ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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巣立ち

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昨日カメの翼プロジェクトのメンバーのH君の就職祝いをかねての食事会をした。
Hくんは大学、大学院ではロボット工学を学び、就職もその技術を生かした企業を選んだ。
4月2日が入社式だという。
彼とは2010年の10月にKAMEの翼プロジェクトが動き出してからの付き合いだ。
私とは20歳の年の差である。
一緒に被災地・女川へ行きボランティア活動をした。
石巻の壊れたホテルの二階で寝袋を並べて雑魚寝した。
一緒に女川で花を植え、カメパオを作り、何もない被災地で食事した。
Hくんは、そのまま石巻に残り1ヶ月ボランティア活動をがんばった。
その後被災地支援のことでいろいろと組織とのやりとりがあり、私の知らない社会の動きを目の当たりにさせてくれた。そして彼もいろいろ考えただろう。
8月被災地の写真展を彼はやった。
たいへんいい写真展だった。私は彼が純粋に被災地の現場を見て心動かされシャッターを切ったんだと感じた。
しかしあるアーティストが彼の写真を「アート」だといった。
彼はその言葉に翻弄される。
私はいやだった、そういう言葉に振り回され、H君の純粋な思いを薄ぺらいものにしてしまっているこの発言がいやだった。
その彼が一年被災地でボランティアしているWくんと関わりながら、社会を感じ始める。
そして巣立つ。
彼は科学の進歩を夢見てロボット工学を学び、科学の可能性を持っている。
10月の時点で、いつか核融合は成功するだろうといっていた。
その後福島のことは頻回にニュースに取り上げられ、原発事故は日本にさまざまな問題を巻き起こし、いつかの核融合成功の話を待てる状態でないことを感じた。
彼がいたことで、私自身いろんなことを思考させてもらった。
昨日は私が医療者だったころの矛盾を話した。
また自分が就職して何をしてきたか、手術室での仕事、2~3年目でとてつもない自信にみなぎっていたこと。
その後の挫折、初任給・・・・。
彼は「へ~そうなんですか?」とたびたびうなづいていた。
彼はどんな社会人となっていくのだろう?
アゴラの先生は言った。
「大学に行ってから子供たちは、社会に、大人に翻弄されてしまう。自分の一番大事なものを捨ててしまう。そうなってはだめだよ。H君は、ものつくりが大好きな子だった。その思いを捨てずに大事にしてほしい。みんな自分を大事にしてほしい。」と。
H君はうなづいた。
彼もまじめな純粋な子だよ、だって私や先生や私と同じくらいの友人と4人で食事をして話をずっとしているのだから。
彼は今日ここに来る前に病院にいるお父さんのお見舞いに行った。
彼は今長男としての自覚と重みを持っていた。
私は「またちょくちょくここに帰ってき~な~」と彼に言った。
カメの翼プロジェクトは、若者や子供たちを支えるプロジェクトだ。
彼という一匹のKAMEが翼を持って羽ばたいていった・・・
私の出会った最初のkAMEという若者がH君だったんだ~。
巣立ち、そして帰ってこれる場所がある・・やさしいコミュニティー。
年齢を超え、性を超え、ちゃんと思考し支えあえる人との関係性。
これがKAMEの翼の趣旨なんだ~。
彼が社会に出て1年2年3年・・・彼の科学への思いはどのように変わるのだろうか?
H君に幸あれ~♪
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by polepole-yururin | 2012-03-31 21:02 | 子供たち | Comments(10)

