ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


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オオイヌノフグリの記憶

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オオイヌノフグリの花が咲いていました。
いつの間にか春到来です。
冷たい黒い土をかきわけ、小さな春を私たちに教えてくれています。
ほほえましく、ちょっとうれしくなりました。
去年、オオイヌノフグリを見つけたときは、あ♪もう春なんだな~ってのほほんとした気持ちで青い花に喜びました。
オオイヌノグリを今の日本の皆さんは、どんな気持ちで見つけるのでしょうか?
オオイヌノフグリの記憶・・・

夏の終わりの雨はこの荒廃の土地にすぐさま新しい芽生えをうながした。しかし、より深いところで真の破壊がおこなわれていたのではないか?僕は、顕微鏡によって拡大された葉の細胞が、なんとも表現しがたい微妙なみにくさに歪んでいるオオイヌノフグリの標本をみて、傷ついた人間の肉体を見たとおなじ、生々しく本質的な嘔気を感じたことを思いだす。じつはいまは緑に茂っている広島のすべての植物が、あのような致命的な破壊をこうむっているのかもしれないではないか?

大江健三郎氏の「広島ノート」を読みました。
大変古い本です。
1965年に第一刷発行されたもので、私が生まれる前の本です。
1945年8月6日8時、広島に原子力爆弾を落とされました。
「広島ノート」は、その広島の原爆被害を受けた方々の思いを綴ったものです。
爆弾による、外傷、ケロイド、その後の放射能被爆によるさまざまな症状、白血病、さまざまな癌・・・
45年に原爆を投下され、被害を受けた広島の人たちは、すぐさま自分たちの状態を口にすることはありませんでした。
この「広島ノート」を大江さんが記すにあたって、2年の歳月を要しています。
1663年、はじめて大江さんは広島を訪れました。
大江さんは、第9回原水爆禁止世界大会に参加されました。そしてその日から原爆病院を作られた重藤医院長と出会い、病院での患者さんの様子、苦しみ、現状を知っていくことになります。
この本で私が知ったことは、広島や長崎の被害を受けた方々が、長い沈黙を強いられていたこと、また強いらなければならなかったということです。
この世界にとって初めて核の脅威にさらされたこの現状は、誰もが予想をつくこともできませんでした。
原子力爆弾を作った米軍さえも何もわからない。
爆弾の威力、人間への影響さえも・・・
爆弾を投下して初めてわかる爆弾の威力でありました。
町がどんな状態になるのか、そして放射能が投下された町の人や物にどんな影響を与えていくか・・・誰も知りませんでした。
広島、長崎は実験場となったわけです。
日本は戦後7年間アメリカの統治下となりました。
アメリカの視察者が、原爆投下後、広島の町を訪れ、原爆の被害はこれのみであり、これ以上の影響はないと世界中に断言しました。そしてその後の被害においては何も語られず、原爆の影響と被爆した方々の症状は切り離されたのです。
その統治は、広島、長崎の方々の思いをも統治しました。
「原爆による影響はない、もう大丈夫だ」といい続けた医師たちもいました。これが政治の絡みだったといいます。
そんな気風の中、被害を受けた方々が気安く自分の苦しみを口にしてはいけなかったんだそうです。
そればかりか、ケロイドによる見た目の美しさを失った悲しみや放射能よる身体への影響に苦しみ・・・
心の苦しみと身体の苦しみ・・・二重三重の苦しみです。
そんな状況に死を自ら選んだ人も多々あったといいます。
そして最初は大丈夫だった人も何年か後に白血病やさまざまな癌によってなくなっていかれたそうです。
被爆したのが子どもだった。その後元気だったのだけれど、その20年後成人になってこれからというときに白血病を発症されて亡くなった方・・・
上記あげたようにアメリカ統治下の元の政治絡みの日本では、すぐに原爆病を研究することもできなかったのです。
その中で重藤医師は、もともと放射線医学を専攻されていたもので、地下室のレントゲン写真が被爆後感光していることに気づき、原爆が放射線でできているものであることを感じ、被爆された方々と放射線の影響について少しずつデーターをとることをされました。
脱毛の人の数、被爆者の症状、血液の変化、白血球の数、・・・その自ら被爆された医師たちの献身的な行動と被爆者自らの発言していく勇気が、反核運動へとつながります。
その思いが大江さんを突き動かし、戦後20年して「広島ノート」となってまた新たなきっかけを作っていきました。
またその「広島のノート」が刷発行された1年後の1966年、原爆ドームは一時解体を余儀なくされていましたが、被爆当時1歳の梶山ヒロコさんが15歳のときに書いた日記(ヒロコさんは16歳で急性白血病で亡くなっています)に突き動かされた平和活動家たちの活動で、永久保存することとなり、現在も我々に核の恐ろしさを伝えているのです。
私が知っている原爆はもうすでに過去になっている終わった悲劇であって、私の知らない昔の出来事でした。
けれど、かつての本を紐解いてみると、さまざまな重い歴史があることに気づきます。
そしてこの悲しき出来事が政治で抑えられ、身動き取れなかった事実を知ることになります。
この広島、長崎の悲劇は、爆弾の悲劇だけではなく、核の悲劇です。
no more 核・・・
と広島、長崎の方々が大変な思いで伝え続けてきた事は、政治には伝わっていなかった・・・
平和利用と変換された核は、原爆ドームの永久保存が決まった次の年の1967年、原発としてのうのうと日本に存在し始める。
福島第一原子力発電所は1967年建設され、2011年3月11日までの43年間静かに動き続けた。
そして安全だといっていた核は、また人間に牙をむけた・・・
かつて国も広島、長崎の一部の方々もある意味、すぐに「大丈夫だよ、なんともない」と事を打ち消した。
今の福島の状態にも似ている・・・なんとなく。
私だって内心は打ち消したいし、なんともないって思いたい。
私たちの知っている歴史、習う歴史は、勇者だったり、権力者の存在や行為だったり、起きた出来事だったり・・・でも本当に知るべき歴史は、その周りにいる翻弄された人々の真の思いであると今思うのです。
オオイヌノフグリのように小さな野草の中に真ありと・・・


