ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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ゴミ

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今日は可燃ゴミの日で、朝から重いゴミを公園のゴミ置き場に持って行った。
一週間で大のごみ袋いっぱいになる。
ごみを減らそうと試みるも、なかなかゴミが減らないのが現状である。
我が家でこんなに毎週出る。そして公園のこの一部の地区のゴミがこのように週に二回溜まるのである。
この町の丁内では可燃ゴミの場所が5か所以上ある。
そう思うと、考えられないごみの量である。
ここでは燃せれるので、ま~当たり前のことのように思えるが・・・
3月にあったフリージャーナリストの渡辺幸重氏の「私たちはフクシマ後をどう生きるか?」という講演会の話を思い出した。
福島第一原子力発電所から20キロ圏にある広野町、その町には今住民はほとんどいなくなった。
そこの住民は、今は原発作業員と少数の民宿を営む人たちである。
サッカーのメッカJビレッジのサッカー競技場は作業員の官舎が建つ。
その近くに倉庫があった。
その倉庫には、従業員のゴミが毎日溜められる。
このゴミはわが町のゴミのようには、燃せないのである。
溜まる一方。
渡辺氏が、「人間が生活するということはゴミを出すことなんですね。」といったことを思い出す。
燃せないごみが広野町だけでなく増えている。
今ちょうどがれき処理の問題の話を朝いちという番組で取り上げている。
引き受けられない問題は、放射能の問題であるからだ。(ダイオキシンの問題もあるが・・・)
朝いちでは環境省の細野氏も出て安全を訴えている。
島田市長もでた。
すべて手作業で分別して木くずだけを取り出しているとあったが、その作業は何の防御もなく人間が分別している。線量を計ればこの静岡よりも低かったから安心だとある。
がれきが撤去されないと進まないという国の体制と地元のある方の話と・・・
何々が進まないと復興がうまくいかないという思考がおかしい。
この前、原子力村の内密な会議の話がニュースに取り上げられていた。
改ざんする原発推進の方々。
放射能のゴミを地中深く埋めることと六ヶ所村の日本原燃の存続。
六ヶ所村の核燃料サイクルも然り、地中深く埋める処理も然り・・・。
地中深く埋める場所はさてどこにあるのか???
岐阜県東濃地区(日本のど真ん中)にボーリング調査している場所がある・・・
狙われる過疎の村の自然の中に~。
核のゴミは、行き場をなくす。
その核で汚染された?がれきが行き場をなくす。
その核の汚染された人間ゴミも行き場をなくす。
日本中が、放射能で翻弄されている。
そんな翻弄されている原因(放射能)を未だに扱う日本の国策に先を見いだせず、またこの国策に加担する人間の存在とうまく使われる情(心理)というものを怖くも感じる。
いま昔のように、日本からゴミをなくすことが本当にできるのだろうか?
ウランのまま地中に化石燃料としてそっとしておくことはできなかったのか・・・
私一人が、生ゴミを堆肥にしてゴミを減らそうと5年前から試みていようが、何の対策にも至らないのだろうか・・・そんなことを思いながら家路につく。

ゴミ問題は一人一人の思いから。核の問題も然り~。
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by polepole-yururin | 2012-05-28 08:06 | 原発 | Comments(4)

