ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
プロフィールを見る
画像一覧

<   2011年 09月 ( 7 )   > この月の画像一覧

我が家の庭・・・タマスダレ、トウテイラン、ランタナ、セージ・・・台風一過の荒れた庭の中にちゃんと咲いていた。
ちょっと花とお話してみた♪
すると聞こえた、様々な声が~
f0215179_853126.jpg

重い話はいやだよね・・・
もう震災のことも新聞にもテレビにも載っていないし、みんな仮設に移って生活し始めたし、もっと楽しいこと日常に目を向けたいよね。
民間テレビでは、娯楽番組が流れ、売れ筋の商品が陳列し、ご当地グルメ番組やB級グルメ選手権が各地でやっているし・・・
漫画面白いし、映画迫力あるし・・・
そうだよね・・・人生短し・・・笑って目先の楽しみを追い求め生きていったほうがらくだよね。
他人は他人、目をそむければ見ないですむのよね・・・いろんなことが・・・。
だから政治も手出しできないし・・・勝手に政治家が霞ヶ関で討論してるだけで・・・
だーだーの世の中にほんと真っ向から向き合っていこうとすることのほうが馬鹿らしいね。

でもね、こうして世の中に流されていた日本人は、第二次世界大戦へと巻き込まれたくさんの大事な命を無駄にした。
そして戦後またアメリカの意向に従い、食生活、教育、環境すべてを侵食された。
侵食されたから様々な食材、文化、生産業の発展、競争社会のあり方が築けたし、成功し、裕福になったのよ。・・て。
原発もそうでね・・・沖縄の基地の問題もそうでね・・・米に守られているって言いながら守られる敵は誰なのかしら・・・
こんな話は最近出た話ではなくて、知らない知らない昔のことから始まっていて、大人になっていろんなことがわかっても、なりきってしまっている社会をいまさらどうしたらいいのか分からないよね。

でも人が生まれて、永遠に生きるわけでもなく、いつか死んでいく。
その生の意味は、流されるだけでいいのかしら?
貨幣経済の世の中で、大事なものは消費で、消費したら様々なところが潤い、幸せになる・・・
ほんとうにそう思っているの?
仕方ないという言葉って都合がいい言葉。
ほんと魔法の言葉。
仕方ないという言葉で、皆思考を停止するんだから。
重い話っていやなの分かるし、嫌われるのも分かる。
でも軽い話で生きていけば、いつか自分をなんとなく見失うような気がするの。

ね、大事なことは、学校でもテレビでも新聞でも教えてくれないんだよね。
無関心や流されて生きるってことは、自由なようで、何かに管理されて生きていることだってさ。
知ってた?
ちょっとした朝のつぶやき~
[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-28 08:53 | 思うこと | Comments(14)

ほんとにそれでいいの?

f0215179_19442368.jpg

野田総理が「来年夏には原発再稼動する」と米紙で語った。
この記事に衝撃を受けた。
ほんとにそれでいいのか・・・
菅総理が7月に脱原発を表明し、世の中の動きは、脱原発へと移行していくだろうと安堵していた。
福島の原発事故で、安全説が覆され、福島の方は本当に辛い状況に陥った。
そしてその出来事からまだ半年しか過ぎていない。
福島の方はまだ、福島の自宅へ帰ることが出来ない。
たくさんの牛が殺され、福島やその近辺の農作物に被害が出た。
子供達は、この夏いろんなところに避難を余儀なくされた。
親子バラバラの状態は今も続く。
そんな状況の中、なぜ、また原発に手を出すのだろうか・・・
確かに日本経済は落ち込み、今年の電力供給不足のお蔭で、企業に多大なる負担をかけ、さらに経済を揺るがしかねない状態であるのは理解するが、これでいいのか!
経済がうまく回り、利潤を生み出すことは日本の国に大いなる富を生み出すこととなるのだろうが、その経済を守ることと、人を守ることはイコールではない。
震災から半年しかたっていないのに、どうして簡単にことが逆転するのだろうか・・・
民衆の声は、野田総理には、政治家には聞こえないのだろうか?
もし野田総理が福島の南相馬市に自宅があったらどうなのだろうか。
それでも原発を稼動させるのか!?
放射能についてずっと報道され、考えてきたのは誰だったのだろう。
今だって、放射線は消えていないのだ。
浜岡原発は18メートルに及ぶ防波堤を作るという。
安全てそういうことなのだろうか・・・
想定外とあれだけ言って、自然の驚異を充分に理解したのではないのか!
それなのに人間はなぜ、自然を丸め込めると、あなどってしまうのか。
原子力の残骸の行き場のない現状を知ってか!
地中に埋める・・・それも過疎化している町の自然の中に埋もれさす。
アメリカ軍さえ、ふさぎこめない放射能の残骸。
アメリカという大きな大陸ゆえに、どこか分からない場所に埋めればいいのでは・・・という判断でなんとなく隠しているだけ。
その事実を知ってか・・・
経済発展と雇用はイコールなようでイコールではない。
今回の震災で雇用がなくなった方は多いと知るが、電力供給を原発稼動することでまかない、それで雇用が増えるということでもない。
政治家の・・・経済学者の言葉のトリックに振り回されてはいけないような気がする。
電力供給を少しだけ原発稼動させて今を乗り切るということは、結局のところ先送りしているだけのこと。
いいわいいわでまたもとの木阿弥にならないか?
今を本当に自分ごとのように、個々が考えていかないといけないと、この震災で学んだのではなかったか?
皆さん、震災は終わっていないし、原発事故も終焉していないことをもう一度考えよう~。
福島の話ではないんだよ・・・これは。
[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-26 19:44 | 原発 | Comments(2)

