞の長細い大きな作品である。
こんなに大きな作品をつくっているときの中原氏の頭の中、心の中をのぞいてみたいと思った。
今回会場を撮影する事は出来なかったので、資料の中からの写真を添付するが、下の作品が2体会場入り口に並んでいるのである。
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そして様々な過去の作品とそれを模倣した作品が並んでいる。
渋垂氏に説明され、美術手帖やいろんな資料を思い出し、実際目の前に彼の作品が有る事になんだか言われぬ幸福感に浸った。
といっても私は美術の事は全くわからない。
だが、20年以上前に美術評論家が絶賛した作品を見れた事に、私の知らない歴史に触れたというか、タイムマシーンに実際のって過去を見れた面白い感覚に包まれたのである。
KAMEの翼プロジェクトは、20年前の静岡県島田市であった「紙わざ大賞展」がきっかけで出来たプロジェクトだと言ってもいいのだろう。
「紙わざ大賞展」の発起人のひとりが渋垂氏で、その会場には審査員として、現代美術評論家の(故)中原佑介氏、デザイナーの(故)福田繁雄氏がいて、招待作家として日比野克彦氏、中原浩大氏がいた。そこに今活躍中の光のアーティスト高橋匡太氏は、大学院生としてその場に参加していた訳である。
東海パルプ工場の工場内で9号機を見て、制作をする作家たち。
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紙を使う美術家は、何気なく日常にある紙の正体を見て作品を作るべきだ!と渋垂氏は言った。
紙を生み出すには大量の水と大量の化学薬品を使い、汚染物質を川や海に流す・・・この行程を知ってこそ美術家は、作品を作る意味があると渋垂氏はいっていた。
たしかに工場内にいる作家たちと、紙の材料に使われる大量のチップ材の上でインタビューする日比野氏と中原氏。
彼等は、突き詰められたんだ。(あの頃・・・)
その当時の事を振り返り、高橋匡太氏は、あれが僕の原点だとKAMEの翼プロジェクトのフリートーキングの時に毎年その頃の話をしてくれる。
学生だった高橋さんにとってもそれだけ思いっきり思考し、思いっきり制作し、思いっきり表現した日々だったんだと思った。
「自己模倣」でも紙わざ時代のものがたくさん展示されていた。
東海パルプの工場に彼の家族の写真があり、そこからいろんな殴り書きのような色鉛筆の絵は、わたしにとってすごく印象的で、あの当時の若き中原氏が思いっきり思考し、はじけて生み出されたんだな〜ここの作品の数々は・・・と思った。
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この椅子は、浜岡カントリーで展示された作品で、「これも作品なん?」と渋垂氏に聞いた。
「これは乗ってみないとわからない。乗ってみて初めてこの面白さ、心地よさ、不思議さに気がつくんだ」と言った。
そうなんか〜・・・現代美術ってほんとよくわからない。
固定した概念がないのだから、それを何でもいいとこの静岡のある美術を支援する団体は、「現代美術だから何でもいい!だから美術をわからない私たちでも出来るんです」と語っていた事を思い出す。
でもその団体がいう「何でもいい」が本当は何でもいいのではない事を感じたい訳である。
「この椅子は、体感してこそいい!と渋垂氏はいった。
見るだけでなく、触ってみて、体感して感じる作品が現代美術の幅なのか・・・
一度座ってみたいものだと思った。
そしてこの作品をみて、去年KAMEの翼プロジェクトの選考作家の加藤元さんの去年の作品を思い出した。
椅子の上に糸で吊るされた棒。扇風機の風が流れ、その糸に吊るされた棒がクルンクルンと回る。
変な違和感と、なんか不思議な感覚を感じたな〜って記憶を辿る。
加藤さんは、今回の中原浩大氏の作品展を見てどう思ったのだろうか?そんな事を思った。
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そこには、テレビモニターがいっぱいあって、そこに唇が異様な動きをしているアニメーション?が映し出されていた。
あ!・・・加藤さんと同じく選考作家だった大見明子さんの作品を思わず思い出した。
大見さんは、アゴラの子どもたちの17年の間溜められた絵を題材にして、アニメーションで、子どもたちの静止画を動かした。その作品がモニターにいくつも映し出されていてた。そして永遠に動き続けていた。
大見さんと中原浩大氏とは違うけれど、モニターをいくつも使って作品とする表現方法は、有るんだな〜って思った。
こうして見ていくと、中原浩大氏が、いかにいろんな表現方法をあみだして、アートの領域を変えていったのだと思えてならない。
作品なのか、コレクションなのか、実験機器なのか、発明家なのか、アルバムなのか、単なるオタクなのか・・・その不確かさが無限を生み、固定概念を持たない。
ただ「変なの」・・・という言葉でも言い表せるものなのかもしれないが、この「自己模倣」という個展を見て思った事は、「変なの」はたいへん真面目で、たいへんスケールの大きい、たいへん綿密な作りで、たいへん丁寧で、たいへん今を思考した作品を作られている人なんだという事。
学芸員とのフリートークでは「反省会」と称して話が勧められた。
その中で、中原浩大氏の苦悩が見て取れた。
学芸員は、「大変ポジティブで、前向きなので・・・」と自分の事を言っておられたが、そのポジティブとか、前向きというのは、自分への解釈であって、実は都合がいいすり替えをしているだけなのでは…と思った。
アーティストは、作品を誠心誠意自分の思いのままに作るのである。
だから会場にあわせて作るのではない。
作品展示をする場所が先で、作品が後となる場合も有るだろうが、公共施設の美術館は、作品が先で、それを展示したいと意向を示すのが美術館であろう。
しかし、今回の中原氏の作品は、美術館側の誤算があって、作品をありのままの状態で展示する事が出来なかった。
そして資金的な負担も中原氏に来てしまった結果となった。
依頼があって、作品展示をする。
作家の意向を何処までくんで表現の場とするか・・・
展示された作品は、見る側とすれば、これが中原浩大氏の作品だと思ってしまう。
しかし、今回の個展は、天井の高さや天井の強度、展示場所と公共美術館としての条例問題を含めて、未完の状態の展示となんてしまった事を聞いて、作家の苦悩を感じるのである。
美術館は、なぜ中原浩大氏の「自己模倣」を展示したかったのか?