今、広島で被爆し、被爆者の治療に長年携わった肥田舜太郎医師のお話を聴いています。
このお話はまた~。
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by polepole-yururin | 2012-02-27 18:13 | 原発 | Comments(5)

気分転換に~

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毎週度重なる負にほとほと疲れて・・・心の向け方がわからなくなる。
放心状態というのか、心にちょっと渇を入れたく、調子いい音楽が聴きたくなった。
即決で、斉藤和義さんの「やさしくなりたい」を買った。
お目当ては、「やさしくなりたい」ではなく、「うさぎとかめ」
ラジオでさびを聞いて、いい感じだなって思ってた。
普段はシングルCDは買わないんだけれど・・・衝動買い。
早々帰宅途中の車の中で、聴いてみる。
テンポいいリズムから始まるウサギとカメ。
ウサギとカメの競争を連想する。
そして始まる・・斉藤節♪

「ウサギとカメ」 作詞・作曲 斉藤和義

結局最後はどっちが勝ったんだっけかな?
やわらかい胸の中で聞いた「ウサギとカメ」
・・・・・・・・・
移り変わりの激しいこの世の中
目指しているゴールは誰も知らないまま
・・・・・
ほんのちょっと前までパソコンもケータイもなかった
でも何の不自由もなく笑っていたんだ
・・・・・・
進化するテクノロジー上手く乗りこなせない人間
戻れないんじゃなくて戻りたくないだけ
絡み合う利権 後回しの人権 毒で作るエネルギー
今日も編集されたニュース 見えない恐怖の雨

言いたいこともいえないこの世の中
小さな声は今日も届かないまま
・・・・・・・・・


言い当てている今の社会を・・・
今社会は、どっちの方向を向いているのか・・・
テレビを見ても軽い番組ばかり。NHKでもこれでいいのかっていう番組を放送している。
民間の放送局の真似事のような軽いのり・・・
夕方の教育テレビなんか、芸能番組だ・・・それを子どもが見ている。
流行(はやり)をすべて文化として流している。
原宿の・・・秋葉の・・・
原発事故の問題も収束したのかどうかわからないのに・・・本当は。
軽い話で世の中を明るくしている。
もう震災は終わっているといわんばかりの・・・
ごまかしがいっぱい。
芸能人や有名人もそのごまかしに加担する。
誰か・・・ちゃんと考えている著名人はいないのか・・・

