ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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カテゴリ:ある人( 14 )

アゴラ森の桃がなった
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福島のゆきちゃんへ送ろう
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三宅洋平氏の街頭演説を聞いた。
耳を傾けてみるといい。
今までの通り一遍の街頭演説と違う。
言葉が飛んでいない。
私たちの心に落ちていく。
本当に聞きたい言葉がここにある。
思考するとはこういう事だ。
無知を無知だと理解し、この無知を埋める努力をしている行為。
この行為から次が生まれる。
知ったかぶりほど嘘っぱち。
もうそんなうわべの演説はいらない。

農業をこどもから知る世界。
これ、今まで消えかかってきたことだった。
農業を産業の中に閉じ込めて、産業の一番の位置を工業やIT企業にして、順位を付けてしまった日本社会の大間違い。
食べる事を生み出す産業を削り、お金生み出す事のみに邁進してきた70年。
人々の心は腐りきり、お金で命を売ってしまった。
三宅氏の想像する日本は面白い。
農業すると絵が描ける。農業とアートが結びつく。
実に面白い。
農業と芸術。

私たちはジブリのアニメに心打たれる。
トトロ、もののけ姫、ラピュタ、・・・
子供の頃に見たもののけ、小人、妖精・・・その世界が本当にあったと感じている。
そのメッセージをちゃんと受信しているからジブリに魅了されるのだ。
この感覚は、三宅洋平氏がいうこれからの日本のビジョンに合致する。
これを現実逃避と非難する人もいるだろう。
けれど、このまま70年続けた経済重視の工業、IT中心の社会のムリムリな実態が見えている。
それをそのまま、いやいや道半ばと続ける事の方が現実逃避と言うものだ。
もう目を覚まそう。
私たちは本来賢く、健康で、美しい。
未熟と思わせた魔法がそろそろとける頃だから〜。







・・・
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by polepole-yururin | 2016-06-23 00:55 | ある人 | Comments(0)

SEALD’s

アゴラの庭、ジャノメ菊が満開・・・震災後にはじめた里の草むらの庭作り
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今若者が熱い!
今まで何処の勉強会、集会へ行っても60代以上の方々ばかり。
私ももういい年だが、その世代もその下も誰もいない。
どうしてだ!?
なぜおかしいと思わない?
なぜ怖いと思わない?
なぜ「永遠の0」を子どもと観に行って感動する?
私は息子らと「少年H」を観にいったが、シニア世代ばかリだった・・・
完全にマスコミのコマーシャルにやられ、持って行かれている。
けれど、原発も、TPPも集団的自衛権も私たちのこども世代へ直結に影響ある事であり、又その子どものことは、親の私たち世代の子育に大きく影響される事である。
なのに、受験、塾、その事に持って行かれ、経済と言う言葉で今何が起こっているのかも見抜けない。
それでもどうにかしたいから、私は私の出来るアクションをおこしている。
流されて指をくわえていられないから。
子供達が今大変な状況に落ちいっているのは、今社会を動かしている50代、40代世代の親が経済と権力に潰された世代で、その親たちの子育てが、力社会の継続と経済と言う言葉でものの善し悪しを判断しているからだ。
その状況は本当に手に取るようにわかる。
今の社会は教育や子育の結果。
ならば明日の社会を作るのも同じである。
安倍政権は、文系を国立大学から排除しようとしている。
この事はたいへん危う。
自民党の出した憲法法案も大変危ういものである。
政府は帝国主義へ突き進む。
文部省は着々と学校教育に手を出して、さらには厚生省と手を組んで、学校教育の中に医療が入り込み、子供達を区分して、子どもの人権さえ犯している。
その事を末端の教育者も医療者もわかっていない。上からの方針だからわからない。
それが決まりであるのなら、その通りに従わない限り左遷だから・・・またはその方針の良し悪しを自分で判断できる若者がいない。
危うい・・・
今私たちに出来る事は、思考できる子ども達を育てる事である。
そして自ら自分を守る子どもを育てる事である。
怖いと思う感覚を失わさせない事である。
今日、男の子二人が小説を書いたから・・・と読んでくれた。
天使と悪魔と、神が登場し、人口爆発は悪であり、その為に天使はその悪を排除する為に地球を破壊するという行為を行う。
それが天使の善であると言う。
いい話だろうという子ども。
他にも粘土工作をした低学年の男の子二人。
その子たちは、爆弾を作り、兵器を作った。
すかさず、子供達に話しして、平和から遠ざかる行為に言葉を選んで話し込む。そんなことを日々繰り返す。
二年前よりも歪んだ子供達の心情。
これは子供達が悪いのではなく、日常のテレビから流れる漫画、ドラマ、ニュース、さらにはゲーム、話題性のある映画や政府の自衛隊を賛美する飛行訓練等の映像や航空ショー・・・
軍国少年を作り上げたあの時代と何処が違うのだろうか・・・
政府は同じ事をただやっているだけ。
そこに違和感を抱く大人がいなくなった。
ブレーキをかける大人がいない。
落ち込む日々が続いていた。
けれど・・・
SEALD’s!
若者たちの決起行動!
そして30代の白井聡氏の発言。
60年、70年安保反対闘争の声は、その子ども世代へ受け継がれ、その孫世代へ受け継がれていた!
バブルで踊らされた大人たちの氾濫をまともに思考する新しい大人が抗議する。
肯定された古き概念を言葉を丁寧に拾って討議していく。
この若者たちに興奮した。
そして息子達に聞かせた、近い世代の声を。
私も守る、君も自分を守れ!
SEALD’s


