ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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囲いの中にいるんだな〜



ウインターコスモス・・奥の花は原種返り。
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講演会が終わった。
たいへん贅沢な講演会だった。
小児科医の山田真先生、京大の藤原辰史さん、ゲド戦記等の翻訳家の清水真砂子さん。
彼等の文章は、模試や教科書で使われ、国語の教材として使われる事があるのだそうだ。
他にも、灰谷健次郎、谷崎潤一郎などなど、今は亡き方々も同じ域だったという。その方達とも生前お出会いしていらっしゃる方々。その方々が、模試等で自分の文章がでている問題を解いてみても、ぜんぜん解けないのだそうだ。
問い:作者の言いたかった事は何か?5つの文章から選びなさい。
どれも思ったよな〜って作者たちは言った。
学生時代、国語の試験。最初好きだった国語が、中学、高校を経て解けなくなった。
なんでだろう・・・と思ったが、そういうことか。
文章に答えはないわな。
特に評論だって、その人の思考であって、その人が正しいとは限らない。そこに答えがある事自体ナンセンスだ。
そんな国語教育っていったい何だろう。
国語は、日本では日本語を学ぶものだ。
なら言葉を使えるようになる。漢字が書けるようになる。文法があるのならそれを少し教わったらいい。本が読める域でいい。でも、答えがあるって文章においてはおかしいのだよな〜。
これが国語を嫌いになる要素だわな。
日本語の良さを楽しんで教師が教えていたなら・・・読書の楽しみを大人が教えていたなら・・・
私の子どもの時、学校では本をどれだけ読んだかの表があって、下にはクラスの名簿が書いてあって、本を読めば丸いシールが貼られて・・・一目瞭然で、読んでる読んでないが解り、いつもトップは決まっていて、トップなら賞状を与えられた。
それが終わりの会に表彰されて・・・これを貰う子も決まっていた。
ずっと競争だ。
ちなみに運動会も順位決められ、一等から3等はえんぴつやノートが貰えた。
人参ぶら下げられた馬だな〜、子供達。こんなふうに私たちは育てられていたんだと、改めて怖くなる。
そんな私が、今文章を書いている訳だが、ということは、いったい教育とは、なんなのかということなのだ。
教育を本当に考えてみよう。
沖縄戦を知らないのはなぜなのか?
明治維新を善と捉えたのはなぜなのか?
英雄って誰なのか?
日本海は韓国側からも日本海なのか?
NHKBSで「英雄たちの選択」という番組がある。
この間、大村益次郎を英雄と言って出ていた。
多数の幕府軍を少数の長州軍が倒した。そのキーパーソンが大村益次郎。
長州藩の村医者の息子・益次郎が新型の武器を使い、打ち勝った訳だ。
新型武器って、アメリカの南北戦争で使われた武器をグラバーが売って、坂本龍馬の亀岡社中が受けおって、後に原発や武器産業の三菱の生みの親・岩崎弥太郎が請け負って、日中戦争、日露戦争でどんどん儲けて、巨大財閥になっていった。
ちなみに、東インド会社は、マセソン社であるし、インドを支配したのは、イギリスという国ではなく、マセソン社を中心とする企業である。マセソン社はいったい何の会社かという事である。
マセソン社の日本支店に使われていたのが、麻生氏のおじいさんの吉田茂の父親である。
益次郎は、大阪の蘭学などを教えていた緒方洪庵の弟子で、そこには、福沢諭吉も日本赤十字社の第一人者も出入りしている。
松下村塾も緒方洪庵の敵塾も私たちには明治の世を作った英雄が排出された塾と言われてきたが、そのお話をよくよく考えればおおお・・・と言う事である。今やそれが松下政経塾ということだろう。
福沢諭吉の事を学問の父のように言われているが、あの頃の新聞、教育を担っていたのが福沢諭吉である。その発言はヘイトスピーチを煽るものだった。民主主義の父のように言うが、福沢の漢文を最後まで読めば、ぜんぜん違う。
完全に西洋の真似を伝えているだけだった。福沢は軍国化(富国強兵、殖産興業を唱え)を推し進めたマスメディアと教育の役目を担った。
また大村益次郎を英雄というが、武器を西洋から取り入れ使った張本人だということ。
この人は、靖国神社に銅像で立っている。
銅像とはいったいなんだろう。
象徴・・・シンボルで、私たちに威嚇する。
それに加担した芸術があるんだ。と・・・
私たちは、何を見て・・・いや何を見させられて生きてきたのか。
そういう事がどんどん見えてきている。これは私だけか?
テレビからは西側諸国の善と中国の悪と、北朝鮮の悪が流れる。そして日本の明治時代がひっきりなしに流れている。
不安を煽る映像がいっぱい。
テレビの映像を消すと、社会は変わる。
私の目の前には秋の花々、鳥の声がしている。大変穏やかである。
朝鮮人やイスラム国の人さえ、隣の人、ただそれだけになる。