金環日食

今日は、金環日食の日だった。
早々に太陽観察オペラグラスを買って朝六時半から待機する。
主人と下の息子が陰り始めた太陽を観察する。
あまり関心のなかった私だったが、だんだんと暗くなっていく様子に異様な感覚を覚えた。
我が家の庭も少しずつ暗くなってきた。植物たちはどんな気持ちなんだろう?
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思わず太陽を仰いだ。
今、金環日食の情報が飛び交う中で、みんなそれは当たり前の事だと知っているから、見たいという好奇心が先に立つ。
でも昔の人は、怖かったに違いない。
太陽が欠けて、明るかった日中が闇に包まれるなんて〜。
確かに温度も下がった。
動物たちはソワソワし始めた。
卑弥呼の時代、金環日食があった。
その光景を世の終わりとし、人々はその状況に恐れをなし、騒ぎだした。
そして卑弥呼は呪術的な呪いを施し始める。
人々は、太陽に祈り、卑弥呼に祈った。
その後太陽はもとに戻り始める。
暗闇の中から太陽を呼び戻したすばらしき卑弥呼様!となったのだろう。
自然現象は、人に恐怖を与える。しかしその真逆に喜びも与える。その感覚を卑弥呼は呪術にうまく取り入れたのだろう。
人の心をつかむ事は、恐怖と奇跡のバランス。
神格化するための何か・・・
古代ローマ帝国、キリスト、お釈迦様、アッラー、モーゼ・・・人の心を統制するために歴史ではそのような事が起きていたのだろう。
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7時30分、金環日食完了。(テレビではちょっと遅かった)
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確かにこの状況は何とも言えぬ感動と恐怖を得た。
神秘である。
神秘とは、神様の秘め事。
秘め事って我々の中にワクワク感を与えてくれる。
なんかくすぐったいような、おなかの中がぐぐぐ〜ってくるような・・そしてウォーって叫びたいような感覚・・・ワクワク感♩
神様は、自然の中にそんなたくさんの秘め事を我々に与えてくれたのだろう。
私は、神格化された人ではなく、自然の神秘にゆだねて生きていきたい。
そしてだんだん陰りがなくなり、光が射してきた。
太陽の日の光を浴びて、つるバラニュードーンが輝きを増した。
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ピンクの月見草も♩
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アーチのつるバラ、アンジェラもバフビューティーも♩
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セージも♩
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クレマチスも♩
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我が家の庭も安心したように静けさを取り戻した。
そんな気がした。
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by polepole-yururin | 2012-05-21 20:21 | 宇宙 | Comments(4)
昨日は雨の中、友人が本を返しにきた。
最近その友人に時折我が家の本をお貸しする。(昔からよく知り合いに様々な本を貸し出している)
そんな彼女と昨日は原発の話をした。
彼女も今のマスコミ、テレビの情報に不信を感じ、インターネットでの情報を探していると言っていた。
女川はもう行かないのか?女川までどれくらいかかるのか?実は福島へ入ろうかと思うと・・・
この間は原発のデモに行ってきたという。
浜岡原発近隣に住む友人に原発についてどう思う?と聞いたらしい。
すると、「興味ない」と返ってきたという。
。。。。悲しかった。誰とも原発、社会情勢の話ができないと友人は言う。
そう、私たち主婦間の話は、社会がどうのこうのという話にはならない。
子供の受験、塾、ファッション、ダイエット、どこどこがおいしい・・・社会の事と言えばワイドショーの話か・・・。
「なんでだろう?・・・日本はどうなるのか?・・・・内部被曝の事もそう。私は息子たちにも家族で原発の事を話している。」と友人は言った。
確かに今日本は本当に過渡期にいるのに、大事な事を決断しないと行けない時なのに、無関心である。
幸せぼけというが、幸せなのかどうか・・・それよりも右にならえの軍隊式な風潮が残る日本であるから・・・疑わない、事なかれ主義の日本人が戦後民主化をいいながらも民主化もどきであったり、自由といいながら、自由の本質を間違え、何でもありというニアンスに置き換えてしまった。
正義の意味も返られた。
たまたま昨夜息子が録画しておいたドラマ「リーガルハイ」(堺雅人主演)を見た。
弁護士が正当でない事件を、言葉巧みに操り、勝利を勝ち取る。
面白いようで、正しきものが泣き寝入り・・・
こんなもんドラマやし・・と言ってしまえばそれだけだけど、こういう事は現実社会でも嫌というほどある訳で・・・この世に悪はなくならないと境正人は言ったが、本当にそうか。
悪を容認する大人が多すぎる、すり替える大人が多すぎる。利己主義な大人が多すぎる。
今日来た友人のような同世代に会う事は少ない。
たとえ会っても、宗教、ビジネス・・そういう背景を持って絡み合う人間関係。
個人で自ら動き出しモラルを意識するこの友人を突き動かすのは、友人の中にある正義なのかもしれない。
原発推進と反対。そのあいだにどうでもいいよという民衆がいる。賛成していないから・・・多分原発はなくなるでしょう・・・私たちは動かなくとも世論はそうだし・・・
でも世の中、どうでもいいという中途半端な意見は、容認しているのと同じに見なされ、力のある方向の票となる。
友人はもっと知りたいと言った。
そして帰りにこの間ブログであげている本を何冊か貸した。
今子育て世代が、動き出した。意識ある人から少しずつ・・・
昨日はそんな日でした。