政府の教育行動に警鐘・・・軽くちょっと立ち寄ってみて





・・・
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by polepole-yururin | 2015-07-04 22:39 | ある人 | Comments(2)

白井聡氏講演

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震災後からいろいろと思考する。
その中でいろいろな状況に遭遇する。
実は善人だったか、悪人だったか・・・
いい人と言う言葉でいろんな事をおさめてきた。
いい人だから・・・
そのいい人という言葉の中にはいろんな解釈があった。
いい人は優しい人、人にプラスを運んでくれた人のことを言うと・・・。
その優しい人、プラスは、はたして何をいいと言うのだろうか。
日本人は戦争の反省、思考様々な事を置き去りにここまできた。
日本人だけでなくアメリカも他国も同じかもしれない。
自己責任論が20年前より日本にやってきた。
自己責任、自分のした事は自分の責任で自業自得ということ。
その言葉なくても日本には責任と言う言葉がちゃんとあり、責任を取ることをして生きていた。
しかしその責任は、一握りの真面目な人にとっては使われていても、本当に責任を取らないといけない人は逃げてきたようだ。
だからその曖昧さが、様々なひずみを生み、優しさも変容された。
日本は物質的に豊かになったゆえに、本当の豊かさが見えなくなった。
慎重さも失った。
人々の結びつきが物を与える事であると錯覚したり・・・
物事を判断することは、一つの方向だけで判断してはいけない。
一つの側面だけを掴みものの善し悪しを判断しては、その先にあるものが変わってしまう。
例えば保護という言葉や福祉と言う言葉も大変曖昧で、事の本質がその言葉から醸し出す安心感からいいものと判断し、大きな過ちに加担している場合がいくらでもある。
事を動かす人は、その事を良く知っている。
だから、物事は慎重に判断し、言葉の先を噛み砕いて咀嚼して理解することが大事だと思う。
今まさに安倍政権、自民党は言葉とは真逆の行為を行っている。でもそれに似たことが善と思える裏に動いている。
ごまかされる事なかれ・・・
丁寧な人との関わり。
情報網の中の真を見抜く力を養う事か・・・

京都精華大学講師の白井聡氏の講演必見!
今安倍政権は人文学を潰そうとしている。理系こそ必須!役に立つ人材育成。
けれどその人材育成は政府にとって都合のいい人材育成である。
人文学は、まさにその社会のあり方を振り返り、整理し、大きな視野を持って思考する学問である。
思考する人材はいらない・・・まったくもって奴隷育成である。
思考する若者が明日の未来をつくる。
私たち大人は、その未来を潰してはいけない!
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by polepole-yururin | 2015-07-01 11:10 | ある人 | Comments(0)