斉藤和義さんの「ウサギとカメ」じっくり聴いてください♪
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by polepole-yururin | 2012-02-23 21:21 | 私のこと | Comments(10)

心落ち着かせて

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いろんなことがおきます。
社会においても、我が家においても・・・
とまることなくいろんなことがおきます。
たとえば、今社会におきていることに意識し、思考し、行動していたとします。
その最中に私事に大変なことが起きたとしたら、たちまち社会のことよりも私事に心が奪われてしまいます。
それが大きければ、大きいほど社会への思いが薄れます。
当たり前のことですが、人は余裕がなければ他へ意識を持っていけなくなるものなんだと感じます。
先週義父が亡くなり、今日初七日を迎えました。
嫁として、ひたすらお客様への対応におわれました。
息子たちへ死の大切さを伝えました。
火葬場では、映画「おくりびと」の話を思い出し、子どもたちに伝えます。
死後の処置・・・私は昔時折亡くなった患者様の身体を拭き、綿をつめ、死に化粧を施します。
手を合わせ、くくります。おくりびとのごとくそんな仕事も看護師の仕事でした。
その話も子どもたちに伝えます。
お寺さんが来て、法名の話・・・お葬式・・・
はっと気づきます。お金あっての法名、葬儀の階級・・・不思議な感じです。
人は亡ってもお金で階級をつけられるんですね・・・
さまざまな社会の図式が見えましたね・・・義父の入院から葬儀までの間に・・
そしてちょっと一息ついた頃・・・学校から電話。
息子が手を骨折してしまいました。
折れ方が悪く、月曜に入院となります。
先週はじめ、お通夜、葬儀のためにお菓子等の買出しに大忙しだったのですが、その週末には、息子の前開きのパジャマ、下着、シャツ等の買出し。
息子に寄り添う今日この頃です。
今、心はどちらに向いていこうかと感じております。
ただ心落ち着かせ、目の前にある日常を深呼吸して過ごしています。
さまざまなことが重なると、人って弱気になるものですね・・・
そう感じつつ今福島の方、被災地の方の日常はもっと過酷なものなのだろうと時折心をそちらに向けております。
息子が言いました。
「手が動くっていいな~」
当たり前ってほんと忘れてしまいます。
病気や負は心を自分に戻す大切な時間なんだと改めて思います。
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by polepole-yururin | 2012-02-18 12:43 | 私のこと | Comments(12)

改めて

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原発事故がおき、福島や近隣の町がさまざまな被害を被っている。
生き方がわからない。
私もわからない。
看護師の時、私は中央部門で働いていた。
手術、集中治療、救急、、、整形などの手術やカテーテルを入れて行う検査は透視下で行う。
つまり放射線を出し続けて画像を見ながら行うわけだ。
その時は医師も看護師も鉛のガウンを装着する。
エプロン状になっているから後ろからは筒抜けで、透視しているときは前を向けと言われた。
中央部門は危険手当てが給料についていた。
これは放射線を浴びる危険度が高いからだ。(余談だが、危険といえば、肝炎、AIDS、梅毒等の感染症をもつ方の手術等で大量の出血が予測されたり、メス、注射等の針さし事故で医療者も感染する危険性があり、これも危険手当てとなるが、、私も二回ほどしくじり、使用済みのメス、注射針を刺してしまってあわてて手洗いし、肝炎のワクチンを打った覚えがある。おかげさまで感染に至らなかったが、、)
病院内のアイソトープのマークを見てちょっと寄り付きがたい場所だと感じてた。
放射能をそんなふうに危険視していた日常に、福島の出来事がおきた。
けれど、大丈夫という。
原発に働いていた方、その町に住む方々には危険手当てがついていただろう。
町には個人に危険手当てを与えられたわけではないが、税金、町の公共施設等に危険手当ての代わりのお金が入っていた。
ふ~ん、いろんな種があかされる。
東京に放射能の線量が高いところが見つかったが、かつての医療研究施設だった・・・。
適当に廃棄物を裏にうめたりしたことが何年もたってある時わかる・・・消えない事実。
広島、長崎の原爆投下後すぐに反応が出た人と後々に出た人、様々。
福島のことは初めてのことではない、、すでに歴史に残されている核の被害。
今私は、一つずつ紐といていく作業をしはじめる。
新しい情報を見つける前に、先人が見続けてきた貴重な資料の中にちゃんと記されている。
怖さを助長するのではなく冷静になるための作業だと今感じます。
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by polepole-yururin | 2012-02-15 09:14 | 私のこと | Comments(2)

風評被害?