台風一過

台風一過・・・小学校の大きな古木が根こそぎ倒されていた・・・
f0215179_833226.jpg

浜松に上陸した台風15号。
こんなにすごい台風は静岡に来て初めてなんじゃないだろうか。
風は、我が家のミモザを倒し、公園の古い桜の木を根こそぎなぎ倒した。
3時ごろ、停電し全ての電気が止まった。
停電で、電話は不通。
トイレは水が流れず、冷凍庫の中身が心配だ。
すぐに友人に携帯電話で停電の有無を確認した。
どうやら近所は全て停電で、台風が通り過ぎたのを確認して、息子といっしょに停電の状態を車で見に行った。
近所の公園の古い大きな木々は倒れ、枝は折れ、商店街の道沿いの大きな木々も倒れていた。
その大木の撤去作業にもう既に来ているのには、すばやい市の対応に感心した。
信号はとまり、国道へ行く信号も消えていて、横断するのが恐々だった。
とにかくガソリンを満タンにしようとガソリンスタンドに寄ったが、3件店を閉めていた。
電気で稼動するようで休業を余儀なくされていた。
結局我が家の近所のガソリンスタンドがやっていて、ガソリンをゲットできた。
灯台下暗しとはこういうことかな・・・
このガソリンスタンドは、自家発電と思いきや、停電しなかったんだそうだ。
ガソリンは満タン!車で携帯を充電しようと、家電、車製品のお店に向かったが、何処も停電で休業。
そのうち暗闇に中でも営業しているホームセンターを見つけ、充電器を手に入れることが出来た。
ホームセンター内にはひとりひとり従業員が懐中電灯で照らしてくれて案内してくださった。
夕飯時も停電は続き、アロマろうそくを2個灯して、お味噌汁と、冷凍庫の中の食材をとりあえず、料理した。
ごはんも久しぶりに鍋で炊いた。
我が家はオール電化にしていないので、こういうときガスが使えてよかったと思う。
そうこうしているうちに電気が回復した。
ほっとした反面、このろうそくの火に安堵し、静かなやさしい夜を今日は過ごせたのに・・・と複雑だった。
電気がついたのは、我が家のほんの周りだけだった。
用事でコンビニに行ったら、コンビニはごった返していた。
パン、おにぎりは全て完売、たくさん方が買出しに来ていた。
町の明かりは消えていて、こんな暗い町を見たのは、昭和天皇が崩御された頃と、被災地の夜ぐらいだな~と思った。
友人宅はまだ明かりはともらず、暗闇で料理をしているといっていたので、我が家で料理して冷凍庫の食材を我が家の冷凍庫に引き受けた。
ちょうど、その日の前まで被災地・女川に行っていて、女川の方から当時の状況を聞いた矢先だった。
4日まで食べるものはなかった・・・笹かまぼこだけをひとり1枚食べて飢えをしのいだ。
明かりもなく、暖もなく・・・そんな様子を聞いてきた。
だからこんな台風の被害なんてどうてことないよな~とつくづく思った。
一夜明けて、1日前に行っていた女川が大変なことになっていると、テレビで知った。
ゲ!先生達仮設にようやくは入れたと安堵されていたのに・・・
すぐに連絡をとって、先生達の安否確認は出来たものの、孤立化された仮設に取り残された先生もいえば、仮設に帰れず、知り合いのところに泊まった先生もいらっしゃったことを知った。
女川の先生方に、台風を案じられて見送られた我々だったが、次の日には先生方が大変なことになっていたことに、言葉を失った。
災害と共存するってどういうことなんだろう。
海からにげても・・・山から押し寄せてきた・・・
こういうことは、昔からあったんだろう・・本当は。
ここだけは安心だということろは、ほんとこの世にはないんだ・・・だから共存し、今を大事に生きていくことでしかないんだな・・・。
台風一過・・・次の日は息子の小学校最後の運動会。
この日ももう来ない・・・
おいしいお弁当でした。
f0215179_8332272.jpg

