ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
プロフィールを見る
画像一覧

<   2011年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

f0215179_2043874.jpg
たいへん重い話をします。
こんな話はいやだろうけど、聞いてください。
これは私達日本人が知るべきことです。
私の話を聞いて、また始まったとか、もうえ~てとか、偏った思想とと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、伝えたいと思います。


10月22日、23日と深夜でNHKのETV特集で「原発事故への道程」 前編「置き去りにされた慎重論」・後編「そして安全神話は生まれた」という二夜連続の番組を観た。
この番組は9月18日と9月25日にすでに放送されたものだ。
番組タイトルも重いテーマなので、見ることを躊躇していたが、友人からもらった村上春樹氏のスピーチが引き金になって、見ることにした。
確かに重いテーマだし、重い話だった。
でも原発と原爆の問題が本当はおんなじ所にあることを理解した。
1945年8月6日・9日の広島・長崎の原爆投下された日本は、核の恐ろしさを目の当たりにし、世界唯一の被爆国となった。
その悲しみ、辛さ、苦しみを知った日本人がどうして原発を導入したか?
その歴史をこの番組は明かしていた。
アメリカは、原爆投下したあと、エネルギー対策として原子力発電の研究をし、同時に日本にその原子力を広める。
原子力は安全だと。
そのことを日本の科学者は理解しつつも、まだ早い、じっくりゆっくり研究を始めることが大事だと伝える。
しかし、国会で中曽根氏が原子力の研究すら始まっていないのに、莫大な予算だけをつけた。
原子力の研究や原子力自体何か分からない状態で3年の原子力の予算だけがつき続ける。
空洞の予算。
そのところに着目したのは、読売新聞の正力氏だった。
正力氏は、まず研究者としてノーベル賞受賞者の湯川秀樹氏に原発研究をお願いしたが、早急なる原発導入に湯川氏は、異を唱え、研究員を辞した。
それでも正力氏の動きは止まらない。
しかしそのころ第五福竜丸の悲劇が起こる。
日本国民、特に主婦達は、反核、反原発を訴える。
一時は原発導入出来ずに終わるかと思いきや、正力氏は読売新聞の記事で、原発は安全であり、未来のエネルギー、科学の進歩と訴え続ける。
同時に、原発科学博と称し、日本各地でイベントを開催する。
あんなに反核を訴えていた民衆は、マスコミの情報と明るいイメージキャンペーンのイベントに魅了された。
そして広島の被爆者さえも、あなた達の悲劇は、未来のエネルギー、科学の発展に大いに役立った、あなた達の犠牲により日本は前進すると伝え、原発を受け入れた。

その後科学者抜きの原発は、商社に移行される。
三菱は、その話をお受け入れ、原発を建設し、アメリカから原発の装置を輸入する。
商社の研究者達は、原子力さえ何者か分からないまま、原子力を任される。
そして茨城の東海村に第一号の原子力発電所が出来た。
しかし度重なるトラブルが起こるが、だましだまし稼動させていた。
そして1967年福島第一原子力発電所が出来た。
福島第一原子力発電所の原子炉もアメリカのものであるが、実はその原子炉は全てお任せの原子炉である。お任せであるがゆえに、比較的安価で購入することが出来た。
しかし実際原子炉に水を組み入れるためのポンプが短かった。
いわゆるクーリングオフできないしくみだから安かった。
政府と電力会社は高台に建設するためにはコストがかかるし、水のくみ上げが問題になり、また購入したポンプは短く、結局、地下水を組み入れるという設計に変えた。
それから30年がたち、耐久年月が過ぎたにもかかわらず、10年過ぎた今年、福島第一原子力発電所は爆発した。・・・・・(前編)
f0215179_2163224.jpg原発は高度経済成長と共に日本各地に出来ました。
田中角栄の「日本列島改造論」のもとで・・・・
田舎の過疎の村に、人の少ない町に出来ました。
過疎の問題と雇用を結びつけた・・・そしてお金で個々を買収しました。
四国の愛媛県の伊方町に原発建設の話が持ち上がりましたが、住民の熱き反対運動は続きます。
しかし強引に原発は出来上がります。
そのことに裁判を起こす住民がいました。その住民の動きに科学者達が賛同します。
日本初めての科学裁判でした。
いろんな問題がその間も原発では起こったりしましたが、原発停止には至らず、判決が出る5年目の年にずっと裁判を見届けてきた裁判長は移動となり、強引に判決は下されました。
結論は、原発のことも知らない一住民が、日本経済を支えるエネルギー対策の施設建設について反発してはいけないというものでした。国に任せろ・・・という感じのもの・・・
強引なまでの国や電力会社の力。
その後も原発は稼動しつづけ、経済とは離せないしくみを作り続けます。
原発はエネルギーという話で片がつくようになっていますが、この原発は、れっきとした商品であり、商売道具であり、また今の社会の力関係と大いに結びついているのです。・・・・・(後編)