福島菊次郎さん

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福島菊次郎さんを知っているだろうか?
私は偶々YouTubeでアーサービナードさんのBS11の番組を見つけて知った。
福島菊次郎さんは、94歳。
フォトジャーナリストだ。
戦時中は軍国青年だった。
徴兵制で軍隊に取られ、馬にけられ負傷し、入院するはめになりその間に自分が所属していた軍隊は危険地域に派遣され、全滅した。その後復帰し軍隊に戻った福島さんは、自らが爆弾になって敵に突っ込む部隊に入れられる。それは自爆テロのようだ。そんな軍隊が出来ていて、死ぬ事が誉れと教育がされていた。
結局イスラム原理主義と自爆テロという言葉でイスラムと言う国が危ないと言う印象を強くマスコミは伝えているが、70年前の日本も同じように自爆部隊をつくり養成していたのだから、恐ろしいのは宗教の問題ではなく、戦争をやり始める権力がそういう教育をし、育てたにすぎない。
ISISもそういうことで、イスラム経ではなく、戦争屋がつくった教育部隊である。
福島さんたちはヒロシマで自爆部隊の練習等をしていたが、原爆投下される前の5日前に九州に送られていた。
そして8月6日、ヒロシマに原爆は投下され、その3日後に長崎に投下され、戦争は終わった。
死ぬ事を覚悟して軍隊にいた福島さんは、二度の偶然に命を救われた。
それから彼は、被曝者の中村さんと言う方を撮り始め、戦後の権力のウソを追求しつづける。
その生き様は凄まじくい。
福島さんのカメラのレンズは真っ向から権力に向き合った。
福島さんの写真集を見てみた。
すると1974年の東京で憲法改正の集会の様子の写真。
今まさに憲法改正にむけて、自民党がいろんな団体に声をかけて日の丸あげて唸っている。
この空気は今はじまったものだと私は思っていた。
がしかし、その空気は戦後ずっとあったのだ。
愕然とした。
きな臭い空気はずっと戦後もたゆまなく続き蠢いていた。
私は3年前、731部隊という存在を知った。戦時中の権力の多いなる負。
それは、医者と言う存在を真っ向から否定した。命を守る医者が命を奪う凶器になる。
その恐ろしき部隊は壊れずに日本中に分散し、医療権力を作り、戦後の様々な公害問題(放射能、水俣、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク、エイズ、喘息、ワクチン・・・)を助長する役割を担っている。
知らなすぎる戦後の権力の実体。
その戦後はいまも続き、もういいだろうと正体を堂々と表した・・・
60年安保反対闘争、70年安保反対闘争、三里塚闘争、あらゆる原発反対闘争、沖縄基地問題、・・・
戦後日本本土にはアメリカ軍基地が点在した。日本軍の基地がアメリカ軍の基地になった。
その基地では、アメリカ軍の飛行機がとてつもない騒音で頭上を飛び回り、墜落事故もあった。アメリ軍の民間人への暴行もあったという。
その様々基地問題に日本中の基地近隣の住民は頭を悩ましていた。
今の沖縄のように・・・
それぞれで運動があった。
結局、1974年の沖縄返還と同時に沖縄にほとんどの危ない戦闘機は集中し、日本本土の基地は縮小し、そのかわり沖縄は三分のニをアメリカ軍に基地として奪われた。

重い戦後の歴史がずっと続いている。
私たちがそれを知らないのは、戦後の経済復興、経済成長と言う言葉とお金と物で自分たちの前に暖簾(のれん)がいくつも連なってその奥の負が見えなくなってしまっていた。
そしてあえて権力は、その暖簾をジャラジャラとぶら下げて、負を消しゴムで消す作業に余念ない。
94歳の目は今も追っている。
福島県の原発事故を・・・
暖簾の先を見通すと、そこには悲しい現状がある。
暗く恐ろしい現実である。
思わず、暖簾をくぐるのは辞めておこうとする心理が働く。
けれど、私たちのこれからの未来は暖簾の手前で待ち受けている訳ではなく、暖簾の先に本当の未来がある。
そろそろ暖簾を取り除き、真っ向から現実を直視し、戦中、戦後の過ちを修正する時だ。
戦争は偶然の産物ではなく、軍需産業を支え応援する人たちが作り出す一計画である。
その計画の中に市民の命の存在は無いに等しい。

福島菊次郎さん『ニッポンの嘘』DVD・・・見てほしい。
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by polepole-yururin | 2015-06-23 09:33 | ある人 | Comments(2)