我が家の庭にはウインターコスモスが咲いている。クリーム色のかわいいコスモス。
毎年同じ花を咲かしてくれている。
しかし、里山にあるアゴラの庭におなじく、ウインターコスモスを植えたが、二年後には原種返り。道ばたでよく見るひっつき虫のあの花になってる。
何度植えても二年後には元の種に戻る。
他にもアゴラでは、紅葉、モクレン、桃等植えた。しかし二年後に枯れた。
アゴラでは、先生が「枯れてもそのままにしておいて」と言うのでそのまま放置。時々声をかける先生がいる。すると二年後にはその横から木が出てもっと大きな木になる。
この現象は我が家では見られないこと。我が家では枯れたら枯たままである。
我が家は無農薬、有機肥料、もしくは何もしない。けれど町中の自然は、他の空気に同調し、原種返りはしないし、枯れる。
里山のアゴラでは、元の種に戻り、枯れた木は生き返る。
例えいい環境を与えたとしても町中の一部分では、生き物が心地いい循環を作る事が難しい。
ゆえに、一度品種改良された種は元に戻らず、品種改良のままの姿で繰り返し咲く。
人間にいじくられたままの姿で繰り返す。集団の一部分では、集団意識に異変を感じず埋もれてしまうのである。
里山の庭は、自然の一部である。ゆえに、集団意識に埋もれるよりも、自然の偉大なる空気に品種改良の毒さえぬぐい去られる。
元のあなたはこれなんだと、鎧や化粧を剥がされる。
あるいは、自然の偉大さに過保護に育てられたハウス栽培の生き物は育たず、淘汰されるか、枯れる。しかし、少しでも生き残れる生き物には、もののけ姫のデーラダボッチのように息を吹きかけ生かしてくれる。
その粘り強さが、次に生えて出た芽はメキメキと大木に成長する。待つ時間と踏ん張りと素の私。
集団という町中にいれば、まやかしに気づかない日常がくり返されるだけかもしれない。
集団という人間世界から一歩はなれてみれば、繰り返される日常は、人間が作り出した幻想に過ぎないのだと見えてくる。

そう思えば、植物も人間と同じく意識を持ち生きているようだ。
とすれば、植物も動物も空気に支配され、反応しているのである。
奇麗なクリーム色のウインターコスモスは、かわいい。
でも、里山で見る風景をみてみれば、このウインターコスモスの風景さえ、人間が欲のはてに作り出した現象に過ぎなかった。
この光景を維持する事に固執すれば、私たちの未来は、ある一部の人間が作り出した囲いの中の世界となるだろう。
とすれば、英雄はNHKのいう英雄のままであり、政治構造も原発も、医療も、教育も・・・
私は原種返りする方を選択する。
あなたはあなたなんですよ。私は私なんですよ。
誰に与えられた世界ではなく、私の繰り広げる世界で生きていたい。
さ〜、見えてきたね、明日の自分。






ありがとう。









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by polepole-yururin | 2017-10-17 11:18 | 思うこと | Comments(0)