[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-24 08:33 | 出来事 | Comments(2)

自然災害相次いで・・・

f0215179_1364712.jpg

ミモザの木が、倒れそう!成長の早いミモザは、根があまり張っていない・・・どうか耐えてください!ミモザ。
f0215179_1364746.jpg

19、20日と被災地・女川の保育者の方にテラコッタ作品を届けに行っていた。
あちらから帰る途中、今名古屋は洪水で100万人に避難勧告が出ているので気をつけてと知人からメールがあり、行く前と、帰る今の状況の違いにびっくりした。
やや浦島太郎の気持ちだ。
今日はこちらも暴風、洪水警報が出ていて、息子たちも学校が休み。
今、台風を横目に撮りだめしていた被災地の番組を見ている。
ほんと東日本大震災にはじまり、福島、新潟のダムの決壊、和歌山の台風での災害、今回の岐阜、名古屋の洪水・・・どうしたことかと思ってしまう。
今回の和歌山を襲った台風で、土砂崩れでダムができた。
この台風での被害を自然災害と人は言う。
しかしこの土砂崩れでたくさんの杉の丸太ん棒が流され、ダムをつくってしまった。
もともと山はさまざまな木が這え、落葉樹があり、しっかり地に根をはり、循環していた山だった。
ある時国は、伐採された山に早く成長する杉などの針葉樹をたくさん植え、林業を支えた。
しかし杉などの早く成長する木々は根をしっかりはらず、たやすく風や雨に薙ぎ倒されてしまう。
自然災害のようで、人災だ。
いっけん緑が沢山あり、自然豊かな日本の山の裏話。
福島の原発事故もそう。
そんな時子供の時に見た倉本聡の「北の国から」のある場面を思い出す。
ジュンが初恋したれいちゃんちのお父さんが、大量生産のために農薬、化学肥料をたくさん使った農業をした。
たくさん作物が実り、農業もたやすくなった。
しかしある時、嵐が来た。
土は流され、たくさんの作物は皆ダメになった。
農薬、化学肥料を使いはじめた土は循環を失い肥沃さを失った。
手広くしただけ、被害は大きく、隣の農場まで被害を出した。
そして破産して夜逃げした。
あの場面を見た時から30年たった。
あの当時から・・・もっと昔からいろんな人が警鐘を鳴らしているのに・・・
あの当時に見た光景が、今もなお日本のあちこちにある。
台風、地震、洪水、、様々な自然災害と言われ、済まされていくことは、実は目先だけの解決で処理した人間が手を掛けた人災であることを知り、本当の意味の循環を考えていかないといけない時が来ているとつくづく思う。
この台風が、被害がなく早く過ぎ去りますように~。
[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-21 13:06 | 思うこと | Comments(0)
朝もやの美しい我が家の庭
f0215179_7355394.jpg

f0215179_7363564.jpg

タマスダレは、ほんと可愛い花♪
f0215179_7375886.jpg

今年はたいへんよく咲いたメドーセージ
f0215179_7371613.jpg

最近は涼しくなってよくよく眠れる今日この頃。
いつの間にか、我が家の庭も秋の気配を感じます。
今年は、KAМEの翼プロジェクトで忙しく、庭をゆっくり愛でたり、手入れすることが出来ず、水をやるのが精一杯。
いつのまにか南のお隣さんがイチジクを植えていた。
以前から、南側に大きなミカンを、我が家までわっさりとしげらせていて、太陽を取り込みにくいことにあくせくしていた。
仕方なく、日陰の庭にそのゾーンはしようと決めた。
すると、今年またイチジクが大きく育ち、我が家のバラゾーンに覆いかぶさっていた。
こういうことがストレスになる。
仕方なく、もうここにも日陰の花を植えるしかなくなった。
こういうとき、住宅街でなく、ターシャさんみたいに、誰もいない大きな庭に思いっきり好きな庭を作りたいと思う。
こんなことを思って6年がたったけど・・・
ま、模索しながらのガーデニングだ。
今、こんな忙しい状態でもしっかり咲いて、庭を演出してくれているのは、ピンク、白のガウラ、水色のルリマツリ、黄色のコバナランタナとタマスダレ。
いつの間にか我が家はランタナ屋敷になってしまった。
玄関にはピンクと白と七変化のコバナランタナもあるし・・・
タマスダレは9月になれば、あちこちで顔を出してくれて、ほんと可愛い花だ。
日陰に強く、熱さにも寒さにも強い花が、我が家には定着しつつある。
あ、今日玄関の上のほうに、バラのバフビューティーが咲いていた♪
f0215179_8101593.jpg