この間も朝日新聞の記事で、九州電力の玄海原発の話が載っていました。
やらせ問題もさることながら、原発は、地域政治家と結びついています。
そして個々の利害にうまく入り込んでいます。
大掛かりな建設工事はゼネコンが潤いますし、そこにつながる様々な企業、国もそうかも知れませんが、地域の政治は土地の有力者が実権を握っています。
その政治家に賛同する人々は、その人の思いで群がっていたらいいのですが、個の利益を持って結びついている方が多くいます。f0215179_21125448.jpg
その形は原発の裏にはたいへんあります。
佐賀県唐津に早稲田大学属校の中学、高校が昨年の春開校したそうですが、九州電力が半分の20億円寄付したそうです。
九州国際重粒子線がん治療センターも寄付をしていただくそうだ。
福井県の敦賀市、美浜町、高浜町では、子供のおむつ代、おしりふきは無料で配布され、手厚い福祉をしていただけるし、子供にも給付金がいただける。
個人個人の利益はたくさんあるし、充分な生活が保障されている。
一瞬幸せだな~ありがたいな~って思える。
目先の幸せと子供達の未来を後回しにしてはいませんか?
設備、生活保障・・・けれど、依存した時から人は自分を見失う・・何が大事で、何のために生きているのかさえ分からなくなっていることを・・・
抜けきれない利害の網を今ほんとうに解く時がきたと思いませんか?
まずは知ることをはじめましょう。私はそう思います。
是非NHKのETV特集をオンデマンドで見てください!!重いけど見てください!
今だからこそ見てください!

[PR]
by polepole-yururin | 2011-10-26 19:56 | 原発 | Comments(12)

村上春樹氏のスピーチ

f0215179_23561232.jpg

この間友人から村上春樹氏のカタルーニャ賞受賞のスピーチが書かれた資料をもらった。
一度読んでみて~と。
その資料を読んで、とめどなく涙が出てきた。
この涙は何処からの涙なんだろうと、今までの自分が知っている涙の理由ではなかった。