手作りの日

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子供たちと手芸の日。
何を作る?って聞いたら「抱き枕作る!」ということになり、二回目に挑戦の子供たち。
実は2月の半ばに「受験生のお兄ちゃんとお姉ちゃんに作る♪」ということになっていたのですが、我が家にいろいろとありまして、今日になってしまいました。
子供たちへ・・・ごめんね。
この子達も4月からは中学生。
だから忙しくなるから、これるのも今日が最後かな・・・
でもちょっと作りたいな~って思ったらおいで♪
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ジャーん!出来上がり♪お兄ちゃん、お姉ちゃん喜ぶかな?
ちゃんとこの子達も使っているそうです、8月に作った抱き枕。
かわいいし、気持ちいいしねって♪
喜んでいただけて考案した私もうれしいです♪
たかが抱き枕だけれど、自分で作るとうれしいし、タオル地と綿のふわふわ感と左右の手の感触と・・・
綿を入れるのも、ちゃんと自分の心地いいを感じてよ!ってたえずいい続けた。
「これぐらい綿を入れるんだとか、この目がかわいいんだよというより、自分がどれくらいの感触を気持ちいと感じるか、どの目の配置、大きさ、すべて自分で考えるんだよ。」って。
すると子供たちは手で感触を手探る。
感覚を大事にすることを教える。
大人が決めたように教えるだけじゃ~な抱き枕を作った意味がないからね。
だからAちゃんは綿多め、Yちゃんは少なめ・・・それぞれの感触があるのです♪
無事高校に受かったAちゃんのお兄ちゃんとYちゃんのお姉ちゃんに合格お祝いのプレゼントができました。
喜んでくれるかな♪
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同時に私は、今日は手作りの化粧品つくり。
今日はアロマテラピーでクリームを作りました。
乾燥肌用の万能クリーム。
私はこのクリームを化粧水の上につけます。
手あれのひどい方にもお勧めで、重宝されています。
アトピーの人にもいいです。
思春期の息子も使っています・・にきびも気にならずに乾燥対策。
精油はラベンダー・アングスティーフォリア(真性ラベンダー)とティートゥリーとグレープフルーツを少々。
この間の化粧水と使っています、私の基礎化粧はこれだけ・・・
子供たちは不思議そうに見ていました。
子供たちには5月の母の日にまたアロマの石鹸つくりをしようね♪って約束して~。
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by polepole-yururin | 2012-03-26 19:54 | 子供たち | Comments(4)

ギャップ

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今日はあいにくの雨だ。
隣では、春休みの息子が、幼稚園からずっと遊んでいた玩具を整理している。
4月から中学だから、部屋も遊びから少し勉強モードとなる?
仮面ライダーの剣は従弟へ?と思いきやまだまだ我が家に置いておきたいものがあるようだ。
いつまでたっても遊び心が消えないのだな~ってと息子を見て思う。
この間知り合いが話しにきた。
ちょっとしたストレスがたまっているようだった。
大体のストレスの要因は、同級生かその前後の母親同士の噂話だった。
だれだれちゃんがどこどこに受かったとか、○○ちゃんはどこどこの塾は行かないの?とか、何で受験しないのか?とか、ピアノがあの子は上手とか、どうのこうの・・・・その話のオンパレードに押しつぶされていた。
なんか懐かしい話だなって思った。
私も関西にいるとき、幼稚園から頑張り屋のお母さんがいっぱいの地区にいたものだから、その類の話はいっぱいいやというほど聞いてきた。
あの頃のお母さん方は今もまだ競争の中にいるのだろうし、子どもの高校、大学の行く末が母親の安心感を得られる唯一の話題となるのだろう。
私は関西のあの雰囲気から外れたわけ~。
が・・・今回知り合いの話を聞いて、私自身変わっていることに気付いた。
ギャップをすごく感じた。
日常の話題が、違うことに~。
私はKAМEの翼プロジェクトに参加している。といってもすごいことをしているのではなく、個人レベルで子どもたちや若者をサポートすることを自分の生活をしながら出きる範囲で支えているだけだ。
大々的に我々は!と宣伝することでもなく、自分レベルで発想し、子どもたちや若者に関わる。
確かに震災があり、被災地に行ったが、そのことも当たり前のことだった。(でも今まではそういう行為は気負っていたと思うが)
原発事故も震災のことを考えたら、考えざるを得なかった。
そしたら、原発事故の問題はフクシマのことだけではなく、子どもを持つ母として当たり前のこととなった。
当たり前の日常が変わったのか?
今私は、60代の方々とお話しする機会が非常に増えた。
被災地に行って話する先生も60代の先生方。
確かに子育てを終えた方々だから、余裕があるのだろとも思うが、大変社会のことに関心をもってらっしゃる。
そして物事を見る目が鳥瞰図的というか、いろんな面からそのことを考えられている。
といっても年がそうだからと言うわけではなく、今私が関わる方々の生き方が利己的ではなく、人のことを考えていらっしゃる。
学生運動はいわゆる暴動となって私たちは理解したけれど、その真を知ると今の私たちより60代以上の世代は、すごく社会を意識した若者だったことがわかる。
今私たち子育て世代は、社会にどのように向き合ってきたのか?声を上げない世代であり、豊かを知っている世代だ。
バブル社会を知る、地位名誉で獲得する生活観。
関西にいたとき、いやというほど見てきた人間模様。
業というのか~
子どもは本来業なんて知らないわけで、もっとシンプルに自分のやりたいことがあるんだと思う。
それなのに、子どもたちの一番身近な子育て世代の私たちが、本当のところ子どもを知っていない。
子どもの悲鳴を知らない。
買って与えられたもので育てられた私たちは、その物になるための過程すら知らない(知らない世代が増えた)
社会も同じで、今ある事実だけを社会として見、その中にある過程を知らずにいる。
そんなものだから・・・とかお金があれば得られるとか、あまりにも即物的な教育を受けてきたように思う。
だから子どもにも伝えることは、社会にあぶれないように学力をつけ、習い事をし、自分を磨くことだと・・そんな感じで。
今の60代以上の先輩たちは、語っている。
この日本が今どんな状況に陥っているのか、思考しようと語っている。前後左右の背景を知っている。
知人に原発事故と放射能の話をした。
その話に花は咲かなかった。
そんなものだ・・・浜岡原発から30キロ圏内だけれど、今ここでは震災も起こっていないし、事故も起こっていない、誰かがどうにかしてくれるし、そんなことより受験だし、習い事だし・・・・
コンサートには行くんだな・・・嵐とか・・・
テレビも雑誌も・・・人の欲を刺激するものばかり。
洗脳、思想統制・・・そんなことを知らず知らずにされているように思えてならない。
そんなこと考えている私たち世代っているんかな?
固いだけの偏屈とも取れるんだろうかな。
震災も原発も他人事・・・なんかな・・・・。

