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つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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カテゴリ:歴史( 7 )

日本という国

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1853年、アメリカのペリーが日本に来航。いわゆる黒船です。
その黒船に乗ったアメリカ人は日本と不平等条約を交わします。
その異国がやって来たことで、日本は徳川の世を終わりにすべく、下級武士が反乱を起こしていきます。下級武士の氾濫が大きくなって幕府軍を倒そうという動きに発展。
最終的には長州・薩摩・土佐藩が、新政府軍となって400年続いた徳川の時代を終わらせます。
新政府軍は異国に追いつけ追い越せと今までの日本の文化を取り払い、文明開化を急ぎました。
どんどん異国の文化を取り入れました。そして富国強兵・殖産興業に力を入れます。
結局、軍隊をもって力の強い国作りと産業重視の考えをもって邁進していきました。
そしてどんどん他国に戦争を仕掛けます。
中国、ロシア・・・朝鮮は植民地化を勧めます。
軍事力と殖産興業強化で儲けたものは、財閥となっていきます。
日本は、ドイツの真似をして大日本帝国憲法を作りました。
大日本帝国憲法は、今の憲法とは違い、封建的な憲法でした。
王政復古であり、天皇を中心とする法治国家でした。
天皇は神であり、王であるのです。
そして国を動かしている政治家は幕府を倒した長州・薩摩・土佐そして公家の出の方々でした。
ですから武士の力社会はまだ存在し、民衆は政治家が作った国策に従っていくしかなかった。
民主主義はなく、国民の人権は尊重されていず、身分の格差は士農工商、えたひみんの名残は消えず・・・その延長で、第二次世界大戦に移行。
国民は、国のいうとおりに従うしかない・・・そんな雰囲気でしょうか・・・
日本は、維新の後、力と金で近隣の国を押さえていきました。
その勢いが、国を滅ぼし、1945年8月6日に広島、6日に長崎に原爆を投下されました。
8月15日終戦。しかし、終戦というより、日本はアメリカに負けたのです。
アメリカに占領された日本は、まずは憲法を変えさせられました。
それが、今現在の日本国憲法です。
主権は国民です。天皇でも政治家でもありません。
軍が独裁的になった日本の国を、二度と独裁的な国政にならないように、三権分立という制度を定めました。つまり、法である日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めています。
その憲法制定により、日本国民は、自由と平等を得ました。
ただ自由と平等を得られなかった日本人がいます。
それが、被爆された人たちです。
原爆投下後の広島・長崎の人たちは、アメリカの占領下であったため、被曝者はABCCという機関で患者ではなく、原爆投下された後の人体への影響を知るための検体となり、治療を施されず、観察される対象だったそうです。
日本政府は、そのままアメリカのいうように従い、被害に遭われた人を保護しませんでした。
当然広島・長崎には放射能を研究対象にする施設が大学病院には作られましたが、本当に被害に遭われた人を治療するには至らなかったと言います。アメリカは、原爆の二次的被害はない、大丈夫だをいい、原爆の被害の有無を公には好評しないような措置をとられたのです。
そして1954年第五福竜丸の事故が起こりました。
またもや放射能被害に見舞われた日本。世論は巻き起こりますが、原発がちょうどアメリカからやってきて核の平和利用といい、強引に堂々と日本に核が鎮座することになりました。
余談ですが、日本は、戦争に負け、アメリカにより助けられたと同時にアメリカのいわれるように国の方針を変えていきました。
今食量自給率がこんなに日本が低いのは、戦後アメリカの穀物を大量に輸入し、食生活を変えさせていったからです。給食にはパン食。朝食にパン・・・という具合にキャンペーンを張りました。
また政府は減反政策を持ち出して強引に米の生産性をも下げました。
朝鮮戦争、ベトナム戦争のとき、日本は武器をつくったり、様々なことでアメリカを助け、そのおかげで経済をも潤していきました。
ベトナム戦争時には沖縄に核兵器が持ち込まれていたそうです。
そして3・11。
原発事故は起きました。
福島は今あの当時の広島・長崎のような扱いにみえます。
未だ収束していない、むき出しの原発。その近隣に人々は生活し、放射能を長年研究されてきた長崎医大の先生からは、大丈夫だといわれ、不安になると、放射能恐怖症といわれてしまうのだそうです。
給食は地産地消。外でももう遊んでいいといわれています。
原発労働者の現状も大変悲惨です。これは原発が出来てからずっとで、放射能というものへの正しい知識さえちゃんと伝えずに、曖昧な教育の中で放射能を取り扱いされているのです。
今日本の政府が、している様々なことは、過去の長崎・広島の二の前を福島にしているということ。それはアメリカのしたことを学び言葉で事を終わらせているだけで、現状を見ていないし、福島の人たちを混乱させ、国策に使われている。危ない福島に停まらせ、そこの土地の物を食べ、普段通りに生活している。だから原発は大丈夫だと他国に輸出し、東京五輪をもってきた。
富国強兵・殖産興業の名のごとく、軍部拡大し、経済中心に動き日本は強き国へと動いている。
戦後財閥も解体されたが、本当はまだまだその財閥は存在している。武器、核を扱う企業の名・・・
今は憲法の下三権分立が定められている。だったらちゃんと暴走する政府を押さえるべきだ。
国民主権で、安倍主権ではない。
国会も機能していない。裁判所も政府の思惑で人事を簡単に変えさせてしまう。内閣がうまく動くように三権分立自体の三権にあの頃に戻させようとする権力が鎮座していたら、三権分立は名だけである。
福島の基本的人権もちゃんと守られるべきだ。
嘘偽りを国策だからとしてまかり通るなんてこの国は何を大事にして生きてるんだろう。
経済を中心に動く日本は、まっこうから狂っている。
犠牲になる国民が歴史の中で増えている。
最後は東京だけがのこればいいとでも思っているか・・・そうとしか考えられない。・・・もうその時にはこの国にいないかも・・・国を動かそうとする人たちは・・・。
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by polepole-yururin | 2013-09-25 22:33 | 歴史 | Comments(2)