ガンジー

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集団的自衛権行使容認を閣議決定され、半年。
二月の人質事件があって、二人が亡くなったとして、テロに屈しないと言葉を全面的に口にして、日本の空気を武力行使してもいい方向に突き進もうとする政治。
国民は、そこにほほとんどついていっていない。
それはテレビから本質が流れないからだ。
人質事件の本質を議論せず、安倍総理の人質事件が起こっている矢先の中東訪問に対して責任を問うても、安倍総理は、何もその事に言及しない。
言葉をはぐらかすばかリで、そのまわりも擁護するばかりだ。
本当に9・11のアメリカと同じだ。
それ以上におかしい。
アメリカの現状以上に見えない事実だけで動いている。
下手な芝居を見ているようだ。
それでも国民の声を聞かない政府は、事実をつくるために上辺だけの国会を開き、事を着々と進める。
そんなばからしい政治に嫌気がさすのは当然であり、テレビを消す、新聞を見ない。
すると情報は閉ざされて、あるときネットで情報を確認すると、え!?とビックリするような法改正に進んでいる。
本当を伝える情報機関をちゃんと探す事だ。
私は、いくつかのBlogと、情報誌、フリージャーナリストの記事を読む。
東京新聞、沖縄民報・・・
ただ、いくつかのBlog、ツイッターなどを鵜呑みにすることも今難しい。
この人の思想が一貫しているか?本当の事実を記しているか、相手を惑わす不安情報の連呼をしていないかが大事である。
私は震災記事を読む時は、自分が被災地で見て聞いてきた事を元に判断している。また人は引き合うというのだろうか、本当を教えてくれる人が目の前に現れる。
その人達は、自分で見て、聞いて判断する反骨精神の持ち主達。
そして優しい。
べったりせず、必要な時に手を貸してくれる。必要な時に繋がる。
私の震災前までの人間関係とは大きく違うもの。
自分を持って生きる生き様が社会の化けの皮を剥いでくれる。
当然震災をきっかけにいい人が、どんどん化けの皮が剥がれて行くシーンをも見ている。
震災は二分した。
競争社会が作り出した人材が、牙を剥く。
嘆きと、悲しみと、怒りと、悔しさと・・・(最近の私のBlogに記している)
アートの世界はたいへん優しいものだ。
がしかし、アートは政治に大いに利用される。
戦時中、戦争を美化した絵を描かされ、桜、日の丸、軍艦、お国の為に戦う兵隊さんのお話。士気を煽るものばかりに加担するとお金が入り、反対は排除される。
チャップリンは反戦をいい、アメリカから排除された。
私達の知っているアーティストは何処を意識している人かを見てみよう。
現政権に寄り添い、興奮を煽る人々は、プロパガンダを担っている。

昨年の8月、スパックという静岡の舞台芸術団体の劇を見に行った。
「タカセの夢」
中学一年生の高瀬君が主役に選ばれ、その後5年間毎年、続けられたもの。
私が見に行った時の高瀬君は、高校生だった。
この「タカセの夢」はカメルーンの振り付け師によって演出され、カメルーンでもフランスでも上演された。高瀬君はじめ、同時期に選考された中高生の子供達の成長が見れる。
その「タカセの夢」は演劇という域を超え、人間の肉体を駆使した演劇だ。
若さゆえのはち切れる情熱と体力と肉体美、踊れるだけ踊りなさない!限界に挑戦しなさいと言っているようだった。
私達がなぜ肉体を持ち生まれてきたか・・・肉体あるゆえの表現を観た。
今こんな世に生きる意味を教えてくれた作品だった。
そこには同時にガンジーの映像も表現されていた。
戦争を言葉で反対すること以外に私達に出来る事を教えられたようだ。

ガンジーは、非暴力でインドの植民地化支配から自由を勝ち取った人だ。
イギリスに支配されたインドの独立を武器を持たずに戦い続けた。
カースト制で有名なヒンズー教の家で生まれたガンジーだが、その当たり前の階級社会に違和感を抱き、を得る。
そして、インドからイギリスへ渡り法を学び、同じインド人を差別され、労働に使われていた南アフリカに渡る。
井の中の蛙から外の世界を自分の目で見て確かめる
イギリスからの独立のために彼がした事は、自力で生きる事の提案だった。
イギリス製の服を捨て、インドの昔からある糸を紡ぐ工具を動かし、インド人自ら綿を糸にしてインドの服を着た。
行きて行く為の塩を得ること、作る事の提案。そして塩の行進。400キロの道を歩いて独立を言い続ける。
弾圧をされ続けながらも武力を持たず、言葉と、生き方で独立を勝ち取ったガンジー。
偽善という言葉が見当たらない真の英雄であり、真の民であり、真の師であろう。

