人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

藤原辰史先生のお話 アースデー&四葉連絡会 視点論点

藤原辰史先生のお話 アースデー&四葉連絡会 視点論点_f0215179_15252074.png

琵琶湖 アースデー開催。
12月20日にありました。
上記記事の京大有志の会の藤原辰史さんの講演会もありました。
オーガニックマーケットのその場で戦争を語る会ってほんとうに実体があって良かったです。
戦争を語る時、言葉だけで語っている人がいます。
確かに私たちの日常には戦争はなかったので、想像することはなかなか難しい。
けれど、戦争するとまずどうなるか・・・
藤原辰史さんは戦争研究の中で食について考えていらっしゃいます。
第一次世界大戦、第二次世界大戦で世界第二位の工業大国ドイツがどうなったかと語ります。
ドイツは今の私たちの国、日本と同じように食糧は輸入に頼っていました。
イギリス、アメリカにより食糧をドイツに入れる港を封鎖しました。
輸入を断たれたドイツはどうなったか・・・飢餓で皆は苦しみます。
そこからナチスが行った制作。そしてみんなが何処に連れて行かされたか・・・
その事をオーガニックマーケットで語る藤原さん。
大変リアルなお話です。
滋賀の環境を考える人々、食を考える人々、生き方を考える人々が集まり、オーガニックのお昼を頂きながら藤原さんの話、福島から避難された方のお話、福島から避難された方を支えていらっしゃる原発反対の弁護士の方、教科書問題を考えて行動してくださっている団体の方(今中学の社会科の歴史・公民の教科書はとんでもない事になっています。公民は安倍総理の写真が20ページくらいも載ってる公民の教科書。また憲法はどの国も必要とあらば変えているのに日本だけが改憲していないと言う本文になってる教科書が出来ているのです・・・と。滋賀県はここ4年はこのような教科書は使わないと言う事を決めてもらったそうですが、他府県はどうなのでしょうか・・・)、、山の再生、琵琶湖の環境を考える人たちの話を聞く・・・わかりやすいな〜。
私たちも以前福島の事を知る為にジャーナリストを呼んだ。
静岡の里山の古民家・アゴラに呼んだ。
冷房が効かない自然の風だけのアゴラで福島を考える。
その感覚に近かったアースデー。
いいな〜。
戦争が起きれば、この穏やかな日常が消えるんだよ。
それを意識した一日でした。
是非アースデーの模様をご覧下さい。
藤原辰史さん講演動画
藤原辰史先生のお話 アースデー&四葉連絡会 視点論点_f0215179_15182916.png

藤原辰史先生のお話 アースデー&四葉連絡会 視点論点_f0215179_15204770.png

藤原辰史先生のお話 アースデー&四葉連絡会 視点論点_f0215179_18264617.jpg





四葉連絡会視点論点添付
 

伝えるという抵抗
藤原辰史(京都大学人文科学研究所)


  
9月18日、「採決」としては到底認められない方法で参議院特別委員会を安保法が「通過」し、日をまたいで翌日の参議院本会議で記名投票のすえ、安保法が可決された。「自由と平和のための京大有志の会」は、委員会の「採決」は無効だという立場である。マスコミでは、野党が議長席に「ダイビング」したという反応ばかり注目されるが、議長席でスクラムを組み、野党が議論に入れないようにした自民党と自民党におもねって恥じないマスコミ各社の姑息なやり方の典型である。かえって、この法案の合憲性に対する自信のなさを覆い隠そうとする意図が露呈していて、痛々しい。
 可決された日、つまり19日の早朝、わたしたちは、「あしたのための声明書」と題する文章をホームページに掲載した。

わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。


京都大学西部講堂で開催された「安保法制」反対集会
(9月1日)
9月19日、日本列島は異常事態に突入した。沖縄への押し付け、福島への不誠実。たしかに、日本はずっと異常であった。しかし、今回は、その異常さがあまりにも露骨で、あまりにも恥ずかしく、あまりにも醜く、あまりにも危険であった。憲法を解釈で捻じ曲げるという暴挙が、反対運動する人々への辱めや脅迫を許す社会が、暴力によって辺野古の反対運動を抑えようとする恐怖が、ごく普通にまかり通るような社会になってしまった。戦闘地域で兵站での活動に限る、という政府の説明も、兵站が先に攻撃されたときの対応のことをなおざりにしている。また、アメリカ軍が戦闘状況のなかでつぎつぎに人命を失っているなかで、兵站だけが尻尾を巻いて逃げるということが可能だとは思えない。ホルムズ海峡の機雷除去という仮定も消えた。苦し紛れの首相の答弁も、要領を得ない防衛大臣の答弁も、野党の質問からの脱走であった。NHKも完全に政府に屈した。「平和ボケ」なるものに頭を占拠されているお花畑の連中というのは、戦争中の歴史研究をしている人間からすれば、まさに、安倍首相やマスコミのことにほかならない。
 法律を通したいがために、法律の説明になかった隣国の脅威まで持ち出すような外交センスの皆無。恐ろしいまでに隣国への配慮に欠け、恐ろしいほどまでに生命に対する尊厳に欠けた人間が、日本列島の住民の生命を預かる責任者であることに、私たちは呆然とし、苛立つ。そもそも援護をするアメリカという国がつねに正しい戦争をするのか、自衛隊員の生命をかけるだけの戦争なのか、情報が極限まで限られたなか、それを国会で判断することなど可能なのか。日本列島をいっそう危険にさらすだけのザル法が、与党が議論から逃げるという方法で通る。「日本は民主主義国家です」と恥ずかしくて外国に住む友人にはとてもいえない。
 およそ論理的に物事を説明できないことがすでに国会中継で明らかにされた安倍首相を、しかし、まだ多くの人々が支持している。兵器産業の窓口である防衛装備庁も開設され、戦争への道が舗装された。舗装された道路を武器と戦死者が運ばれる未来は用意されている。政府は、アベノミクス、オリンピック、内閣改造などで、この怒りを鎮めようと躍起になっている。人々はどうぜ忘れる、と彼らはタカをくくっている。
 露骨な暴挙が止まらない状況下で必要なことは、「伝えること」である。
 安保法制が違憲であること、安保法制が穴だらけであること、安倍政権がアメリカのいいなりであることを伝える。しかも、わたしたちが学んだ言葉で、わたしたちが考え出した言葉で、誰かに伝える。重要なのは、言葉を変えていくことだ。受け取った言葉を自分の言葉に置き換えれば、送り手も受け手も忘却しにくい。ツィッターのように「リツィート」を繰り返しても、相手に気持ちまでは伝わらない。政府が見渡すことができないほどの多数の柔らかくてしなやかな表現を、つぎつぎに生み出すことが、いま、わたしたちに求められている。


by polepole-yururin | 2015-12-25 12:01 | 政治(思う事)