すると息子がスーパーボールを見つけて遊び始めた。
弾む不思議に魅せられた時代をさかのぼっているように私には見えた。
こんなもんやではなく、何でやろ?っていつまでも感じてほしいな。
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by polepole-yururin | 2012-03-23 10:49 | 子供たち | Comments(5)

卒業式

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今日は息子の卒業式だった。
六年生後半に怪我等でいろいろあったものだから、この卒業式を迎えるにあたり、さまざまな思いがこみ上げる。
ほっとするやら、これからか・・・とまたちょっと違う引き締めというのか・・さまざまな思いでいっぱいだった。
上の息子と同じく、卒業証書授与のときに、それぞれの将来の夢、中学校へ行ってからがんばること、お母さんとお父さんへの感謝の言葉をステージで大きな声で表明する。
息子は、「努力をしていく」だった。
野球選手になるためにがんばるとか、薬剤師になるために勉強を一生懸命するとか、動物の調教師とか・・・さまざまな夢や思いを言葉にしていく子どもたち。
そしてステージを見てふと思った。
去年4月に被災地の宮城県石巻市の渡波中学の入学式のこと・・・
4月20日、ちょうど、ここに立ち寄って次の日の入学式の準備に私も加わった。
ドアも窓も割れてひどい状態の体育館。
飾り物もないところに、千羽鶴と紙の花と看板を作った。
ほんと何もなかった・・・ここにはある・・・ちゃんと花が階段にいっぱい。
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石巻もここの体育館もどこも同じつくりだな・・ほんと。
腰板があって、二階があって、ステージがあって、緞帳があって、時計があって、校歌の板があって・・・
津波があの二階の上まで来たんだよな~、渡波・・・
時計は止まっていた、14時46分。
緞帳や腰板も泥まみれで地元のボランティアさん数名が一生懸命雑巾で拭いていたな・・・
息子をみながら時折体育館のぐるりを見渡した。
滞りなく卒業式を迎えることの喜びを今年ほど感じたことはない。
子どもたちが夢を持ち中学、高校、社会へ羽ばたく・・・
当たり前のように明日が来ると信じて~。