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東京の方と話をした。
町田・・・
東京の庭木の剪定をしたものを今までは行政がチップにしてくれた。
そのチップ剤は又庭に返す。この循環・・・素敵な自然の循環だ。
が3月11日の原発事故以来、このチップにする行政の取り組みはなくなった。
剪定した灰からセシウムが検出したからだ。
だから行政は、植物の剪定したものの回収はしても、各個人へ変換せず、その剪定後の灰は、どこかの一角に山済みにして、保管しているという。
東京では、やはり北関東、東北の野菜がほとんどで、選択の余地がないという。
鍋の白菜は、仕方なく一度茹でて、流水で流し鍋に入れる・・・て話していた。
セシウムは、もう聞きなれた言葉で、又その話か・・・と思うだろう。
放射能も未だ出ている状態だけど、大丈夫という。
福島の方々もそこで避難されているわけだから、その方たちのことを思うと、この悲しみを分け与えてもらい、東北の復興のため、東北のお金の流通を起こさないと皆がだめになる。
この土地で踏ん張ってもらいたい!福島、その近隣で産業、農業すべて地場産業を盛り上げ、元の福島、元の東北にもどろう!という。
確かに心情は本当にそうだ。
NHKで茨城県の風評被害のシンポジウムを放送していた。
旅館の女将さんが5重の苦しみだと訴えていた。
津波被害、原発事故、放射能漏れ、人が来ない・・・・
観光客をこちらに来てもらうには・・これは風評被害だと・・・
今こちらでは島田市で、岩手県の瓦礫焼却の問題があがっている。
試験焼却が施行される。
もともとこちらにもちょっとはセシウムは出ているのだから、岩手のものだから燃しても大丈夫だ。痛みの共有だという。
でもあるお茶農家、この焼却が施行されると、取引はしないとある業者が言ったそうだ。
西日本ではこんな話は遠い話だろう・・・
私とてここから北の話は見えなく、北の方からすれば、我々のことは、せっぱ詰まったものではないのだろう・・・

いろんなことを見て、聞いて、思う・・・
復興は瓦礫を除去しないと始まらないのだろうか?
神戸は瓦礫の横でバラックを立てて動き出したそうだ。
東北の都市8年計画案・・・新しい嵩上げした、津波、地震に強い町つくりといいつつ、まずは瓦礫を一掃してダンプが来て、ブルトーザーがきて、山の土を盛って、コンクリートで固めて・・・
土建、建築・・・その作業があってこそ、都市ができる。結びつくゼネコン・・・
その構想がなぜ最初なんだろう。国、県、行政のやることにお任せで本当にいいのか?
住民は、8年何をしているんだろう。8年ってどんな年月のことをいうのだろう。
共産主義であるわけでもなく、個人の意思が反映されるのが民主主義なんだから・・・
瓦礫をなくさないと動かない行政のものの運ばせ方が問題ではないのかな・・・
瓦礫があっても少しずつはじめられるんではないんだろうか?
放射能は消えない・・・放射能を含んだ採石場の石が南相馬市のビルのコンクリートになり、放射能を放っている。
みんなが嫌がるものをたらいまわしにしている。
人が来ないのは放射能が怖いからだし、食べ物の放射線量が怖いからで、大丈夫ということの意味がわからないからで・・・
産業発展、経済、流通、食べていくにはそれらが優先なのは本当にわかる。・・
そのあと押しに、政府が福島に放射線の研究施設等さまざまな大きな施設を建てて、雇用にも役立たせる。
なんか原発事故の問題がすごい建物や国の研究施設を作るということで、福島に「誇り」というもので押さえ込んでいるんようにも感じる。・・・
踏ん張ることがいいことなのか・・・
放射能を浴びても大丈夫?・・・日本人は放射能にも無敵になっているんだろうか?
大丈夫だから来てもらいたい、食べてもらいたい、痛みを共有したい、してほしい。
風評被害?と本当の汚染の苦しみ・・・その苦しみを知った人たちは、大丈夫という言葉でことをうやむやにせず、原発、核を動かしたことへ我々も加担していたことに立ち戻り、広島、長崎の被爆した方々のように、声を上げていかないといけないのだろう・・・
no more 核が経済、流通その前に!