源氏と平氏

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今年の大河ドラマは「平清盛」。
巷では視聴率の悪さにいろいろバッシングされている訳だけれど、私にとって今年の「平清盛」はなかなか面白い!
画像が汚いとか言うが、当時は当然汚いわけで、そのリアルさが本当に伝わる。
舗装している訳でもないので土埃りは当たり前だし、お風呂だって毎日入っている訳でもないのだし・・・そこをコメントする方々の意図がわからない。
去年の「江」はそこそこの視聴率を得たらしいが、歴史好きの私には「江」の方がもの足らず、あんなにメルヘンチックな大河に仕上がっていたこと…残念でならなかった。
その反面「平清盛」は難しい時代を上手に伝えていると思うのだが、私だけだろうか・・・
「平清盛」ももう今週で終わりだが、武士の世を作った平清盛の物の怪ぶりを表現し、その落ちぶれまで表現する今回の大河ドラマは、なんて歴史に忠実なんだろうって関心するのだが・・・。
私は今まで武士の世の中を作ったのは源頼朝だと思っていた。
中学の時も頼朝びいきというか、頼朝の業績を重んじた。
ま、これは中学時代の社会の先生の授業がそういう感じで伝えられたのだろう。
その影響で、鎌倉の大仏様を一目見たいと思っていたし、中学の修学旅行のときは鶴岡八幡宮の石段の13段目で写真を撮った。(実朝が暗殺された場所)
1192年、いい国作ろう鎌倉幕府と覚え、征夷大将軍になった頼朝を愛し続けた学生時代だったが・・・近年知れば知るほど頼朝の存在は、武士にあるまじき歪んだ存在であるように感じるのは私だけか?
平家を倒した義経を平泉で殺し、娘の大姫の旦那様・木曽善高を殺し・・・
やっと武士の世の中を作った源は三代で終わる。
今の「平清盛」では妻の北条政子は頼朝を補佐し、義父の北条時政も頼朝を補佐して、大変団結ある源氏の姿を現しているのに・・・なぜ?
歴史ヒストリーによれば、頼朝は自分の子どもを溺愛したあまり、家督争いになる横に広がる血縁関係を排除した。
が、我が息子を守る血筋を排除したゆえに、我が子を支えるものとして、頼朝が伊豆の国に流されていた時に世話になった比企氏にとつながりを強める。比企氏の娘を息子の嫁にもらう。
それに異を唱えたのが、北条家である。
頼朝が落馬死した後、北条家は、政子の息子であり、時政の孫にあたる頼家を暗殺するのである。
そして比企氏さえ打ち取り、さらには次男の実朝も鶴岡八幡宮で暗殺される。
歴史では平家を大変悪く言うが、この話を知ると源氏ほどお粗末なものはない。
あまりにも歪んでいる。
権力を得るためいらないものは容赦なく殺すのである。
武家が教養を身につけて権力を得た平氏。そのうち平家は武士にあらず、公家もどきとなり〜。
武家のまま、武力で権力を得た源氏。戦いのみぞ・・・いらないものは殺していく。
どちらもどちらだが、源頼朝、北条時政のやり方はあまりにも視野が狭く情けなや〜。
ただ思うに、今この歴史上で知恵をもってその志を次いで存在するは、平家のような気がする。
今もあちこちで存在する平家の末裔。源氏に負けた平家は各地に逃落ちて小さな集落を形成し、神事や生きる術を伝え生きる。
今も焼き畑農業をやり、山の守をしている九州のある村のばあさまも平家の末裔。
奄美大島の島唄も都落ちした平家がたどり着き、歌を詠んだその名残だと言う。
そういう事を知れば、人の心を伝えた平家の存在は、なとなく愛おしいのである。
朝崎郁恵さんの「あはがり」を聞きながら、落ちのびて生きてきた平家の思いを知るのも良し〜。
ちなみに今日本で唯一稼働している大飯原発のある福井県大飯町大島には、平家の落ち武者が隠れ住んでたという。

ps:今、注目を浴びている奄美大島の島唄を歌い続けている朝崎郁恵さんの「あはがり」はNHK・BS 「新日本風土記」のテーマソングである。
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by polepole-yururin | 2012-12-13 09:14 | 歴史 | Comments(0)