[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-15 08:00 | 花のこと | Comments(6)

光のワークショップ

光の実が光る♪
f0215179_7565398.jpg

Аgoraは七色の光に包まれた。
f0215179_7565312.jpg

高橋さんの光のワークショップ
f0215179_8273552.jpg

様々な光の材料があらわれた。
f0215179_8281639.jpg

里山は、赤と緑と黄色と・・・七色の実がなりました。
f0215179_829393.jpg

子供達の作った七色の実がАgora の木にいっぱいなりました♪
f0215179_8293542.jpg

9月10日11日光のアーティストの高橋匡太さんお光のワークショップがАgora子ども美術工場で行われた。
高橋さんは国民文化祭のいそがしい合間に、静岡の里山にやってきて、いろんな試みを子供達とやってみた。
いろんな光を操る高橋さんは、二条城の鯉のライトアップや様々なライトアップを手がけ、最近ではNHKの遠野物語の朗読の番組の舞台装置を手がけた。
世界的に活躍してらっしゃる高橋さんだけれど、たいへん気さくで優しい方だ。
知名人だけど、物腰柔らかで、いろんなイベントを手がけてらっしゃるが、企業や業界のノリだけには合わせず、ここだけは崩さないという大事なポリシーを持って仕事をされている。
この間の「KAМEの翼」のプレイベントの交流会の時にも、高橋さんに直接仕事のコンセプトやポリシー、やりがい、震災についても話をしたが、ほんとう、深い話ができて、純粋な高橋さんの気持ちに触れることが出来た。
高橋さんは、自ら「夢の種プロジェクト」を立ち上げて、子供達の夢を光と共に気球にのせて高く上がり、そこから夢を降らせるという試みを各地でやってらっしゃるわけで、高橋さん自身子供達と関わって様々なことをやる試みは、高橋さんの原点であり、幸せなことのようだ。
そうこうしているうちに、Аgoraは七色の電気で埋め尽くさせ、七色の光が乱射し始めた。
緑の材料がなくなれば、庭に行って葉っぱを取ってきて、電気をコーティングした。
葉は光に照らされ、葉脈が浮き上がり、薄い黄緑色の蛍光塗料を塗ったかのような美しい色を反射し始めた。
自然のやさしさは、人間が作ったものをたやすく溶け込ませ、上手に共存するんだな~とつくづく感じた。
子供達、高橋さんたちとこのように光の仕込みをワクワクしながら楽しんだ。
そして今回は、夢の種は「夢の実」となって大きく実り、Аgoraの家は子供達によって「夢の家」と名づけられ、普段とは違う様々な色を纏った不思議な場所に変化した♪
Аgoraのある掛川市は、掛川城があって、いつも青白くライトアップされているが、今日は里山のАgoraがぽっかりと浮かび上がり、不思議な存在感を出していた。
来週、再来週も高橋さんはここにやってきて、様々な試みをするそうだ。
さーこの機会をお見逃しなく!

下の写真の光の線は、子供達といっしょに光の線をたどって動かした。
この試みは来週、再来週の予告!
里山に地上絵が浮かび上がるかも!?
乞うご期待!
詳しくは私のブログ12月の「夢の種」を見てください。
またはKAМEの翼プロジェクト
f0215179_830753.jpg

[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-12 07:56 | カメの翼プロジェクト | Comments(2)
石巻市渡波
f0215179_840753.jpg