テロに屈しないといい、武器を使い、自衛隊を派遣し、戦争を行う事が正義だろうか・・・
テロに屈しないのであれば、ガンジーのような非暴力で自ら道を歩き、戦争をするアメリカに武器を捨てよというべきだ。
そして皆が生きていく上で必要な自由を持たせるべきだ。
自由競争という名で置き換えた独占からの解放をまずすべきなのだ。
豊かさをはき違えたさせた先進国の傲慢が、真の豊かさを知っている人々の認識を潰し、連れて行く。
自由は、好き勝手ではなく、自立した上に成り立つ権利だ。
そこに国民もそろそろ意識した方がいい。
これから私達が選択する生き方は、今までの継続ではなく、今成り立つ社会の構造を自らが学び、学び得た事を子に伝えること。そして優しさをつたえること。

まずは、ガンジーを意識してほしい。

キング牧師も・・・

ローマさんのBlogも・・・戦争は武器を持たないこと、それにつきると。
___________________________________
追記 2015年2月19日

大事な事、本当の事を言ってくれた報道ステーションに出ていた古賀さんの降板・・・
こんな事が今この日本であたりまえに行われている。
今の政治、内閣の面々を見てみると、ほとんど政治献金でいろいろ叩かれた人たちがいる。
当たり前に考えて、やってはいけない事をしている人たちだよ!
憲法違反だよ、みんな。
集団的自衛権の行使を閣議決定するのもおかしいんだよ、武器輸出も憲法違反だよ。
曾野綾子さんのコラムだって差別なんだよ、それを区別といってもその区別だっていけないじゃん!
表に出ている人たち、明らかにモラルがない!
正しさが壊れる、おかしい事が正される!奇怪だよ、この日本。
安倍総理がなぜ、総理の座にいるの?だれにならされたの?
おかしいという事が今本当に大事。
声を消すと、あの人らの思うつぼ!
NHKにもおかしいとコメントするほうがいい、世論がNHKにいる正しい人の後押しになると山本太郎氏も言っていた。
報道ステーションが今の政治を伝えてくれている。あれがいい加減になってしまったら、何処も本当を流してもらえない。
今日ローマさんのBlogで詳しい事を伝えています。
ぜひ、皆で古賀さんにエールを!

I am not Abe







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by polepole-yururin | 2015-02-18 08:52 | ある人 | Comments(0)

未来のために知るべき事

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今だから動くんです。
今だから思考するんです。
今だから出来るんです。
今だから、知るんです。
今だから!
大事な事だから知ってください。
清水真砂子さんYouTube(清水真砂子さんは、ゲド戦記など翻訳家、教師、教授)
九条の会ニュース
オリバーストーンスピーチYouTube( cocomeritaさんのブログから抜粋)

子どもたちの明日のために、平和を思考して〜




ー平和ー

平和という言葉は今の日本には死んでいる?

平和というと、昭和の匂いがして、なんか臭い、なんか真面目な、なんか古い、なんか終わった言葉のように思える世代。

平和は、勝つ事で、経済が潤う事で、豊かさが得られる、だから平和を維持できるという言葉ですり替えてしまう人がいる。

平和は、単純に命が保障されている事、当たり前に優しい風景が目の前にある事、夢を語れる時間がある事。

平和は武器で得られない、その真逆に破壊しかなかったと一番知った民俗が、国民の半数も満たない投票率の中からえらばられた人らによってつぶされるって、あまりにも不本意で、あまりにも異常で、あまりにも危険である。

平和は、当たり前にあったからどんなことが起こっても不動だと思ている世代。

平和は、戦中戦後の苦しみ、悲しみ、無惨な思いを体験した人、それを身近で聞いた人、その声が一生懸命声をあげ、力で動かそうとする人たちにブレーキをかけてきてくれていたからあるのだと。

平和は、当たり前にあったのではない。守る人がいなかったら、権力とお金で交換されてしまうほどに危うい。

平和は、だから意志を持ち、自分を持ち続ること。

平和の意味を調べてみた。・・・ 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。また心配やもめごとがなく、おだやかなこと。

平和は、武力で奪い取る、武力で守るという意味ではないと辞書にもある。言葉はたいへん尊い。

平和のための戦争、核の平和利用は、言葉の偽りである。

平和が危うい今だから、古くさい言葉の意志を再確認する







・・・
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by polepole-yururin | 2013-12-15 21:01 | ある人 | Comments(0)