開拓者たち

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今年の1月1日から全4回のドキュメンタリードラマ「開拓者たち」NHK・BSが放送されていた。
昨日は最終回だった。
なんとも重い、激しいテーマだ。
子供の時、祖母から満州の話はなんとなく聞いたことがあったけれど、満州は満州で、シベリアはシベリアで、中国残留孤児、文化大革命・・・戦後・・・私にとっては単語的な言葉で、すべてが点々と違う事のように存在してた。
今までに、中国残留孤児の話がドラマ化された「太陽の子」とかほかにもそういうドラマをみたり、シベリア抑留の話、戦後戦地から帰ってきた人の話は知っていたが、本当の苦労が私には伝わらなかった。
小学校の時毎年夏には、8月6日、9日、15日の日に合わせて戦争の特集がやっていて、かならず見ないといけないようにして見ていた。
見ては怖がり、戦争の恐ろしさを深く深く感じた。
けれど戦争は終わったことだったし、昔のお婆ちゃんの時代の人がやったことで、時代は戦争の気配はなく、高度経済成長で負の余韻を見せない、明るさだけがあった日本が私には映っていた。
「開拓者たち」を見て、中国との話がつながった。
そして戦争が終わってもいつまでもいつまでも戦争の落としてきた負は消えていなかったんだと知った。
東北の貧しかった方々が幸せを求め満州に渡った。
が中国の民から日本軍が奪った土地だった。
長崎の原爆投下の日にシベリアへ開拓者の男衆が抑留されたこと、残された開拓者の女、子供は帰る場所もなく生きていくために男になり、、途中で自決するものもいたり、病死するものもいたり、子供をおいて帰り、その子が残留孤児になり・・・。
開拓者が日本に帰れたのは昭和21年、シベリア抑留された方が帰還したのは昭和 29年〜31年、中国残留孤児との対面で我が子と会えたのは昭和56年・・。
戦後10年、20年、36年たってようやくだ。
東京オリンピックで日本が喚声に湧いていた時にようやくシベリアから帰ってきたのだ。
なんともこの時間のギャップはなんなんだ・・・。
中国残留孤児にしても国との国交ができてからのはなしで、自分の意志ではなんともしようがない時代だった。
戦犯にしても、上の幹部は早くに日本に帰還でき、部下としていわれるままに軍隊にいた人がずっと犯罪を問われ、帰還は30年後とか・・・。
3年前に白州次郎ブームで白州次郎の本を読んだ。
そしてNHKの番組で白州次郎特集をやっていた。
白州次郎の生き方を「プリンスプルな生き方」として褒め称えていたが、日本の上部にいた方は戦時中も戦後も生活は安定し、すぐに戦後の日本の光に向いて生きていた。
皆が同じ戦後を生きていたわけではなく、私たち子供は戦後の日本人の復興を表向きに成し遂げてきた方の話を聞かされてきたわけで、日本が他国にやってきたことや開拓者たちのような翻弄された方の話は伝わらなかった。
最近ようやく口をひらき、無惨な実態を話す人やつらい目にあった方に意識が広がった。
ほんとに伝わらないことがあまりにも多い。
知らないことがあまりにも多い。
知らなくても生きていける。
知らないほうが楽かもしれない。
でも知らないといけない。
誰かにいいようにすり替えられた歴史ではく、見えない悲しみの歴史を~。