そして今日は晴天。我が家の庭は今バラの季節。
様々なバラが咲きほこり、バラの香りで充満している。
ピンクのバラはメアリーローズ。とげの少ないイングリッシュローズは扱いやすく、美しい。
黄色いバラは、グラハム・トーマス。ほんとうにかわいいバラ。
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赤いバラは去年は全然咲かなかったつるバラのアンクルウォーター。
その横の赤とオレンジのバラはアンネのバラ。色がオレンジから赤みがかって変化していく。
丈夫で、かわいいバラである。平和を願って作られたバラだけに強健である。
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クリーム色がかったバラはイングリッシュローズの代わり種のウィンチェスターキャシードラル。
あまり大きくならないけれど、毎年咲いてくれる。





その下の紫のバラはカーディナルドゥリシュリュー。日陰でも咲いてくれる。このバラは一季咲き。
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玄関先の日陰にあたる場所には、白いつるバラのソンブレイユ。
とげの鋭さには滅入るけれど、こんな日陰でもたくさん花芽をつけて咲き誇り、香りも満点のソンブレイユはおりこうさん。
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我が家の北にはコーネリアが満開。
今年は本当に大きくなり、たくさんたくさん花を咲かせました。
今年は虫もあまりつかないので、うれしい♩
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この庭を見に来てください♩
そしてお茶でもしましょう!
そしてこどもたちの未来を語りましょう♩
我が家の小さな図書館・・・いつでも本貸し出しします〜emoticon-0118-yawn.gif
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by polepole-yururin | 2012-05-16 09:38 | 花のこと | Comments(10)
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今日は母の日だ。
毎年、我が家では母の日の企画で、近所の子にアロマの石けん作りをしてもらっていたが、今年は、息子の中間テストと重なり、今まで来てもらっていた子たちも中学生になったもので、連絡しづらくなってしまった。
去年は、医大の小児科の子どもたちにその企画を持ていってあの子たちにも石けん作りをしてもらったな〜。(2011年4月「母の日に向けて〜」・5月のブログ「母の日のプレゼント」参照)
そのボランティアも意味があるのかどうかと思案して・・・。
一時しのぎのイベント企画では、意味がないわけだから・・・。
病院側もボランティアとの連携ができていると言えば難しく、ボランティアはボランティアで、病院業務は病院業務な訳だから・・・。
今年は自分事で忙しく、なかなか遠方移動できなく、少々いらだち・・・
そんな感じで朝起きてみると、私の鞄の中に白い紙袋が入っていた。
何だ?とあけてみると、上の息子からの母の日のプレゼントだった。
ハンドクリームと手紙だった。
京都に修学旅行へ行った時に買ってきたようだ。
「直接言葉を恥ずかしくて言えないけれど、いつも感謝しています」と。
小さなハンドクリームだったけれど、うれしいプレゼントだった。
そんな事はよそでは当たり前の事なのかもしれないけれど、我が家は、息子二人ということもありか、息子たちにとって私は当たり前の存在で、感謝される事、プレゼントをもらう事なんてなかった。
修学旅行の買い物の時、宝くじショップがあった。
ここは1億円が出ました。とあった。
息子が、「もし一億円あたったら、お母さんならどうする?」って聞いた。
「まず、カメの翼に寄付する。被災地出会った方々に直接もていって何かいい方法で使ってもらえるようにするかな?・・・ま、いらない」と。
「そういうと思ったけれど・・・僕だったら、おいしいもの食べて、旅行して・・・」
「おいしいものってなに?」
「おいしいものは、肉とフカヒレと・・・」
「一億円なくっても肉も食べてるよ、フカヒレだって昔食べたじゃん。おいしいもの・・・きりがないね。旅行もいってる。一億円がなくても行けるしね〜たくさんなくてもね。」
「ま、そうだね。おかあさんはそういうと思ったよ。」と息子が言った。
ショッピングセンター内は母の日のプレゼントコーナーで埋め尽くされていた。
「母の日か〜」と息子がぼそっと言った。
最近私はかわったかもしれない。
意思を持ったかもしれない。
今までは世の中をそんなものだと言い切り、仕方ないとかそれが世の中だからと言い聞かせていた。
その思考は、家族間の中でも持ち合わせていたかもしれない。
その思考は、疑問を答えをなくして押し殺してきただけで・・・
今その疑問を思い出して、自分なりの答えを探し始めると、いつの間にか社会の仕組みに自分の思考が停止して、麻痺していた事に気づき始めた。
無難に生きる事、安定を望み始めると人間は自分をなくす。
今息子は受験生だ。高校進学で振り分けられる。今から何になるかを強いるようになった中学。
中学だけでなく、世の中は振り分けされていく仕組みをとっている。
生きるとは職業選択で決められるように話される。
何もわからない中学生は、ようやく意志を持ち始めた時に知らず知らずに振り分けられるのである。
その振り分けが試験である。
あなたは何がしたいか?
そんなもん大人が社会でたいへんだと言っているところで、何になりたいかなんて決める事なんてできないよ。
今子どもにいう。
本当にしたい事をやりたいことを選択して生きなさい。
自分の今の成績で自分のやりたい事を当てはめない事。お金がすべてではない事。常識はテレビや雑誌ではない事。・・・・・
そして原発、震災、わからなくとも話し続ける。私が知り得たことを子どもたちに伝える。
ここ一二年うるさい母親であったかもしれないが、その母親を毛嫌いしていなかったのかなっとちょっとうれしかった。
世間では、親の職業で子どもを同一化して見る傾向がある。
お父さんが○○だから、お母さんが○○だから・・・
我が息子たちに、この枠にとらわれず、自分の生を面白く生き生きと歩んでほしいと願うのである。
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by polepole-yururin | 2012-05-12 20:59 | 子供たち | Comments(8)