渡波中学の近くには6月よりも高く積みあがった瓦礫の山」が・・・
f0215179_8403813.jpg

石之森章太郎漫画館の付近はまだまだ瓦礫撤去なされていず、信号機も動いていない。
いまだ警官により手旗信号・・・
f0215179_8412964.jpg

津波で全壊した女川町立第二保育所
f0215179_842880.jpg

子供達がつかった小さな便器が残されている
f0215179_8424731.jpg

第二保育所の隅にはトマトが大きく育っていた。
先生にその話を聞いてみますと、これは保育所が植えたトマトではないそうだ。
保育所の隣のおうちの方が植えていた苗が津波で移動し、地に生えついたのだろうと・・・。
f0215179_8432025.jpg

海の近くは、満潮を迎えると水没する。
f0215179_843544.jpg

大型の瓦礫は撤去され、建物の基礎だけが続く・・・女川町桜ヶ丘
満潮をむかえ、港より少しはなれたここでも水が溜まり始めた。
f0215179_8442919.jpg

港は満潮を迎え、水かさを増した
f0215179_845638.jpg

復興は程遠い。
しかし女川は漁業で成り立っていた町である。
指を食えてはいられない漁師達が立ち上がり、動く漁船を集め、漁業を再開し始めていた。
港の瓦礫の傍らにコンテナを立てて動き出した・・・動くしかないと女川の人たちは言っていた。
5ヵ月後、女川で人の営みを見ることが出来た。
f0215179_9193610.jpg

f0215179_9351623.jpg

イカ釣り漁船が動き出す
f0215179_9212652.jpg


8月17〜19日、また女川に行ってきました。
震災から5ヶ月がたった女川は、ちょうどお盆を終えた頃でした。
女川へ行く途中に石巻市がありますが、石巻市の商業施設は復興しているようで、4月に訪れた頃とはずいぶん変わりました。
今街を見たら被災したのかな?とわからないでしょう。
けれど、しばらく車を走らせると、まだまだ瓦礫があり、空洞の家屋が点在している風景は変わりません。
商業施設と住宅街との復興の差があります。
渡波はまだまだといった感じでした。
女川の町も変わりました。
瓦礫はほとんど撤去されていて、建物の残骸があちこちにあって怖かったのですが、その様子は無くなりつつあり、女川の町は建物の基礎だけがあたり一面に広がっていました。
復興にむかっているかのように見える石巻市と女川町の違いは、女川はたやすく復興のために生活再建できないことです。
女川町は復興8年計画案を出しているため、個人の宅地でありながら、家屋を建てることはできません。
いつになったら復興へこぎつけるのか、、未だ指をくわえてみるしかないのだそうです。
そのことを感じつつ、今回は女川の保育者の方にテラコッタ制作をしました。
第一保育所に保育者が集まりました。
皆、普段は子供たちと紙粘土で遊んだりしているためか、もくもくと手を動かし、様々な作品を作り出します。
驚いたことに、皆様、お地蔵様を一斉につくりだしたことです。
6月にうかがった時お地蔵様をもっていったことと、昨日までのお盆での遺族に対する思いからでしょうか、ひとりひとり思いをこめてつくってらっしゃいました。
今年のお盆はたくさんの方をお見送りしました。
見つからないまま、魂はこちらにきたのやら、どうなのかわからないまま、皆が体育館の駐車場に火を思い思い灯し、亡くなられた方へ思いを馳せました。
仏壇も流されました。
手を合わし、向き合うものさえありません。
そんな様々なお気持ちをかかえ、ひとりひとり顔、形がちがうお地蔵さまや様々なものが出来上がりました。どうぞ皆様の表現を見てください。

ただいまKAМEの翼プロジェクトでは
「女川町保育者のテラコッタ作品展および女川町資料展」
を開催しています。
開催期間は9月4日~9月18日までの2週間となります。
最寄の方はぜひとも足を運んでくださいますように~。

また同時にKAМEの翼プレイベント作品展も開催しております。
若者が1ヶ月Аgora子ども美術工場に滞在し、制作活動した迫力ある作品が展示されています。
そちらは9月30日までやっております。
ぜひとも来て下さい!

また光のアーティストの高橋匡太光のワークショップが9月10・11日と9月24・25日に行われます。このことについては、私もワクワクしています。
実は今高橋さんは国民文化祭のため京都で忙しくされています。
その忙しい高橋さんが、Аgoraに来て面白いことをしてくださるようです。
関連サイト:カメの翼プロジェクト
国民文化祭

女川町の保育者のテラコッタ制作の様子
f0215179_9533335.jpg

f0215179_8465725.jpg

f0215179_8473794.jpg

f0215179_8483818.jpg
f0215179_8491243.jpg

[PR]
by polepole-yururin | 2011-09-05 08:08 | 震災 | Comments(2)