ビキニ湾沖の第五福竜丸の事件からの反核運動真っ只中、同じ核からできている原発を「平和利用」いいとすりかえられたように、いとも簡単に歴史はすりかえられる。
民衆の負は消え去られてしまうのである。
那須の土地に生きる開拓者が今口を開いたように、個人の大事な体験を伝えていこう・・・今そう強く思うのです。
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by polepole-yururin | 2012-01-23 21:05 | 歴史 | Comments(6)

平清盛

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今年の大河ドラマは「平清盛」
迫力があり、いろんなことを問いかけるドラマ構成になっている。
撮影の仕方が、一昨年の「竜馬」のようで泥臭く、生々しく、そして活動的である。
このあいだの「江」がちょっとメルヘンチックだったので、かなり期待できそうだ♪
平清盛が、白河上皇の子だとはじめて知った。
ま、これも脚本での描写の仕方なのだろうけれど、そんなスキャンダラスなことから始まるのだからなんともひきつけられる要因のひとつかもしれない。
中学生のとき、歴史で習った平氏と源氏・・・白河上皇、後鳥羽上皇・・・など院政という言葉を思い出すが、なんともあの時代は難しく、その氾濫の話とか、平氏と源氏の存在が貴族だったことにもなるほど・・・と思ってしまう。
あの頃はいきなり、平氏、源氏とか出てきて、武士の存在が現れたことだけが、教科書に載っているので、よくわからなかった。
今の世から考えてみると、想像がつかないくらいの身分社会であり、封建社会であること・・・だからそこまでして貴族に仕えること、上の人の話が絶対だということが理解しがたいわけで・・・
幼少期は子供漫才師の前田前田の弟が演じていた。
上手だな~って見とれた。
あれだけはきはきと演じてくれると頼もしい♪
それだけでなく、陰陽師とかの時代でもあり、また芥川龍之介の羅生門の時代でもあり・・・そのなんとも時代背景が、なまめかしく表現されている。
芥川龍之介の「羅生門」は高校時代に習った。
あの文章を読みながら、芥川さんが描写する男の情景、・・ぎらつきと生めかしさと、おどおどろしい状態、怖さと生きていくためのふがいなさと・・・定めと・・・そんな複雑な思いを文章で追い、頭で想像した。
その想像と狂いなく、この「平清盛」では表現していて、不思議な感覚に陥った。
陰陽師ともののけ・・・そのこともどうにもならないことへの思いが伝わる。
この間歴史ヒストリーで、「平清盛」をやっていたが、その平清盛は、この大河ドラマのように、武士の清らかな思いを貫くということは伝えていず、結婚によって、出世していった玉の輿状態と、平家物語のように脱落の描写を伝えていた。
大河ドラマと歴史ヒストリーとの内容のギャップにちょっとショックだった。
確かに私の中でも、平家より、源氏が英雄であったのだけれど・・・歴史ヒストリーはさらにその思いを強くさせる。
でも今年一年は、大河ドラマの思いに目を向けて、ドラマから、私の知らない「平清盛」を知ってみたい。
平清盛が、なぜ武士としてこの世に存在していったか、そしてその栄華を極めようと心動いたのか、・・・単に権力におぼれたからではないことを期待して♪