義足のスプリンター

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今、世界陸上が開催されている。
室伏は36才で一位、自己記録を着実にのばしている。
室伏は、日本人だけど、もし過去生があるなら、室伏はきっとアテネかスパルタにいたんじゃないかな〜と思えるほど、体格が日本人離れしている。
そんな感じでテレビにかじりついていると、画面には義足のスプリンターが現れた。
え?これって同時にパラリンピックもやっているの?と思いきや、れっきとした世界陸上の舞台だ。
ピストリウス選手は、生後三ヶ月から義足を使いはじめた。
パラリンピックに何度も出場し、今回世界陸上予選を通過。
これから準決勝に望む。
結局、決勝にはすすめなかったがピストリウスの存在にびっくりした。
人は限界をこえるんだな〜と思った。
そんな場面を見て、裸足の選手アベベを思い出した。
私が小学二年生の頃、夏休みの感想文で、アベベの本を読んだ。
あまり読書が好きでなかった私は、物語より伝記物をあえて選んで読んだ。
苦手な読書だったが、アベベの話には感動したことを覚えている。
オリンピック選手だったアベベが交通事故にあい、車椅子の生活になり、選手生命をたたれた。
でもしばらくして、アベベは今の自分に向き合い、パラリンピックへの出場を決め、優勝した。
たぶんパラリンピックというものができたのは、その頃が始まりだったように思う。
逆境に屈しず、また頑張り続けるアベベに習えとあの頃は思った。
黒人という人種においても考えた話だった。
昔に比べ障害者への理解が深まり、障害があることの隔たりがなくなってきたように思うが、今日は本当にその枠をこえた場面を見た。
たぶん、ピストリウスは物心ついた頃から義足で、義足が自分の足そのもので、義足も自分であり、他の健常者と変わりない意識で生きてきたのだろう。
これからいろんな枠をこえた人が現われそうだ。
意識を越えていくと、いろんなものが常識という枠から放たれるんだな〜。
ピストリウスに乾杯♪
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by polepole-yururin | 2011-08-29 21:25 | ある人 | Comments(10)

あるおばあちゃんの恋

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あるおばあちゃんが、長~い長~い入院から帰ってきた。
長年生活していたおばあちゃんの家に~。
その日は部屋の中まで、たいへん心地いい陽がさしていた。
そんな中おばあちゃんの末っ子の娘と、孫がおばあちゃんを囲んでお茶をしていた。
和やかな時が過ぎていく~緩やかに~緩やかに・・・・
そんな時、突然おばあちゃんは、遠くを見つめるように、ゆっくりと語り始めた。
「昔、おばあちゃんが娘じぶんにな~・・・」おばあちゃんは懐かしそうに遠くを見ていた。
おばあちゃんが娘の頃の話。
女姉妹2人で、長浜に裁縫を習いにいっていたんや・・・
その頃な~、ある人から手紙を何通ももろうた・・・男の人からやった。
何度か文通だけしていたん。あの当時は会うなんて・・・・ね。
でもあるとき、その男さんの手紙にはな~「最後に一度お会いしたい。○月○日出征することになりました。それまでにお会いしたい・・・一度一緒に映画を観ませう。」とあってな~、ほんで長浜の喫茶店で待ち合わせすることにしたん。f0215179_13363493.jpg
おばあちゃんは、会いたかったんやけど、人目を気にして、妹を連れて三人で、会うことにしたん。
その男さんは、高橋英樹によう似てはってな~、その後一緒に映画を三人で観てな~。
そんで夕方には長浜駅までその人を送りにいったんや~。
その人はそのまま軍隊に出征して行かはった。
出征中に何度か手紙が来てたんやけど、そのうち手紙が届かんようになって・・・・
そのうち、うちに見合い話が来てな・・・これがおじいさんや~。
そしたら、その人は無事に帰還されたそうでな~今はお偉い人にならはったらしく、大津で暮らしてやはるようや。
以前そちらから手紙をもらったけどな・・・そんなことがあったわいな~♪とおばあちゃんは過ぎ去りし懐かしき思い出にひたり、そしてどうしようもならない話だからといわんばかりに、思い出話をやめにした。
孫は、おばあちゃんにロマンスがあったんやな~と感動した。
そして今はやせ細り、精気を失ったおばあちゃんの中に娘の頃の輝きを見たような気がした。
しばらくして、孫は、大津のその男さんの年賀はがきを見つけた。
男さんは、又お会いしたいと書いていた・・・・
孫は、その男さんに、おばあちゃんを会わせようと考えた。
もう、おじいちゃんもこの世にいない・・・おばあちゃんも元気でいつまでいられるか分からない・・・今でも自力で動けないから・・・・。