内部被爆

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54基ある原発が止まった。
うれしいが、この状況は、ドイツのように完全に止めてやめるのではなく、一時的な検査のための停止である。
各地では、反原発のデモ行進があったり、新聞でも各地の反原発をずっと訴えてきた方の様子が載っていた。
一時反対をする機会はあったものの、国策故なのか、反原発に対する抗議は犯罪者のようにとられ、威圧をかけられ、ひとりひとり寝返っていった。そんな歴史が各地にある。
なんで反逆者のごとくになるのか?安全を訴えてどうして悪者になるのか?
雇用、利権そういうことを人参のようにぶら下げられ、それ欲しさに命の大事さが見えなくなる。
行政、企業・・・力を持つものはそういうやり方を心得ている。
手塚治虫氏の漫画に「MW」ムウと言う漫画があるが、あまりにも行き過ぎた内容で、ま〜漫画やし・・・と思ったものだった。ほかにも「アドルフに告ぐ」「奇子」「きりひと讃歌」・・・さまざまあったけれど、それも極端やな〜と思ったものだった。
しかしこの原発事故を機にいろいろと負の歴史を調べてみると、本当にあったんだという事をつくづく感じる。
手塚治虫氏の思いは、戦中戦後の無惨な状況、そこに置ける人々の心の有り様、変化、力を得るとひとはかわってしまう事、人の中に住む悪魔のような心・・・そういうものをいやというほど見てきたのだろうと今更ながらに感じるのである。
原発が止まっている状況を本当に永遠に止める事ができ、本当に人間の心を取り戻す事ができるかは、私たち一人一人の心の持ち方にかかっている。
政府、企業、どこかのお偉いさんにそのまま、まんまとしてやられ・・・長いものに巻かれ、無難な道(でもその無難は今だけの事、事故が起きてしまったらおさえきれようもない惨事に見回れすべてをなくしてしまう事になる・・・)を選択するのかどうか?
昨日肥田舜太郎先生の話を詳しくお願いしますというコメントをいただいた。
そこで肥田舜太郎先生の言っておられる内部被曝についてここで触れてみたい。
肥田舜太郎先生は、今や95才のお医者様である。
67年前に広島で被爆された。
先生は軍医で、そのまま被爆者の方の治療を続けられた。
爆弾による被害もさることながら、問題は内部被曝の被害が尋常ではない。
内部被曝という言葉を使えるようになったのはここ最近の事であるという。
というかその内部被曝はあり得ないという国の判断がずっとあったので、内部被曝の症状を検証する事さえ無視されていた状態であったようだ。
内部被曝とは、放射能汚染による体内にきたす被曝、影響である。
その症状の出方は、早急ではなく、じわじわじわじわと現れる。
個人差があり、すべての人に同じ症状が出る訳ではないが、その影響は計り知れない。
広島、長崎の原爆投下より、私たちに伝わってきた原爆被害は、ケロイドや脱毛、嘔吐などなど原爆の直接的被害であり、投下後近年の事をさしているかのように伝わっている。
しかし内部被曝は、爆撃を受けたもの以外にも起こっている。
当時子どもだった方が、大人になり、じわじわ発病している。
今原爆投下された唯一の被爆国日本がどうして内部被曝について研究が浸透していないのか・・・
それは、1946年にさかのぼる。