私が小学生だった頃、原爆のことを語る授業が多くあった。
そしてテレビでも毎年8月になれば、「原爆を許すまじ」といいながら原爆の証言をする被爆者の映像を見た。
怖くって、目を背けながら・・でも見なければ・・・と目を開け閉めしてテレビを見ていたことを思い出す。
そのうち関西電力のCМが流れ、原発の安全を伝えていた。
そんな時、どうして原子力を使っているのに、原爆は怖いもので、原発は安全なんだろうと思って誰かに聞いた覚えがある。
そのときある学のある大人は、「原発と原爆をいっしょにしてはいけないよ!原発は、エネルギー確保に必要な安全な設備なんだよ。原爆は爆弾だからね~。」と私を馬鹿にしたように言った。
賢い大人に当たり前のように言われ、あ・・そうなんだ。学のない子供には分からないことなんだと自分の疑問をそのときは消した。
でもそれからも疑問は消えなかった・・・原発も原爆も原子力だよな~て。
その後第五福竜丸の話をしって、嘆いた。
そんな子供は、いつの間にか大人になった。
あるときネイティブアメリカンの本を読んで、ウランのこととインディアンの結びつきを知った。
産業革命が起こり、白人が入植し始めて、様々なエネルギーの発掘が成された。
産業革命と同時に戦争が起きた。
その後大きな悲劇が起きた・・・原爆だ。
その悲劇を目の当たりにした日本人は、経済復興で世界に追いつけと、産業に重きをいて高度経済成長の時代を迎える。(悲劇を目の当たりにしたのに・・・・)
この時代に私は生まれ、科学の発展は豊かさの象徴だと学校で教えられたし、様々なところでその話を聞いた。
が・・・科学の発展は、その歪みを所々で落とすこととなる。
子供の時の疑問は少しずつ確かなものなり始めた頃、3月11日の地震で原子力発電所の事故が起きた。
今もなお修復していない原発の問題。
10月17日、KAМEの翼プロジェクトの食事会で、原発の話が出た。 (KAМEの翼)
その中で、ある人が未だ安全な原発を作ればいいし、原発を手放すことは出来ないと語った。
そんなときだった・・・村上春樹氏のスピーチの資料をもらったのは・・・。
私が小さなときから持っていた疑問に対する答えをもらったような気持ち・・・共感だろうか・・・力を持った政治家や科学者の当然とする「原発が必要である」という言葉を覆す、鋭い文章だった。
覆された倫理・・・その通りだ。
効率を求めた電力会社と国の政策。
それを推し進めるために膨大な金を宣伝費としてばら撒き、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けた・・・・(スピーチより)
そして政治と電力会社は容易に結びつき、言葉のすり替えとお金で、市民を取り込んでいったのか・・・
この村上春樹氏のスピーチは、友人の高校生の子どもさんが学校でもらってきた資料だったそうだ。
そしてその高校生の娘さんは、村上春樹氏のことをすごい!といってこの資料を母親である友人に渡したんだそうだ。
その友人もこの間の食事会に参加していた。
友人の娘さんの意識に感動し、また友人の意識に微笑み、そして村上春樹氏のスピーチに安堵した。
皆さん、村上春樹氏のカタルーニャ賞受賞スピーチをぜひ読んでください。

ps:村上春樹氏のスピーチはYouTubeで見られます。検索してみてください。
[PR]
by polepole-yururin | 2011-10-21 23:49 | 原発 | Comments(2)
この看板を4月から5回にわたって見たな~。
4月の時は何処が女川なのか、石巻なのか何も分からず、道の状態もでこぼこで、真っ暗闇の町だった。
この看板が頼りだった。
f0215179_22562512.jpg

4月は真っ暗だった町も、半年たって、明かるい町となった。
f0215179_2257790.jpg

避難所の保育所のお遊戯室は物資でいっぱいだった・・・4月。今は何もない。
f0215179_23111428.jpg

9月19,20日とまた被災地・女川に行ってきた。
今回は8月に作っていただいたテラコッタ作品を、静岡で焼き、その作品を届けにいった。
出来上がったテラコッタ作品は、静岡県のアゴラ子ども美術工場の和室アトリエで展示した。
その展示にあたって、被災地・女川のこと、私達が4月から被災地に行って、先生方と関わった足取りと、先生達の思いを伝えたいと思い、資料展として同時に展示した。
その資料展には、様々な方が来て下さった。
こちら静岡では浜岡原発があり、我々の住むところは20キロ~30キロ圏内のところ。
また海から近く、もしも3月11日のような震災が起こったとき、津波が到達する危険性がある地域はたくさんある。
その中で意識高く、反応してくださったのが、焼津市の保育園の園長さんだった。
震災後、先生方がどのように避難所で活動されたか・・・思いは・・・など共感された。
様々な感想を寄せていただいた。
またひかりのくに社の方もわざわざ関西から来てくださって・・・
ありがとうございます。
我々は、その思いと、テラコッタ作品をもって女川に。f0215179_23144294.jpg
女川では、先生達は10月3日からの保育再会に向けて、大掃除の真っ最中。
3月11日からごった返していた避難所になっていた保育所は、ガランとしていて、あの震災を忘れてしまいそうな空間に変わっていた。
先生達は、テラコッタを手にとり、たいへん喜んでいらっしゃった。
テラコッタ展と資料展の様子をパソコンで見てもらった。
先生達は、興味深く見入っていらっしゃった。
第一保育所所長のY先生と、第二保育所の所長のI先生は、9月30日で保育士の職を辞す。
3月11日の震災で、とたんに避難所の所長になり、長年働いてこられた保育士の仕事の終わりが途切れてしまった。f0215179_23152818.jpg
様々な思いをお聞きし、先生のお気持ちはいかほどか・・・。
その日、Y先生は6月にお渡ししたエプロンをしてくださっていた。
「先生、いつまでも保育士の仕事をやめないで・・・」という思いをこめて手渡したエプロンだった。
9月30日、その先生達ふたりに、アゴラの先生と退職のお祝いに静岡から花を贈った。
その後先生からお礼の電話をちょうだいした。
「この震災がなかったら、先生達(アゴラの先生)からお花をいただくなんてことはなかったでしょう・・・なんてなんて・・・本当にどうもありがとうございました。」と