昨日、フリージャーナリストの渡辺幸重氏の講演会「私たちはフクシマ後をどう生きるか」があった。
福島県広野町(原発から20キロ圏)の映像を何枚も見て、聴き、思考し、語り合った。
広野町は、ほとんどの住民はいない、いるのは東電関係の作業員ばかりだという。
作業員が食べた生活ごみなどは、燃やすことはできず、あるところに行き場もなくたくさんのパンパンのゴミ袋が保管されている。たまる一方だという。
放射能が加わると簡単に燃すことができない、行き場のないものとなってしまう。
除染された土もそう。
サッカーのメッカのJビレッジの観戦場は、作業員の単身寮で埋め尽くされていた。
まだまだ収束されない原発・・・その収束をさせるために東電に雇われ作業する人たち。
1年経っても終わりない。そして被爆する人たち・・・・・
どれだけの犠牲を、どれくらい費やして終わりにできるのか?
その間燃やせないごみが大量に溜まる。
そして原発を燃してできるプルトニウム・・・猛毒だ。
それをまた青森では、再利用するためにと模索しているようだが、失敗に終わり、その毒は青森にある。
消えない毒・・・放射能。
そのことを知っているのに、まだ仕方ないからと原発に頼るエネルギー対策をほんとうに継続させていいの?
なぜ私たちは子どもを生み育てるのだろうか?
それは、たまたまではなく、ちゃんと意味あって子どもたちを生み育てているわけだから・・・
ちゃんと未来の子どもたちのことを考えた方法を選択するべきだ。
いろんな政党のキャッチフレーズに「子どもたちに未来を!」なんて文字を目にするが、未来って本当は何なんだ?
児童手当、年金、国の繁栄、豊か、・・・その前に命でしょう。
ここにちゃんと安心していられるかどうか?
豊かとは、贅沢できるということではない。
地位名誉でもない。
豊かとは、心が安心できること。それがなかったら元も項もない・・・・
今日の子どもたちが卒業式で語った夢を本当に実現できる未来は、本当にこのままで迎えることができるのでしょうか?
私たち大人が今生きているのは、誰のためなのでしょうか?
私が生きている意味は、やはりわが子の存在と大きく関係します。
そしてそのわが子と関係した子どもたち、さまざまな存在・・・その存在の未来をちゃんと想像することができたなら、何よりも核から離れないとだめだと心から思います。
複雑なことではなく、単純に怖いものから手を離しましょう。
国やマスコミ、テレビの情報に振り回されず、流されない生き方をまず大人から示しましょう。
明日を作るのは、国でもなく、マスコミでもなく、個人個人の思いです。
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明日、明後日、一年後・・・未来に・・・この子達は笑っているでしょうか?
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by polepole-yururin | 2012-03-19 19:58 | 原発 | Comments(18)

フクシマを考える

~講演会のお知らせ~

3月18日(日)13:00~16:00
「私たちはフクシマ後をどう生きるか」
フリージャーナリスト 渡辺幸重

参加費: 500円   会場: アゴラ子ども美術工場   静岡県掛川市千羽 ℡:0537-27-1428

「私たちはフクシマ後をどう生きるか」
私たちの生き方もあるし、フクシマの人たちがこれからどう生きるかということもあります。
みなさんもいっしょに考えてい見てください。

昨日も脱原発世界会議に参加して勉強してきましたが、福島に行ったものとして、周りの人々にそれを伝えることは使命だと思いました。ビキニ核実験で被爆したマーシャル諸島の人も来ていましたが、その人には私も2度現地マーシャルで世話になっており、日本まで来られるのですから、私が静岡に行くのは義務かも知れません。  (渡辺氏のメールより)

(渡部幸重プロフィール)
渡辺幸重氏は、東大で原子物理学を学び、毎日新聞記者で、第五福竜丸、浜岡原発などを教材、教育、IT企業を経験した後、前畿央大学教育を経て、現在はフリージャーナリストとして原発問題、放射能被爆について長年追跡取材している。またビキニ環礁での米国の核実験で放射能汚染され、被爆したマーシャル諸島、ロンゲラップ島の人々との交流、助手として現地残留放射能調査、体内被曝量測定などを行う。また福島に行き来している。
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同時開催~
「被災地・女川資料展」
10月3日からアゴラ子ども美術工場、アトリエ2階和室にて「被災地・女川の資料展」を開催しています。
KAМEの翼プロジェクトメンバーが昨年4月から継続して被災地の宮城県牡鹿郡女川町に行き、ご縁あって女川町の保育者と関わる機会をいただきました。その関わりの中で知りえた、震災から今日に至るひとりひとりの思いを紹介しています。保育者としての誇りを持ち、被災地・女川で過ごした先生方を知ってくださる機会としてください。資料展は今後も継続していきます。
今年は3月3日、女川の仮設住宅に住む5歳のМちゃんと小学生のT君から粘土細工が送られてきました。二人の作品も展示しています。
ご覧になってください。