病院院長や職員、患者に対して「広島・長崎の原爆被害はアメリカの軍事機密であり、何びとも被害の実際について見た事、聞いた事、知った事を話したり、絵にしたり、写真に撮ったりしてはならない。違反したものは厳罰に処す」という厚生大臣の通達があった。
また1949年広島比治山にアメリカのABCC(原爆傷害調査委員)が開設された。
被爆者を集めて、被曝の診察、検査を行い、治療はいっさい行われなかった。死亡者は解剖され、その内臓はアメリカに送られ、放射線傷害研究の資料とした。
アメリカの占領下となった日本の政策はアメリカのいいなりであり、その後第五福竜丸の被曝事故があったにもかかわらずその反対運動まっただ中に「平和利用」と謳い、マスコミを使い産業発展、科学の進歩を大々的にアピールし、核の問題を押さえ込んだわけである。
こうして自分をなくした日本人は、臭いものにふたをして今までやってきた。
そしてこの福島の原発事故である。
核の身体への影響は、耳をすませば聞こえてくるだろう。
広島、長崎、第五福竜丸、マーシャル諸島、チェルノブイリ・・・白血病、様々な癌甲状腺の異常・・・けだるさ、原因不明の熱・・・被害者は、声を上げているのだ。
見てみない振りをする、または無知・・・こんなにも核の被害は大きい。
アメリカとイラクとの間の湾岸戦争。私の上の息子が幼稚園のときだった。
その時、アメリカは劣化ウラン弾を使用したそうだ。
その後、イラクの子どもたちに白血病が急増した。奇形児も生まれた。
余談だが、ベトナム戦争の枯れ葉作戦・・・ベトちゃんドクちゃん。なんとも何とも・・・
この事実を知ると、今福島に何が起こっているのかと怖くなる。
確かに・・・
福島のお母さんが肥田先生に「私たちはどうしたらいいのですか?逃げればいいのですか?水も汚染されているかもしれない・・・」と。
すると肥田先生は「逃げれる事ができる人はいいが逃げれない人だっている。例えば医者に血圧を治してください。といって病院に来られるが、薬を出したって治るようで実は違う。結局のところ、生活の改善すらせずして治す事はできない」という。
という事は、放射能から守るという事は、自分で自分を守るという事であり、自分の生活がすべて繁栄されるということだろう。
人は心が冷えると免疫が落ちるという。
感情のこらえもそうである。といっても爆発して怒ってばかりも・・・笑いは免疫細胞を活性化するとも言うが・・・
肥田先生は、よく寝てよくかんで食する。適度な運動と適度な休養、心の安定とストレス除去が大事だという。つまり昔から言われてきた事である。
なんともよく効く薬はない訳である。
では、こんな目に遭うことの原因を日本から、いや世界から排除すべきであり、いいわいいわで来た代償が悲しみを増やしているのだ。
どうか今この福島の悲しみを核の被害者となった方々の終止符とし、私たちができる事、それが原発停止を続ける意思を持ちつづけ、政府が作ってきた原発依存の実態を覆さなければいけない。
心が癒される事はほんとうに日本がどうなっていく事なのか、ひとりひとりが考えましましょう。
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おすすめ本・・・真ん中の「内部被曝の脅威」
もう一つの肥田先生の本は、多分しんどくなるかも・・・
今は亡き重藤先生の本は、広島の事を知る上では、ぜひとも読んでください。