御縁とは不思議だ。
この震災は、たいへんむごい出来事だった。
けれど、その出来事から今までは決して出会うことのない方々と関わることが出来た。

その不思議な御縁といえば・・・
保育所の帰りに、5月から避難所で出会ったМちゃん家族が気になって、引越しされた避難所を訪ねた。
Мちゃん家族は、この時点で、勤労会館の一部屋をもらっていた。
その部屋に、5歳のМちゃんと5年生のお兄ちゃんとお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんと7人が生活をしていた。f0215179_23173368.jpg
まだ仮設に移れないМちゃんとお兄ちゃんにやさしさをプレゼントしたかった。
だから抱き枕を作ってプレゼントした。
Мちゃんとおにいちゃんはたいへん喜んでくれた。
ちょうどその日は敬老の日だった。
「おじいちゃんおばあちゃんになにかしたの?今日は敬老の日だね。」と問うと、「うん、ふたりで肩もみするよ♪」といっておばあちゃんとおじいちゃんの肩をもみだした。f0215179_23125330.jpg
みんな笑っていた。
まだ仮設に移っていない家族なんだけれど、たいへん笑顔が素敵で、優しさあふれた家族の姿を見せてもらった。
Мちゃん家族からコップに入れたジュースをご馳走になった。
私がいただいたコップをみて「これお父さんのコップだよ。」とМちゃんが言った。
「いいんですよ、どうぞどうぞ」とお父さんは私に言った。
プラスティックの大きなコップだった。
まだ即席の生活がここにあるんだな・・・と申し訳ないような気持ちで・・でもありがたくジュースをいただいた。
「10月10日、3階建ての仮設にようやく移ることになりました。」とお母さんが言った。
あ~良かった、ほんと良かった。
10月10日の朝日新聞やテレビに、「女川町の三階建ての仮設住宅が完成し、ようやく女川町の方全員が仮設に移ることになった。」という記事を見た。
女川と聞くと、すかさず、あちらで出会った方々の様子を想像し、テレビや新聞にかじりつく自分がいる。
そして三階建ての仮設住宅にМちゃん家族がそこにいるんだと感じた。
Мちゃん家族の生活は、第二ステージへとようやく移ることが出来たんだと、安堵した。

仮設へ移り、避難所がなくなることで震災後の復興が完了したわけではない。
これが、第一歩ということで、これからが本当の個人個人の復興である。
どうか、疲れが出ませんように~。
[PR]
by polepole-yururin | 2011-10-13 23:34 | 震災 | Comments(6)
f0215179_8383988.jpg