3月18日、静岡県掛川市千羽のАgora子ども美術工場で、マーシャル諸島や福島の方々と関わってらっしゃるフリージャーナリストの渡辺重幸氏を囲んで、フクシマのこと、我々の今後を考える時間を持つことになりました。
ぜひ核について、向き合いましょう!
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by polepole-yururin | 2012-02-08 11:33 | 原発 | Comments(6)

インフルエンザ事情~

             元気なら、子どもは遊びたいのである。
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今インフルエンザが流行している。
今年は流行らないだろうって、11月ごろ誰かが言った。
そんな情報にみんなインフルエンザワクチンをうたない人も多かったに違いない。
確かにワクチンをうったからって罹患しないとは言い切れない。
我が家もそのとおりで、下の息子はワクチンをうったけれどインフルエンザになって先週は自宅療養していた。
ちょっと前までインフルエンザにかかっても、ウイルスに効く薬はなく、ただひたすら熱を下げ、自宅療養するしかなかった。
が、二年前より、リレンザという薬ができた。これは新型インフルエンザ対策で急遽作られた薬。これは何度か吸入していく。
今年小児科に行くと、イナビルという薬を出された。
これ一回の吸入でいいので、これにしましょうと・・・
確かに一回の吸入で6時間後には熱は下がり始めた。
げ!すごい!と感動したけれど、この異様に早い効果に怖くなった・・・でも息子が楽になってくれればいいわけだから、医療に不振を沸くこともないか・・・とおとなしくしていた。
小児科の先生は「解熱してから2日経ってから学校にいってくださいね。」といった。
一応頭の中では2日だね・・・と念を押して。
私だけはワクチンをうっていなかったので、息子を看病しながらも、マスクだけはやって、息子にもマスクしようね!って伝えた。
療養中はとりあえず二階の部屋に布団を敷き、準隔離?の感じでインフルエンザ対策。
マスクいつまで・・か?とか考え、2日はやはり移る可能性が高いのではないかな・・と解熱してから後の2日間は、自宅でウイルス対策していた。
するとそのとき、NHKのニュースで、イナビルの問題点を指摘していた。
え!!何々?と食い入ってニュースを見ていたら・・・
イナビルは解熱効果があり、すぐに身体が楽になる、するとすぐに治ったと思って学校や保育所、近所の公園など外出してしまうようだと・・・しかしインフルエンザウイルスは今までどおり、身体の中では、死滅していない・・・つまりウイルスは今までどおり、罹患してから最低5日間は身体の中にいるんだそうだ。
そのことをちゃんと小児科の医師が伝えているかどうか?またそのことをちゃんと家族が知っているかどうか?
テレビに出ていた小児科に受診していた子どもは、熱が下がったら元気なので遊びたい!と話していた。
すると先生は、身体は楽でも、家でおとなしくしていてね。っ言っていた。
今インフルエンザ流行の問題点はこの薬の使用後の対策に間違いが生じているからかも・・・といっていた。
確かにそうかもしれないと思う。
今保育所では、その問題点が特にあがる。
働いている親は子どもが熱を出すといやおうなしに仕事を休まなくてはならない。
熱が出ているときは仕方ない。でも熱が下がったら見た目元気だし保育所に預けられる。
イナビルで解熱はすぐだ。
でもウイルスはまだ存在する・・・その行為がいくらインフルエンザになってすぐ休んでも、治っていない状態で登園してきたら・・・ってことになる。
今までインフルエンザで問題になっていたことは、高熱による体力消耗や子どもだったら脳炎、髄膜炎への移行が怖かった。
その問題点を克服したかのように思える最近の薬。
熱が出るのはウイルスが熱を出すわけではなく、体がウイルスと戦っているための発熱。
イナビルは、ウイルスが体内で増殖するのを防ぐよう、レセプターに反応するようだが・・・
見た目からだが元気だと、人は休むことをしない。
病気になること、たとえウイルス感染でも、身体の不調が病気の反応を起こし、身体を休めるようにさせるわけで、一休みもせず、淡々と病気を処理することが本当にいいのかどうか、このイナビルのことで考えた。
なんか、新薬ができて医者はその新薬について知っているのかいなか。
また、お母さんへ・・・たとえ熱が下がっても、病気した子どもさんのそばに少しでも長くいてほしい♪