場所:アゴラ 子ども美術工場  


アゴラ作品展2012~
ただいまアゴラでは、アゴラに関わったお母さん方、アゴラの卒業生、アゴラ主催の渋垂先生の作品展を開催しています。
この作品展は3月18日をもって終了です。
昔のお母さん方は県展に出されて入賞した方々の作品があります。
またこれから美術の世界へ旅立っていく卒業生の作品も展示されています。
渋垂先生は、大変迫力ある作品と大変繊細な作品を展示されています。
ぜひ見に来てください。
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by polepole-yururin | 2012-03-15 08:53 | カメの翼プロジェクト | Comments(2)
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一年前の14時46分・・・大きな出来事があった。
去年もいい天気だった。
暖かい春の陽気に包まれていた。
ちょうど私は菜の花畑の様子を眺めた。
14時46分、知人からふきのとうの写メが送られてきて、春だね~て返した頃だった。
揺れはわからなかった。
そのまま家に帰って早咲きの桜を撮りに歩いて出かけ・・・30分後家に帰りテレビをつけた。
CG処理した画像が映っている???・・・
何のことかわからなかった。
でも大きな地震が起きていたことはわかった。
震源地は・・・・?
身体が硬直したことを覚えている。
一日たって、我が家の庭を眺めたことを思い出す。
ちょうどブルーのネモフィラを眺めてブルーの色の沈静を願ったような・・・
今年はまだ、ブルーのネモフィラは咲いていない。
我が家の庭は、クリスマスローズの庭。
玄関先の白、黄色、ピンク、赤が咲きほこり、その後を追って日陰ゾーンのクリスマスローズが咲き出した。
このクリスマスローズは、原種のようで、褐色のようで緑にも近く・・・・
今年は20近い花芽をつけた。
手前の白のクリスマスローズも旺盛だ。
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今年は一輪だけだったけど、ちゃんと存在感をかもし出す、八重のクリスマスローズ。愛らしい。
クリスマスローズはほんと、和にも洋にも合うかわいい花だ。
今年は梅より遅い黄色のミモザ。
どうしたことか・・・
去年の台風15号直撃で、我が家のミモザの木は根っこから倒れてしまった。
そのミモザを起こして、よみがえり♪
ただ花数は少ない・・・厳かに咲いている。
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東北の春はどうなのだろう。
まだ寒いのか・・・
連日の東北・被災地の番組を見て改めて感じている、震災のこと。
ほんと、何が復興かわからない。
神戸の復興を復興として、ビルディングが立ち並ぶ未来都市が復興か・・・
東北はほんと自然と即して生きてきた土地だ。
特に福島の風景は、美しい。
私は、里山が大好きなので、その風景を見ると残念でならない。
野良牛が走り、サルが人間の食べていない栗を食べ・・・
見えない放射線を動物はキャッチせず、従来どおりの生き方をしているのか?本能か?
福井の高浜は本当にきれいな海の近くの町だ。
何どとなく小さな子どもをつれていって遊んだ。
時には魚をとり、わかめをとり、砂浜で戯れた。そこにも原発。
・・・私が知る佐賀もきれいな場所で、イカがおいしい♪呼子・・・
そして東北・女川も美しい風景を残す町だ。
そこにも原発はある。
コバルトラインという道があり・・・コバルトブルーのコバルトか?・・・私は放射線治療のコバルトを連想したが・・・
都会よりも美しい大事なものがある町に、過疎という問題を封じ込めて君臨する原発。
私たちは、日本の風景を売ってしまっているのだ・・と気づく。
気付き・・・1年前までは、気付いているようで、気付いていなかった。
恐れを知って、失ってやっと気付く・・・
人間ってそういうものでしょうか。
私たちが庭をつくり、そこにほっとするのは、日本の原風景を知っているからでしょう。
記憶の中の自然がなくなるまでに、ちゃんと意志をもって日本を守りたい・・・そう思います。
そんなこんなで、今女川の5歳のМちゃん家族に小包を作っています。
物で埋めることはしてはいけないけれど、、、子を持つ親として、優しいおばあちゃんを思い出して、こちらの名産品(駄菓子、珍味)とМちゃんには「からすのパン屋さん」という絵本とおにいちゃんには、進級にあたり文房具を無造作につめました。
仮設住宅でおばあちゃんとおじいちゃんとおかあさんとおとうさんとおばちゃんとお茶を飲んで話がまた咲きますように~。
ちょっとした宝箱のように♪
おじいさんは小さなつづらを持ち帰りました・・・ていう昔話があったように。
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by polepole-yururin | 2012-03-11 12:01 | 花のこと | Comments(10)