KAМEの翼プロジェクトのプレイベントの一環として開催された、高橋匡太さんの光のワークショップ。
一夜の夢のような光の輝き。
普段はトカゲ、まつむし、野うさぎ、ウリボウ・・・様々な生き物と遭遇し、四季折々の自然の彩を楽しませてくれる里山にあるАgora子ども美術工場は、虹色の光に包まれた♪
光のアーティストとして日本、世界を飛び回る高橋匡太さんが9月10日から三週間(各土日)このАgoraにやってきた。
10日11日は、子供達と実験を試みる。(その様子は私の9月ブログ「光のワークショップ」の項参照)
17、18日、24日には前週の試みを広げ、みんなで高橋さんが作ってきたАgoraのぬりえをやった。普段は緑の自然いっぱいのАgoraを様々な色の配色に変えていく。
本当にこのАgoraが自分の塗った色に輝くんだと想像して、色鉛筆でぬった。
「地上絵を描こう!」次の提案が高橋さんから発した。
子供達は「地上絵?」と理解しがたい様子だったが、次第に想像が膨らんで、黄緑色の画用紙に凧紐で一筆書きの絵を表現した。
子供達は、たいへん想像力豊かで、カブトムシ、カメ、クローバー、人の輪、喜ぶという文字・・・などを描いた。
子供達はほんと面白い♪
また巨大風船を膨らませ、子供達と空き地で遊んだ♪
25日18時、とうとうその日はやってきた!
里山は暗い闇に包まれた。
子供達は手をつないで大きな輪を作った。
光のひもが手渡された。
真っ暗な闇に中に光のひもだけが浮かんでる。
不思議な感覚になって子供達はひもを動かし始めた。
ビュンビュン!光が飛び回る♪時にはハートに、時には自分を囲ってみたり♪
その光の残像が一本の線から何重にも螺旋を描き子供達や大人を魅了する。
そしてしばらくしてАgoraは、子供達の描いたぬりえが現実に現れ、虹色に輝き始めた。
そして定期的に子供達の人数分の不思議なАgoraが表現された。
その後子供達はグループに別れ、指示に従い、光の線で地上絵を描き始めた。
クローバー、鳥、人の輪♪
ワーワー言いながら、子供達は大きな絵を、庭の広場に描く。
そして二階に上がって、確認する、鳥?クローバー?人の輪?
ナスカの地上絵を描くとき、こんな試みがあったんじゃなかろうか?となんとなく思った。
最後に巨大風船が空に舞った。
光の線だけが空に聳え立った。不思議だ!
みんな空をずっと見上げている。しばらくして光が風船に灯った。
七色に変化する巨大風船に光の線・・・
七色のАgoraに七色の光の実・・・
ここはいったい何処なんだ?
ピノキオのお話、ピノキオが見た不思議な世界を見ているような・・・でもこの光は、ピノキオのお話のように決して恐ろしい世界への入り口ではない。
みんな、君達の想像をまず形にしてみよう。その小さな形がきっと本当に想像したように形化する!
想像は、君達の表現の一歩なんだと教えてくれたような一日だった。
高橋さんも楽しんだ!
高橋さんは、普段本当に忙しい人だ。
いろんなところから引っ張りだこ。
時には、自分の表現さえ屈しなければいけない世の中の強引な力が、存在することだってあるだろう。
高橋さんは、20年前の島田市であった「紙ワザ大賞」を原点といって、ここで試みる様々なことを思いっきり楽しんでいる。
高橋さん自身が子供になって表現する。
好奇心と、想像と・・・今きっと大人も子供も必要としている大事なこと!
高橋さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
高橋匡太さんの試みに、次は12月に出会えるかも♪

関連サイト:KAМEの翼http://kamenotsubasa.blogspot.com/
f0215179_833338.jpg

f0215179_837587.jpg

f0215179_840285.jpg

徹夜で、パソコンで照明プログラミング。
f0215179_851669.jpg

f0215179_8413026.jpg

f0215179_8391751.jpg

f0215179_8512542.jpg

f0215179_843835.jpg
f0215179_8435282.jpg
f0215179_8442066.jpg
f0215179_845492.jpg

風船を終う時、ヘリウムガスをすってみた♪
f0215179_8541027.jpg

馬鹿声になってみんな大笑い♪
f0215179_8552419.jpg

[PR]
by polepole-yururin | 2011-10-09 08:57 | カメの翼プロジェクト | Comments(6)
ただいま作業中!
f0215179_1936404.jpg

ビデオ中の絵
f0215179_7443447.jpg

f0215179_74503.jpg

バザーで模造紙いっぱいに描いた看板。あの時既にワンピースを描いていたようで・・・知らないキャラクターを描かされた、役員さんの要望で。
今息子はワンピースに夢中。
f0215179_20124459.jpg