今年になっても、ユーロの貨幣価値の低下、イランの核問題と海峡閉鎖問題、アメリカの経済制裁、北朝鮮の問題、日本の原発、震災復興への問題・・・急激に社会は動き出している。
この問題は、民主主義のあり方を問うている。そして核の存在を問うている。
力とお金・・・疲弊した社会の行方をどう捉えるか・・・
疲弊した社会といえば平清盛が生まれた時代も、400年続いた貴族社会の疲弊した時代。
平清盛が、貴族社会を武力でもって世を平定していく。
そして武士の世の中は大政奉還まで約700年続く。その後も軍国主義へと突入する日本だが・・
私たちは歴史で繰り返し見てきた・・・武力交渉の成れの果て・・・。
さて、疲弊した社会を変えるにはどうすればいいか・・・そんな思いをもって平清盛を見ていくことにいたしましょう。
ま、今は力ではなく、和をもって尊ぶ時代でしょう・・・本当は。・・・・・by 聖徳太子
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by polepole-yururin | 2012-01-16 09:44 | 歴史 | Comments(2)

湖の琴

                       余呉湖近くの里山の風景
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今日は大河ドラマ「江」の日ですね♪
今後、江たちが大きくなって、再び小谷城を訪れる場面がありますので、乞うご期待!
ところで江ブームに引っ張られ、改めて滋賀の湖北を見直して、私の好きな場所を巡ってみた。
姉川の風景、小谷山付近の町並み、観音の里・高月の十一面観音、北の琵琶湖、そして余呉湖・・・・
ちょうど年末に雪が降ったので、この雪の景色を一番印象的に伝えてくれる場所に行ってみた。
余呉湖・・・
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琵琶湖とは、ちょっと違う美しさ。
寂しさと、神秘的な何かを漂わせている湖である。
この余呉湖は、四方を山で囲まれた小さな湖である。
ちょうど、江のドラマでも出てくる「賤ヶ岳の戦い」の賤ヶ岳を南に仰ぐことが出来る。
波一つない鏡のような水面を見ていると、本当に心が吸い込まれそうな気持ちに包まれ、現実と夢の境が分からなくなるような神秘的な情景である。
この余呉湖の鏡面から名がつけられたのか、この土地の中学校は、余呉中学とはいわず、「鏡丘中学校」という。
それだけ、余呉湖が見せる風景に土地の人々は、心寄せているのだろう。
その余呉湖にも「江」と同じように、物語があった。
もっと寂しい、暗い物語・・・。
でも余呉湖だからこそ、この物語は作られた・・そんな感じ。
水上勉の「湖の琴」を知っているだろうか?
私は、改めてこの「湖の琴」を読んでみた。
この物語は、昭和43年に初版。佐久間良子が主人公「さく」となって映画化もされた小説である。
この土地のリアルな情景が、文章上に表現されている。
ちょうど、大正から昭和にかけての寂しいお話。
この土地が、昔生糸の産地で(今ではそんな面影は見られないのだが)・・・社会背景も今とはぜんぜん違っている。
ちょうど、私の祖父母が小さかった頃の湖北~。
自由というものが表現できず、この土地の寂しさをそのまま受け入れて、しがらみの中で生活している。
貧富の差・・・そして田舎で育ったゆえのピュアな心が、大人へと成長する中で、変化する・・・しかしその純粋さゆえに選ばざるを得なかった生き方・・・・
小説を読み終え、なんとも複雑な気持ちいっぱいになってしまった。
・・・・・しかし、きれいでもあり・・・。
余呉湖の湖面の色の深さは、この物語を際立たせるたいへん貴重な題材である。
この余呉湖には、「羽衣伝説」が昔から語り継がれている。
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                   天女が羽衣をかけたという柳の木~