あれから一年

我が家の庭・・・玄関先の沈丁花・・・まだ蕾。
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玄関先のクリスマスローズがやっと頭をもたげてきた♪
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今年はちょっと遅い春の訪れ。
二月の下旬には、ミモザも沈丁花もクリスマスローズも咲いていましたもの。
どうしたのかな・・・温暖化が北極の氷を溶かし、その氷が解けた水蒸気が雪を降らしたり、寒波をもたらすんだとテレビで言っていたけれど、ほんとうのところはどうなんだろう。
梅も確かに遅い開花。
去年の今頃、沈丁花は花を開いて、春のにおいを拡散させて私たちを喜ばせていたのに・・・未だ蕾。
去年の桜も遅かったけれど、今年もそうやって遅れるのかな~。
そんなことを思いながら、最近テレビでは震災特集を頻繁にやっているのに気づく。
その番組を見ないといけないように見ている自分がいる。
昨日は読売テレビで、石巻の壁新聞の事をドラマにして放映されていた。
石巻、渡波、女川・・・このキーワードに反応する私。
私が5回にわたって行った被災地は、この場所だった。
3月11日の震災当時から1週間の間をドラマ化していた。
私の知っている被災地は、震災1ヵ月後の被災地なので、当時の状況を自分ごとのように感じることは難しい。
大きな揺れ、何度となく続く余震。津波によって寸断されたホットライン。
安否確認の重要性。
確かに震災直後から、テレビや新聞で被災地の状況を一所懸命情報収集していたが、いつの間にか抜け落ちていた。
テレビで震災特集をやっていることを、被災地の方はどのような気持ちで見ていらっしゃるのだろうか?
フラッシュバックして心苦しくなる事だってあるだろうし、言葉にして話せない方だっているだろう。
PTSD・・・外傷後ストレス障害
一時心のケアと称し、臨床心理士や保健師が巡回し、吐き出させることを強いていたりしていたけれど、ほんとうのところ、心のケアってどうしていいのかもわからない。
今はアメリカからの心理学的なものが医療?というのか教育というのか、そんなところに入り込んでケアをあたかもしているように実施しているけれど・・・
心のケアはそう簡単には解決できない。
私も以前1年パニック障害で寝込んだ。
精神科にいる臨床心理士は、チェックリストに基づいて私に聞いていく。
しかしその対処は、安定剤という薬だったり、ストレスに関与するセルトニンを上手く使えるように調整する薬をだったり・・・
でもほんとうに心を安心できる状態にできるのは、みな同じ方法をとって緩和できるものではないし、その心の状況も、人それぞれ・・・
ほんとうに心が病むのは、みんなが退いてから、ほっと一息ついた頃・・・落ち着いた頃・・・
心のケアという名のもとでパターン化した対応が必要かどうか・・・
大事なのはパターンではなく、本当にその人に寄り添うこと・・・真の優しさなんだと感じます。
被災地支援もほんと難しい。
最初は確かに物資が必要。
でも未だに物資が必要かどうか?
私は、今本当に被災地の方に、私がやれることをやったのだろうか?と問いかける。
この行為は被災地に行った当時からずっとしている。
何もかも無くなった方への支援は、物資やお金のほうがいいのかもしれないと考える。
確かに震災直後に被災地に義捐金を送った。
でもその後、自分のやったことは、とりあえず事実を知ることであり、そこで自分のできることをすることだった。
何もかも無くなったのならその無くなた物をもって行けばいいのだろうと思ってしまう。
そして満ち足りた生活の保障をと私が関わった方へできる限りすればいいのかもと思ってしまう。
そんな時、いっしょに行ったアゴラの先生はいう。
「神戸の震災のとき、物乞いではないと避難所の所長が言った言葉がリフレインする。支援は、物を足すことではなく、心を添えること、自立を促がすことが復興だ。」と。
その言葉をこの1年自分に言い聞かせてきた。
でも物で満たされた今の私が思う優しさは、ついつい足長おじさんのように支援することを連想してしまう。
消費社会で育まれた成れの果てか・・・。
私と出会ったМちゃんのお兄ちゃんは、震災ですべてを失った。
震災前は、ゲーム好きなおにいちゃんで普段はあまり話しをしないようになっていた。
この震災でゲームを失い、家を失った。
でも9月の敬老に日にはおじいちゃんおばあちゃんに肩もみをしていた。そしていっぱいいっぱいはなしてくれる子になった。
震災は本当につらい出来事で、いろんな悲しみや苦しみを持ってきた。その状態は今も続く・・・
けれど、無くなったものだけじゃない。物を強制的に失った方が得たものは本来の人間的な優しさだったりコミュニケーションだったり、味わうことだったり、寄り添うことだったり・・・
お中元、お歳暮、クリスマスプレゼント・・・すべて物で与える優しさである。
私も主人の仕事関係に対して必ず行う行為だったり・・・
物やお金で見失った社会が、この震災であらわにされた。
なのにまだ同じ方法で支援していては、自立を支援できず、依存を援助していることとなる・・・
この震災は自然災害だとしても、たとえばフクシマの原発事故は人災である。
このことは、私たちに新しい生き方をするように警告しているように思えてならない。
東北以外の私たちが、犠牲を被った方へ支援するということは、まず自分たちの生き方から見直すことが大事なんだと震災から1年を迎える今ほんとうに思うのです。
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by polepole-yururin | 2012-03-07 17:09 | 震災 | Comments(7)