お遊戯会・・・ピーターパン
f0215179_19371294.jpg

この幼稚園の運動会のクライマックス!すばらしいお囃子踊り。
f0215179_1938484.jpg

年長の息子が年少の息子を教えてる♪全体お遊戯。
f0215179_7453514.jpg

八年後の息子達・・・
f0215179_7471458.jpg

今ビデオからDVDへダビング作業をしている。
やらなくてはやらなくては・・・と先送りしていたことにようやく手をつけ始めた。
実は私は息子が幼稚園に行っている時、役員で、ビデオ係になった。
アナログ人間の私は、デジタルビデオを操作することもままならない状態で、たまたまあったった係だったが、がんばった。
ちょうどあの頃はパニック障害という病気で、人と話が出来なくなり、辛い毎日を送っていた。
引きこもりになりやすかった私を、外に出さしてくれた、自立へと導いたのがこの係りだったような気がする。
人とは話できないが、薬を飲みながら、ビデオを子供に向けて撮影した。
人と話すことが苦痛だったので、家での作業をがんばった。
バザーの絵等を全て引き受けた。
ビデオの絵も曲も操作も・・・
他のビデオの係りのお母さん3人も皆デジタル音痴で、すったもんだでかつかつ形にした。
ただこのお母さん達は、子供に向き合っているお母さん達だったので、愛情こもった偏りのないビデオになったと思う。
幼稚園の子供達ひとりひとりビデオに出てきているかチェックした。
これが一番たいへんで、おとなしい子が画面に出て来づらいので、年間を通して度々チェックし、写ってない子を後で追ってみたり・・・
ビデオ係は、あまり引き受けてもらえない係りだったが、私の性格は、引き受けたら楽しもうという感じなので、それが幸いし、下の子の時も飛び入りでビデオ作成に参加した。
その時のお母さんも、やさしいお母さん達で、デジタル操作をさらにバ-ジョンアップして作った。
その味を覚え、上の息子の友人達のオリジナルビデオまで作って渡したものだ。
最初にビデオ作成をした子供達は今、受験を前にして勉学に励んでいる中学3年生となっていた。
「大きくなったら、ポケモンになりたい!」「お花やさんになりたい」「イルカの調教師になりたい」・・・など夢をひとりひとり語ったが、あの頃の夢と今とではどれくらい変わったのだろうか?
そんなことを思い出しながら、息子のビデオに移り、嘗ての息子の姿を追った。
じ~んときてしまう。
あの頃は可愛かったな~。食べてしまいたいくらいに♪
行事をこなすにもいっぱいいっぱいで・・・ひとつひとつが成長で・・・。
最近の息子は反抗期大!
恐ろしいぐらいの変化で、ほんとに私はこれでよかったのかと、子育てに反省すらしてしまう。
とがった息子・・・会話もなく・・・寂しいもんだ。
と昔の面影を思い出し、感傷に浸っていると、「あ~お母さん若いな~!今めちゃ違うくない?」と・・・
上の息子が作業部屋に入ってきた。
そのうち下の息子も見に来て、「あの子は誰々ちゃんだった?お母さん、あの子のお母さんに怒られていたな~。」て。
あちゃ~・・・けっこう覚えているものだ。
「あの頃に戻ってくれ~、なあ~○○ちゃん!」と上の息子に言ったら、「それって今のぼくを否定してない?それってちょっとやばいんじゃないの?」と言われてしまって・・・。
でもビデオの中に出てくる絵に反応して、「あの絵ってお母さんが描いたんちゃうん?今の絵もあの頃の絵も変わっていないんやな~。」と息子。
意識してないようで、知ってるんやな~私のこと・・・なんも話さない息子だけにね。
そう思うと、今も昔も私の活動は変わっていないんだなって思う。
子供達と関わり、制作活動する醍醐味は面白い♪
今は息子たちとは同じかかわりは出来ないが、今KAМEの翼プロジェクトで被災地・女川で子供達と関わったり、アゴラで子供達と関わったりしていることは、ほんとあの頃の思いと同じなんだと感じる。
いつまでもいつまでも子供と関わっていたい♪

ps:下の息子のビデオ制作が6年間滞り中・・・今の勢いで作ろう!あっという間に来年は中学生だから・・・008.gif
[PR]
by polepole-yururin | 2011-10-05 19:42 | 子供たち | Comments(4)