ps:内部被曝を思うと、怖くなる。
特に現地にいる方々は、そんな情報は逆に聞きたくない事である。
だから、福島の方が今、少しでも被曝を免れてほしいと願う。
また、食の問題もそうである。たとえば私は、地方のものを選べれるけれど、そこにいる人は選択の余地がない場合もある。ではどうするか・・・肥田先生のいうようによく噛んで唾液をだして消化を助ける事を心がける・・か・・
この状況を逆手に取って、健康食品、宗教が入り込む。
安全を守るために、そういう救いを前に出して、すり替える方々がこの世の中にはいる事を感じておく事も大事である。
何ものにも依存せず、心を平成に保てる事が一番の救いである。
そのためには、何を選択する事が優先か・・・ごまかして先送りしても答えは後回しになるだけであるから〜
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by polepole-yururin | 2012-05-07 17:37 | 原発 | Comments(9)

野良猫のクロ

画像が汚いのは、クロと私の距離間があるゆえに・・・
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庭で草むしりをしていると、いつも2〜3メートル離れたところで何となく存在している野良猫のクロ。
野良猫を保護したんだけれど、そのクロ、我が家の家猫という気が全くない。
その様子は2011年の1月「賢い野良ちゃん」「野良猫」のブログにあげているので、また見てください。
そのクロ、いきなりごそごそとやっている。
私が草むしりしているゴミの中を、クンクンかぎながらそのゴミ袋に入ろうとしている。
何やねん〜。寒い訳でもなく、なんだろう・・・
するとすっぽりとゴミ袋に収まってしまった。
「お前はハイジか〜」って。
ハイジは干し草のベットに寝そべって、気持ちいいと言っていたけれど・・・emoticon-0102-bigsmile.gif
このクロは本当にじゃれない。
いつもえさは窓越しに要求しにくるんだけれど、その時だけは触ってもいいよって感じになるけれど、それ以外は、いつも距離を置きながら私の方を見ているだけ。
そして我が家の水槽や箱などで寝ている。
よっぽど盛り時期のよその猫の方がなれている。
そんなクロだけれど、時々おかしな事をして笑かしてくれる。
さてこのゴミ箱のどこが気に入ったのだろう。
余談だけれど、私は、子どもの時から今に至って、アルプスの少女ハイジに似ているってよく言われる。
生き方、雰囲気がそのものらしい。
子どもの時は、そって言われるのがいやで、クララになりたかった。
ひ弱でみんなに大事にしてもらえるクララがいいな〜って。
といいつつ、私のやる事なす事、やっぱりどうみてもハイジだ。
幼なじみになおと君という子がいた。
その子に就職して間もないころ、久しぶりに出会った。その子はまだ浪人中だった。
「Mちゃんは、ひまわりみたいやで〜、素朴なイメージ・・・きっと病院では、重宝されるよ。ま、いうとハイジやな。」と言われた。
意味が分からなかったが・・・なおと君がいったように確かになった。
今そのなおと君は、医者にならず、違う道を選考したって風の便りで聞いた。
ハイジは、純粋で、型破りというか、当たり前を当たり前と思わず、その人のために一生懸命やる。そのやることなすことが大人・・・ロッテンマイヤーさんには、うざい。
でもオンジの心を和ませていく。クララの足も治ってく。
一時私はクララを目指した。世間に合わせていい子になった。理不尽な事があってもヘラヘラとして何ともないように装った。
けれど、それが自分を消して、クララにもなれず、私が私である事をなくした。
震災後、様々な事を思考する中で、はがれていくものが世の中にはいっぱいだ。
化けの皮?なのかなんなのかそれはわからない。
でも負である大きな出来事は、物事の本質、中身を表面化させる。
私も生きていく上で引っ付けてきた皮(世間体や生き方、・・・)を一枚一枚剥がして本来の自分を思い出してきたように思う。
自分を大事にすること・・・その意味が最近ようやくわかってきた。
素の自分とはなにか・・・それは幼き頃の何も付け足さない私だったこと。
野良猫のクロも素の自分を大事にしているんだろう。
クロ・・・草のにおいはどうですか?

ps:自分を大事にしている青年と出会った。その事は「里と湖のポレポレ時間〜」にて・・・
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by polepole-yururin | 2012-05-02 07:53 | 私のこと | Comments(4)