追記:ただいま2014年3月です。その時点で私はインフルエンザワクチンは打たない方がいいと思う。私が医療者だった頃以上にワクチンという者がやたら増えた。
科学の進歩と言い、ワクチンと新薬が年々開発され私達の日常にどんどん現れる。
予防のために・・・と。
予防を重視し、危険な薬を投与する必要があるのかどうか・・・
子宮がんワクチンが一時危険性を言われ、中止となっていたが、いろんな学会(?)が異常は認められず、ワクチンの効果の良さをただし見解が現れ、又再開!と新聞で報じられている。
ちょうどその頃にネットでは、エボラ出血熱が又、蔓延しだした。と情報が流れる。
ちょっと前に高血圧の薬についてデーター改ざん疑惑が各大学と製薬会社の中で上がった。
薬と医師への信頼が消えた。
すると、新聞記事一面に高齢の有名登山家の写真とそこに「心房細動で”あきらめる”なんてくやしいじゃないか」バイエル製薬の広告だった。
ニュースやコマーシャルのタイミング。
なにか大きな権力が働くところの負の出来事が起こった時、視覚情報がふんだんに流れている事に気づく。
ワクチンだけでなく、さまざまな事に対して今私達はこれでいいの?という意識を持つ事である。

       
   
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by polepole-yururin | 2012-02-06 11:36 | 医療(思うこと) | Comments(8)