思いがけない小包

桃の節句を喜んでいるように、里山にあるアゴラの白梅が満開に咲きほころんでいます♪
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昨日思いがけない小包が我が家に届きました。
「笹かまぼこって書いてあるよ」って主人に言われ、すぐさま小包の宛名を見てみると、それは宮城県女川町からで・・・なんとМちゃん家族からの小包でした。
え!?ってすごくびっくりし、すごく興奮してしまいました。
というのは・・・
Мちゃんは私が5月に被災地・女川へ行ったときに出会った4歳児の女の子でした。
女川第一保育所の避難所に家族で避難されていました。
私たちは、自分たちの関われる力量を理解したうえで、被災地支援を一箇所に決めて、長いスパンで関わっていくことにしました。
その避難所が女川第一保育所でした。
5月にМちゃんとはいっしょに花を植え、アロマテラピーの石鹸つくり、いっしょに遊びました。
6月には、Мちゃんとおにいちゃんに夏服を持っていき、園でいっしょに遊びました。
8月にも、園で遊び、KAМEの翼人形を持て行きました。ちょうどその日はМちゃの5歳の誕生日で、これがМちゃんへの誕生日プレゼントになりました。
9月にはいり、第一保育所は避難所じゃなくなりました。Мちゃん家族は、その当時まだ仮設住宅に移ることができず、次の避難所へ引越していました。
その情報を園の先生から聞いていて、Мちゃんとお兄ちゃんに安心できる何か優しいものを送りたいと思いました。物資を送ることは簡単なんですが、そのことで済ますことができず、いろいろ思案し、5月に緊急の居所つくりとしてカメパオを作る際、カメパオの中で使ってもらう物を考案しました。
それがタオル地で作った抱き枕と、おくるみでした。
同じくらいの子どもを持つ親の気持ちから、抱き枕を二人に作ってもって行きました。
以前にくらべ避難所の大きな会議室がМちゃん家族の部屋だったもので、少し余裕ができたかもしれないと、Мちゃん家族にテラコッタ制作をしてもらったらどうかと思い、土ねんどをおいて帰りました。
「作ったらおくってください。それを焼いてもって行きますからね。」と言葉を添えて~。
そのときに、おじいちゃんから今何もなくなったところから少しずつ会社再建できるように動き出していることや、震災直後のお話を聞きました。
10月には、家族はやっと仮設住宅に移動できるといっておられ、ほっとしました。
ただその後Мちゃん家族からは、何の音沙汰もなく、粘土もおくられませんでした。
9月にいらっしゃった避難所の住所、電話番号は教えてくださいましたが、その後の移動された仮設住宅の住所はわかりませんし、連絡の取りようもありませんでした。
仕方ないな・・・
そんなことを思いながら、年末保育所に連絡し、先生からМちゃんのお母さんに差し支えなかったら住所を教えてもれるように連絡を取りました。
そして、寒い仮設のお正月を思い浮かべ、新しい下着と靴下と1箱のみかんをМちゃん家族に送りました。
返事はありませんでした。
その間女川の保育者の方々とは、時折連絡を取っていました。
今震災から私たちが関わった間のことを冊子にまとめています。
その一部にМちゃん家族のことも綴りました。
けれど、私たちの関わりはМちゃん家族にとっては、意味がなかったかな・・・とそんな感じでいたものです。
そして3月3日、忘れ去られているな・・・て思っていたМちゃんのおうちから、小包みが届きます。f0215179_22521758.jpg
笹かまぼこの詰め合わせと、ぬれた粘土、そして手紙。
感動しました。
粘土の作品は、まだ作りたての状態で、ぬれていました。だから梱包されていた箱まで湿っていました。
早々にそのぬれた箱をアゴラにもって行き、9月に粘土を渡された渋垂先生に見せました。
先生は、感動し、涙されました。
箱をあけますと、皿が4枚ティッシュに包まれて出てきました。
たぶんМちゃんと5年生のお兄ちゃんが作ったお皿です。
今作ったよって言わんばかりの状態でした。
9月から半年が過ぎてようやく届いた粘土細工と、手紙。
「ここまで時間が必要なんだ。やっと作る状態になったんだよ、余裕がやっと出てきたんだ。」と先生はしみじみ言いました。
お皿は、残念ながら割れていました。f0215179_22574740.jpg
郵送中に、ひび割れたようです。
でも先生は、「大丈夫大丈夫。」っていいながら涙してМちゃんとおにいちゃんのお皿のヒビを治していました。
ちゃんとヒビを治しても、子どもたちの作品には手を入れないで整える先生。
「先生お皿だね、お地蔵様とかお人形じゃないよね・・・」って私はいいながらふと思い出しました。
避難所でお父さんのプラスティックのコップにジュースを入れて私に出してくださったことを。
いまだ仮設・・・家族7人・・・生活の基盤・・・食器。
先生は言いました。
「このお皿をちゃんと使えるものにしよう。釉薬を塗って、素敵なお皿に焼いてあげよう!」
今日から2週間じっくり乾かしていきます。
静岡県掛川市千羽にあるАgora子ども美術工場のアトリエでは、9月より女川資料展・保育者のテラコッタ作品展を開催していましたが、そこにМちゃんとお兄ちゃんの作品も展示し、Мちゃん家族のことをさらに書き足しました。f0215179_22534949.jpg
ちょうど震災から1年です。
1年といいますが、被災地では、いまだ傷は癒えていません。仮設住宅・・・女川の町はいまだ個人の自由には行かない町つくりの上に町民の生活が置き去りにされています。
私たちはこれからも女川と関わり私たちのできる形でいっしょに前進していきたいと思います。
機会あれば、Аgora の展示を見に来てください。
Аgora 子ども美術工場 ℡0537-27-1428 
最寄り駅:掛川駅