そしてある夏の日のこと、孫は、おばあちゃんを車に乗せ、おばあちゃんの娘と三人で、大津の男さんの家へと向った。
おばあちゃんと、娘には「ドライブしょう」とそれだけ言って・・・
大津の大きな門構えの家の前に着いた。
そしてその家を訪ねると、腰を丸めたおじいさんが、ニコニコしてで迎えてくれた。
娘も、おばあちゃんもびっくりしたようで、おろおろしていたが、笑顔のおじいさんに強引に家の中に引っ張っていかされた。
おばあちゃんは、気筒なそうにしていた。
おじいさんは、ずっとニコニコして、「暑かったろうな~。」とサイダーをコップに入れて運んできてくれた。f0215179_13372331.jpg
おじいさんは、昔の騎兵隊のような写真をおばあちゃんに見せていた。
ここにいるおじいさんとは違い、馬にまたがる男さんは、確かに高橋英樹に似ている・・・体格もよく、凛々しかった。
おばあちゃんは、どうしていいのか分からない様子で、少し笑みだけを浮かべていた。
舞い上がっているのは、この前話していたおばあちゃんではなく、このおじいさんだった。
帰り際「よう来てくれた~。又会いに来てや~。元気な○○さんの顔が見れてほんまにあり難かった!よう来て!よう来てな~。」とおじいさんは、おばあちゃんの手を何度も握っていた。

帰りの車の中では、孫はおばあちゃんと娘に怒られた。
「ようこんなことして・・・なんともあんたって子は・・・。」とあきれられた。
そして2ヵ月後・・・おばあちゃんは他界した。
おばあちゃんは、どうだったのだろう・・・
中断された恋の続き・・・もうおばあちゃんは終わっていたのかもしれない・・・おじいちゃんとの歴史が積み重なってしまったから。
でも・・・あの陽だまりの中でのおばあちゃんからの突然のロマンスのお話は・・・・まんざらでもなっかたのかもしれない。

このお話は、あるところのおばあちゃんと娘と、孫のお話~。
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by polepole-yururin | 2011-01-26 13:46 | ある人 | Comments(14)

走る川

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11月10日水曜日、息子の中学の合唱コンクールがあった。
近くの市民会館で開催された。
合奏コンクールといえば、私も中学の時あったのだけど、その頃の歌といえば、「翼を下さい」「あのすばらしい愛をもう一度」「飛び出せ青春」「いちご白書をもう一度」など、テレビで聞きなれた曲を歌ったものだった。
けれど、近頃の選択される曲は、難しい曲を選曲されているのだな~と感心する。
強弱が必ずあって、感情移入しないと歌えないのではないかな~と思う感じの歌詞・・・曲。
曲も一定ではなく、徐々に速くなるというより、急にスピードダウンする感じ。
オペラ・・・そんな感じにも思える。
息子たち1年生も、難しい歌をしっかり歌っていた。
成長を感じる~。
二年生の合唱に入ると、やはり曲も難しくなるが、声の迫力も違う。
変声期を迎えかけた1年生に比べ、安定しているように思える。
その中で、ひときわ、心惹かれた演奏~。
「走る川」を演奏した、二年生男子の○○君。
「走る川」・・・川の流れが上流からゴーゴーと流れだし、しぶきをあげ、一心に流れる川を、ほんとにその通りにピアノ伴奏ですばらしく表現する。
走る・・・走る・・・・
そして、源流に支流が混ざり合い、どんどんどんどん川は幅を増し、いつか川は山から平野へと流れ出でて・・・
その様子のごとく、ピアノはゆっくりゆっくり速度を緩め・・・軽やかにソフトに・・はじけるように・・・穏やかに・・・
情景が見える・・・水の喜びが、○○君のピアノの調べにそって、私の耳元に伝わり、私の視界に広がり続けるこの感覚~。
力強く・・・でもやさしい○○君のピアノの音色に魅了された。
そして、○○君は、この合奏コンクールで、ベスト伴奏賞をいただいた!
こんなに気持ちよくなったのは久しぶりだ。
実はこの○○君、私の友人の息子さん。
今日はすき焼きだね!なんていっていたのだけど~♪
家に帰った○○君、この喜びを過剰表現せず、あくまでも普通だったという。
○○君は夏休みからずっと練習をしていたらしい。
こつこつと・・・
で、本番は最後まで弾ききることだけを考えて伴奏したんだそう。
○○君って、ピュアなんだ~ホント。
そういえば○○君は、愚痴を言わないんだ。
あくまでも淡々と、今あることに夢中になれる子なんだ~♪
ベスト伴奏賞・・・もらって当たり前だな~って思う・・・おばちゃんは♪
おめでとう!
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「走る川」 
作詞 金沢智恵子 作曲 黒沢吉徳