春支度~

立春前、全国的に雪が降り、各地で被害が相次いだ。
こちらはほとんど雪の降らない地方だけれど、さすがにその日は寒く、我が家の庭も雪景色。
こちらの方が、しきりにこんな降るのは今までに見ない・・といっていた。
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雪は音を包み込み、汚いものを隠し、シーンとした清らかさを私にもたらしているようだ。
息子がインフルエンザで自宅療養中だから、外出することもできなかったので、この静けさを、より感じられたのかもしれない。
息子が良くなるように、天気も回復し、昨日は上の息子の学校の資源回収に私も借り出され、朝から雑誌、新聞紙、ダンボール、ぼろ布等を車に乗せて近所をうろちょろして搬送した。
その勢いで、庭のバラの剪定と春に向けての肥料、土つくりをやった。
芽が動く前に、土を入れ替えたり、肥料を施す作業をしないと、春に立派なバラの花を見れなくなるから。
地植えしているバラの付近をスコップで掘り起こし、根の状態を観察し、牛糞と薫タンを適量すきこむ。
その作業をひたすら行う。
34株ある地植えのバラ・・・・この作業をしているとふとこう思う・・・。
「この作業は年を重ねたり、病気なんかしたらできないな~。」と。
我が家の庭は、健康でないと維持できない・・・とちょっと先を思って反省する。
他にも鉢植えのバラが11株あるので、そのバラたちの植え替え作業もあるから・・・・これは少しずつ縮小していくべきだな・・・って思う。
バラは、人工的に作られた植物だから、ほったらかしにはできない・・・
最近循環を意識しているので、その意識がさまざまな自分の今までの行為に変化をもたらしているって気づく。
そして無法地帯になったつるバラの剪定。
鋭いとげに刺さりながら、なんとか剪定終了。
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その後、花さかじいさんのように、バラの苗の周りに、米ぬかをぱらぱらとまく。
「きれいな花が咲きますように~。リン、カリウム、チッソ・・・たくさんお食べ♪」
その作業は3年前に新聞で知った「無農薬でバラ庭を」小竹幸子さんの本を買ってからだ。
この庭を無農薬、有機栽培で育て始め、さまざまな本を読み、試行錯誤してやってきた。
けれど、バラを育てる際、なかなかシュートが出なかったり、花数が少なかったり、害虫にやられたり・・・奮闘した。
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たくさんの本を買った・・・バラに関しての本。(他にもガーデニング、農法についての本もたくさん読んだ)
その結果、この小竹さんの中の米ぬかが確かな手ごたえを私に与えてくれた。
米ぬかってほんとすごい!
シュートは出るし、花数増えるし、とりあえず、楽!
いい土の状態をキープしてくれる。
米ぬかでミミズも増えた。
昔ミミズを増やすために、釣り屋さんにいってえさ用のミミズを買って、庭に放流したくらいで・・・でも米ぬかさんはそんな姑息なやり方をする私を超えた!
循環ってほんとすごい!
が・・・最近いやな異変を見つけた。
我が家の一番いい場所の植物が良く枯れる。
何でだ?って根を見ると、毎回ネコブセンチュウにやられている。
根にこぶができている。
だからあるときは、センチュウが嫌うガーデンプラツとしてイチゴ、マリーゴールドなどを植えて土の環境を変えようと試みた。しかし、二年経っても、そこはネコブセンチュウにやられる。
去年堪忍袋の緒が切れて、センチュウ除去剤を使ってしまった。
でも・・・
でふと思った。
4年前、花壇の周りに敷き詰めていた枕木が、シロアリにやられた。すごい発生で、このままでは家に!とおもってシロアリ駆除の方に来てもらって駆除してもらった。
その頃からだ、土の中の環境が変わったのは・・・。
毒性の強いシロアリ駆除の薬・・・その毒が未だ消えていないような気がした。
循環を変えるのは、安易な人間の思いだけだ・・・とそんなことを思い、自分の身近な環境を省みる。
いくら無農薬やっていても、ちょっとした毒性が簡単に環境を変え、循環をとめる。
さ~元の循環を取り戻すには、待つこと・・・それだけかな・・・。
自然のサイクルの中に私たち人間がいることをいつも感じます。
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by polepole-yururin | 2012-02-05 12:02 | 花のこと | Comments(8)

立春を前に、、、

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今日本列島は大寒波に見回れている。
大雪で身動きがとれない状態。
最近雪が少なくなったといいながら、去年ぐらいからまたよく降るようになったな~と思ってみたり・・・
でも暦上ではそろそろ立春。
我が家も玄関の置物を獅子舞から豆まきバージョンに変えた。
この置物、なかなかユニークな代物で、私は気に入っている。
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旧暦では、二月三日より新年だから、厄を今のうちに落とさないと・・・・と思っていたら・・・
昨日の昼、小学校から電話。
息子が熱を出したということで、保健室に迎えに行った。
そして今日、熱が下がらないので、一応小児科受診し・・・インフルエンザと診断・・・。
ショック・・・ちゃんと予防接種を受けたのにね・・・こんなこともあるかなって開き直り、看病に徹する。
今日はじっと家でおとなしく~。
ひたすら編み物をやり、撮りためたハードディスクを見てた。
NHKのアーカイブス(シリーズ原子力)4話連続で見た。
重い重いテーマだ。
でも目を背いてはいけない現実がここにある。
第二話は昭和56年度の作品。
私がちょうど息子と同じ年の頃の放送作品だ。
その番組は、二人の科学者の対談だった。
一人は大阪大学理学部講師の久米三四郎さんと原子力産業会議の専務理事だった森一久さん。
二人は同じ1926年に生まれ、久米さんは2009年に、森さんは2010年に亡くなられている。
もうこの世にはいない。
その彼らの対談からみえることは、30年前のことが、今なお解決できずにさまざまなことを起こして今ここにのしかかっている事実だ。
久米さんは四国の伊方原発の住民から湧き出た原発裁判に力を貸した科学者であり、長い年月住民と一緒に戦った方である。
核の問題をきっちり指摘する。
一方、森さんは、今の政府や保安委員と同じような言葉を話されている。
ちゃんとしているから大丈夫。
ちょうどスリーマイル島の事故後の番組だった。
森さんは、「あそこの原発は古いし、わが国で使っている原子炉とは違う、科学も進歩し、もっと安全に扱えるようになっている。」という。
この番組は、原発から出る廃棄物・・・プルトニウムについても指摘している。
このプルトニウムは、原爆の材料となる。
原発を作動することにより容易に核爆弾の材料を作り出している・・と。
森さんは、鼻を鳴らしているようにいう。「はへ~、原爆に作り出すことなんてしない、大丈夫だ。」と。
でも久米さんは「生み出してしまったら、それを大丈夫だなんてどこに保障があるんだ?対局するものを作り出してしまってはだめだ・・。」と強く言う。
確かにプルトニウムを変に利用していないかは国連の組織で見果っているというが・・・
森さんは最後に「久米さんも変に国民を刺激しないで、エネルギー問題として協力していきましょうよ。」といった。
久米さんはきっちり言う。「それは違う、国民にちゃんとしたことを伝えることを国がしないだけで刺激しているのではないですよ」と。
そう確かにそう!国民に伝えていないことがいっぱいある。
久米さんはコストの問題についても指摘する。
「原発を作るのはエネルギー対策で、石油があと何年でなくなると国民に不安をあおり、すぐにでも尽きるような話をしている。それに原発を使うようになって、石油消費量もぐんと上がっているんだ。何がエネルギー問題だ?そのことを誰も指摘しない・・・使用核燃料を廃棄することができないものを人間が使用してはいけない。
」と。
森さんは言った「大丈夫、再利用できるシステムが近い将来できるし、安心安定したエネルギーなんだ」と最後まで言っていた。