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この羽衣伝説・・・天女・・・そして高月の十一面観音・・・
西山という村の生糸と水の不思議・・・
この湖北にはなんともいえぬ、妖艶な何かが漂い、スピリチャリティーというのか・・・精神を揺さぶるものがあるように感じられる。
水上勉が書いたこの小説は、実はノンフィクションだそうだ。
本当に「さく」という人物がこの世にいて、この湖北の田舎で生糸をつむぎ、一生懸命働いていたそうで・・・・
方言といい、土地の名前といい、知っているだけにたいへんリアルな物語である。
大河ドラマ「江」によって湖北に興味を持たれたなら、一度この物語にも目を通してほしい。
「江」のように歴史上に残らぬとも、「さく」という人物がここにちゃんといて、いろんな感情を抱きながら生活していたことに、ちょっぴりでも触れてください。
悲しい、寂しい物語を持つ余呉湖に、今日もきっと寄り添うように、水鳥が鏡面を揺らして泳いでいるだろう。
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by polepole-yururin | 2011-01-16 11:51 | 歴史 | Comments(8)

江のふるさと〜

            「江」の生誕地・・・小谷城付近。東に伊吹山を仰ぐ~。
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琵琶湖・・・真ん中の島は竹生島。 浅井家は、この竹生島に弁天様を祀って信仰されていた。
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姉川・・・浅井長政は、ここで織田信長に敗退してしまった。
この川の水は血の色に真っ赤に染まったのだそうだ。(姉川の合戦)
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浅井長政は、あっけなくこの世を去ってしまったけれど、浅井の血は脈絡と・・・
そして浅井長政の心は、この土地の人々によって語り継がれてきた・・・
雪降る湖北の風景~  
浅井長政も、お市も茶々も、お初もこの風景を見ていたのでしょう~
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明日から大河ドラマ「江」が始まります。
テレビでも「江」の特集が組まれて、連日、出演者の方がテレビに出ていますね〜。
戦国時代を題材にしたドラマ、映画は、織田信長や豊臣秀吉が滋賀をまず拠点にして天下統一を成し遂げているので、そのたびに地元は盛り上がりをみせます。
いままでの撮影はだいたい京都で済まされていたようですが、今年はわざわざ江の生れた小谷城跡での撮影。
険しい山道を時任三郎さん、鈴木ほなみさん、宮沢りえさん、水川あさみさん、上野樹里さんが着物姿で登られて~。
去年の9月のブログでも載せましたが、第一話のシーンで琵琶湖を望んで、時任さんが、鈴木さんに大事な話をされている頃、私は後ろで獅子鍋作りに精を出してました。
明日、あのシーンの後ろに私を感じてみてください~。
時任さん演じる浅井長政は、本当に民思いで、優しい人だったそうです。
近くの小谷小学校では、ちゃんと浅井長政を語り継ぐ授業があるそうです。
浅井長政は亡くなっても、浅井の血は、織田、豊臣を経て、徳川へ繋がり三代将軍家光へと~。
絶え間なく流れていったわけで~。
流れ、繋がりとは、ほんと不思議なものです。
脈絡と続く血の歴史ですね~。
とにかく明日はたいへん悲しいお話だそうです。
ぜひ皆さん明日大河ドラマ「江」を観てください~ね!!
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by polepole-yururin | 2011-01-08 20:00 | 歴史 | Comments(12)