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詳しくは私のブログの震災の項を読んでください。
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by polepole-yururin | 2012-03-04 22:54 | 震災 | Comments(4)
質問にお答えして~冬用のアロマ化粧水教えちゃいます♪
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材料  精油(アロマ)ティートゥリー 5滴
     精油 ラベンダー・アングスティーフォリア 5滴
     精製水 45ml
     グリセリン 小さじ1/2
     無水エタノール 5cc (少なくしてもいい)

1)ビーカーにエタノールをいれ、そこに精油を入れガラス棒で混ぜる。
2)そのビーカーに精製水45ml、グリセリンを入れてガラス棒で混ぜる。
3)保存びんに2)を入れて出来上がり。
*保存びんは遮光できるものが良い。(色のついたガラスビン)

この化粧水は大変重宝します。
私は、敏感肌で、去年から特に超敏感肌になりました。
ですから、精油の選択を以前は、ローズマリーやパルマローザといった美容にいい精油を使って作っていたのですが、痛くなって・・・それほど敏感肌、乾燥がきつい状態となりました。
そのため、急遽選択する精油をアトピー肌に良好のレシピに変更しました。
痛みもなく、いい感じで今年の冬はこのレシピの化粧水で乗り切れそう♪
その後手作りクリーム(アロマ)をぬってスキンケアは終了です。


ナノテクとかいって分子の小さい美容成分がお肌に浸透ってコマーシャルをよく耳にするでしょう?
で、アロマテラピーってすごいんです。
アロマ(精油)の芳香分子って肌から毛細血管へ浸透し、また鼻から脳へ、呼吸することにより肺から血管へ浸透していきますから、ちゃんと成分が身体に入っていくのです。
ですから、安い精油、合成のものはだめですよ。
できるだけ無農薬のものを使ってください。
この化粧水は、アトピーの子どもさんにも有効ですよ。
一度作ってみてください♪
     
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by polepole-yururin | 2012-03-01 09:16 | アロマテラピー | Comments(6)