そして30年が経った。
その番組の二年後チェルノブイリの事故が起きた。
一時はみんなびっくりしたし、ヨーロッパ全土に放射能汚染は広がった。
ヨーロッパはたじろぎ、核の恐ろしさを知ろうとした。
しかし日本には影響は来なかった。
だからニュースのように取り上げ、他人事のように見ていたに違いない。
原子炉がとまったりすることもなく、原発は作られていった。産業ももっとがどんどん盛んになりエネルギー消費はバブル時代のように泡の様に使われ・・・・エコといいつつ原発をどんどん押しすすめる。
今、福島の事実。この重みを見ても、・・・皆、久米さんのように動くはずだろう。
なのになんでいまだ原発推進してるんだ!

30年前のアンケート・・・原発銀座と呼ばれる福井と東京の方へのアンケート。
原発は反対か賛成か?・・・結果福井のほうが賛成は多かったが、東京も賛成が多かった。
原発を自分の土地に建ててもいいですか?・・・福井はもう建っているもので半数がいいと答え、東京は、反対が大半だった。
みんな人事だ・・・エネルギーのために仕方ないというも、自分ごとになると反対する。
この心理・・・たとえば不安があったならお金で抑える。
人が少ないところに原発を作る・・・犠牲になるものが少ないから・・・東京は首都圏で、情報の発信で、国会議員さんもいるし・・・
30年経っても人は変化していないのかもしれない・・・科学(医学も)は進歩しているようで押さえ込めないものを作り出しているんだと、ちゃんと気づいているはずなのに・・・
そのころ小学生だった私は、この番組を30年経った今見た。そして考える。
その空洞の30年・・・私は時の流れに身を任せ、疑問は持ちながらも、仕方ないとここまできた。
今息子がちょうどこの番組を放送していた時の私の年齢である。
空洞・・・それは大人が教えなかったからともいえる。f0215179_23455928.jpg
私は、久米さんが言ったように、ちゃんと知ることを意識する。そして子どもたちにちゃんと伝えられる大人になろうと今少しずつ動き出している。
今天国で、久米さんや森さんはどんな対談をしているだろうとなんとなく想像した。
森さんが、頭を下げ、久米さんは涙を流し、もっと強く伝えていくべきだったといっているようだ。
そんなことを考え、息子の熱を測ると、少しだけれど、下がっていた。
この息子にわかりやすく核を伝えよう!30年後の君を想像して~。
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by polepole-yururin | 2012-02-01 21:29 | 原発 | Comments(6)