瀬戸内国際芸術祭にあわせての岡山出身の作家である中原浩大氏の個展を提示した美術館だった。
だとしたら、地元出身の作家の作品をもっとちゃんとリサーチし、作家の負担も考慮したうえで、この仕事に望んでほしいとこんな素人の私でも思ってしまった。
痛手を受けるのは、いつも公ではなく、個人である。
手を抜く作家だったら、いいよいいよと、その美術館という大舞台での展示を大喜びするかも知れない。
しかし、そこに自分の負担をいとわないのが、本物作家なんだと思うのである。
なぜ、作品を作るのか?なぜ表現をするのか?・・・・
KAMEの翼プロジェクトで若者を選考する立場にある中原氏や若者にエールを送る先輩アーティストの高橋氏は、名声のためでもなく、金のためでもなく、自分の為に表現するのである。
売れるために存在する、金のために存在するアーティストは、もうすでに自分を見失っているのだろう〜・・・
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ps:渋垂氏は、思いっきり試す機会を若者に与えたいと思って、KAMEの翼プロジェクトを発起した。
原点を辿ると「紙わざ大賞」は、若者に思い切り試す機会を与えた企画だった。
島田市と東海パルプと様々な協賛企業が支えた企画だった。
だから確かに思いっきり表現するための資金はあった。
KAMEの翼プロジェクトは、あの当時とは違う、一人一人の支援により成り立っている。若者に思いっきり試してもらえる機会を、利権なしで一人一人の思いで若者を支えるのである。
規模は、いろんな企画展からみれば、小さいかもしれない。
でもなぜ、利権を外し、個人のサポートのみに限っての企画を思考したか・・・
それは、制作する若者が純粋に自分を表現してほしいという事と、コマーシャルとかいろんな事で身動きできないようにならない事、そして支えているのは、若者を純粋に支えている人たち個人だという事。
支える人たちがもっとわかりやすく、もっと身近にそして、その支えてられている思いも感じてほしいのである。その事は、作家からしては、重い話かもしれない。単純に資金を得て思いっきり好きなように試させてほしい。自由に〜という気持ちはわかる。
けれど、作家も人の思いを感じてほしい。
KAMEの翼プロジェクトは、阪神淡路大震災から始まった・・・子どもたちの居場所、子どもたちを守る事。カメ型シェルター「カメパオ」から渋垂氏は、里山のアゴラ子ども美術工場を作った。そして15年・・・子どもたちは巣立つ・・・守られていた子どもたちは自立していく。そこに「紙わざ」の思いっきり試した若者を重ねたんだ。
思いっきり試す機会のない若者へ、渋垂氏の出来る範囲のサポートでした。
支援が多ければ、規模は大きくなる。支援者が少なければその範囲になる。
これは理想に近い発想です。その理想を渋垂氏が現実化した。
今まで制作された若者は、いろんな思いを抱いていると思いますが、純粋にサポートしているKAMEの翼です。f0215179_10492457.jpg
そしてなぜ里山なのか・・・人が行き交うところで展示すれば人はたくさん来るでしょう。美術館ならすごいでしょう。でも里山…田舎だという事は、今の社会を本気で思考しようよ!って言うメッセージなんです。この原発事故がなぜ起きた。なぜ今社会は大変なのか・・・優しさの欠除が、この社会。
中原浩大氏が「自己模倣」で語った事・・・思いっきり試す機会を与えるのも優しさなんだという事だと私は思うのです。
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by polepole-yururin | 2013-11-06 11:34 | カメの翼プロジェクト | Comments(0)