龍馬

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とうとう昨日、高杉晋作が死んだ~。
身分の垣根を越えた騎兵隊を率いて、倒幕の足かせを築いた高杉・・・。
病める身体でありながら、志という強き鎧を着て、戦った・・・。
いつもながら龍馬伝には感動させられる。
過渡期の日本を変革するためのいろんな男たちのあつい思い・・・いろんな立場から、どうすることが日本にとっと、我々にとって最前の策か〜と考える幕末の人達。
毎回いろんな登場人物が、個々の立場で、もがき、苦しみいろんな性を背負っていること、そして、生き方、死に方も、その人が育ってきたようにしか表現できないのだな~としみじみ思う。
しかし個々に魅せられる幕末の志士たちである~。

そんな中でも、あ〜龍馬とは恐ろしき人物である。
日本がどのようにしてこの世界で対等にわたりあるくことができるかということを考え、封建的な徳川の社会を武力ではなく、話し合いで解決していく様ははたいへんあっぱれである。
だれであろうと尻込みせず、へずらわず、そして個々の良さ、特性を見抜き、大いに生かしていく、個々の存在を尊重しながら〜。
犬猿の中だった薩長の中を取り持ち、薩長同盟を締結し、幕府軍を高杉晋作らの騎兵隊とともに追いやり、とうとう大政奉還の達成のために、追われている身でありながら、堂々と土佐藩上士の後藤正次郎に向かっていった。
そして幕府と仲のいい土佐藩が要になって幕府に大政奉還の話を持っていくという話を承諾させ、亀山社中を土佐藩と同等の立場で関わっていくことを約束させた。
言わば武市半平太が、成し遂げられなかった下士の尊厳をこの場において上士に認めさせた〜。
今では平等が当たり前であるが、まだまだ身分制度が厳しく引かれていた日本では想像を絶することだったろう。
予断だが、アメリカのリンカーンが奴隷解放を唱えたこと・・・似てる・・・でもリンカーンも暗殺されたな〜(;_;)
龍馬は、志をもって日本を守るということを一歩一歩いろんな出会いの中で成長して捜し求め、考え、行動していく。
藩を越え、身分を越え、ただの一日本人として生きていく。
龍馬にみんなが惹かれるのは、ぶれない人だから~そして素の人だから〜。
人は生まれた場所、環境に育てられ、人格を形成していく。
そしていろんな思い、志はあっても壁にぶつかり、最初の思いは小さくなってしまったり、その志が、結局は自分の願望を満たすものになってしまったり(認められたいという)して、すり替わっていくものである。
人は地位、名誉なる力にくっしてしまうもので、その力を得てしまうと、守りの人となってしまう。
龍馬は、私利私欲を持たない人だったのか・・・ただ人とのつながり、個々の尊厳は守りつつ、生かしていく人で・・・。
生きていくうえで、そぎ落としていくものはそぎ落とし、ただただ心を持ってつながることを大事にしていくこと・・・そしてぶれない・・・それが龍馬という人。
大事なことを龍馬さんに教えてもらっている~。
龍馬伝・・・やはり面白い♪
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by polepole-yururin | 2010-10-11 09:26 | 歴史 | Comments(2)