岩をかみ しぶきをあげ 魚を押し 風をさき 振り返らず 水は走る 
戻れない 命を いっしんに 走る 走る こんなにも 急いで 水は 走る 走る
こんなにも 急いで 水は一途に 下ってゆく 滝を落下し すべり 削り 渦巻く 早瀬となる
月のない夜も 凍れる冬も あらゆるこばみに 出会っても 不屈の決意で 水は 走り続ける
やがて 大地は広がる 光はふりそそぐ 花の色に香りに 染まって
ゆったりと あたたまってゆく 旅の終わりの予感を携えて~

ps:川の絵は、屋久島の起源杉の近くの川を描いたものです。 by ゆるりん
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by polepole-yururin | 2010-11-13 11:07 | ある人 | Comments(4)

奥ゆかしき人たち・・・

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先週の土曜日に特報静岡!という番組で、「目指せ家庭医」という番組が放送された。
今、静岡県の磐田市、菊川市、森町合同プロジェクトで家庭医を育成し、地域医療の崩壊に対しての新しい試みがなされている。
これは日本で始めての試みで、新しい医療のあり方を考え、形にしたプロジェクトである。
この番組にはミシガン大学のマイク医師やその家庭医としてやっておられるお医者様たちが登場している。
家庭医って?どんな方を言うのかわかりますか?
いわゆるドクターコトーみたいな感じの先生・・・昔の赤ひげ先生・・・ていう感じ。
ある程度の病状は、一人の先生が診れる。
そして、症状を単一で見て治療するのではなく、たとえば、診察にこられたお父さんの場合~。
胃潰瘍と診断された。
普通なら胃潰瘍の薬を出してもらって帰る。
しかし家庭医は、この胃潰瘍は、息子さんの登校拒否が原因でストレスをため、症状は起こっていると考える。
つまり、症状は結果であり、その原因は、家庭の何処にあるのか、話を聞き、本人から導き出し、いっしょに考えて、治療していく。
それが家庭医。
丸ごととらえていく感じである。
この家庭医とは、8年前に学んだ帯津先生のホリスティック医学と似ている。
その人を丸ごとみていく・・・。
今までの日本の医療は、専門性を大事にされた医療体制であり、たとえば、整形、内科、外科、産婦人科、小児科、眼科、耳鼻科、精神科などに分類されている。
そこで医師たちは、専門分野を学んでいく。
しかし、専門的に学ぶことは出来ても、満遍なく診れるということ・・・どうだろう。
大学病院、都市の市民病院は医者がある程度確保できる。
しかし田舎の病院には人は集まらない・・・
その問題点は、以前ブログ「にぎやかな日」(8月の項)でも少し書いたのだけど、コンビニ診療化してしまっているのも問題である。
また、この国の人は、人を攻める体制というのか、責任を問いすぎる習性というのか・・・医師を追い詰める・・・。
いろんな問題はあるけれど、そこで立ち止まって、医療のあり方について真剣に考え、行動した人がいた。
その人は、チームを組み、動き出した。
そして今、少しずつ形を作り、起動し始めている。
土曜日にそんな番組を観て、その人のやっていることを目の当たりにした。
でもプロジェクトの予算や骨組み、全体的な配慮をおこなっているその人は、まったく番組に写っていない・・・
「いいの、いいの・・・これが僕なの♪」その人は言った。
自分を出さないんだね~、そんな感覚ってありなんだ。

そういえば、他にそんな人知ってる♪
昔、阪神・淡路の震災で、子供たちに遊びの場を提供し、美術家たちとプロジェクトを組み、表現する場つくりというのだろうか・・そういうことをやった人。
その人も、自分たちのやったことを、自分のものとしない・・・・

私の周りには、奥ゆかしい人たちがいることに気づく。
素敵な人の試みを、側で見ていける自分の人生に、感謝です~。
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by polepole-yururin | 2010-11-12 10:28 | ある人 | Comments(6)