ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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聖人のなりすまし

あの有名な陰陽師、安倍清明が使用した「五ボウ星」を「桔梗印」といい、現在清明神社の神紋となっている。
桔梗紋は明智光秀の家紋でもある。
五芒星は、魔除けだと言う。
陰陽師は時の政治と近い所にあった。
ちなみに今パレスチナへの空爆中のイスラエルのシンボルは「六芒星」
宗教の相違、崇高なる宗教と戦争。
キキョウが咲くと必ず思う。思想とシンボル。
魔界へ悪魔は帰ってくれと・・・
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今の社会に正解などないのだと思えるほどに物事は変容している、意図的に。
政治の行方により、事実が多いに変化し、一番大事だとしていた事が空想だとなる。
・・・
現政権は法を言葉の二アンスでどんどん変えてしまっている。
その方向性が戦争である。
戦争がこの世の一番の悪だといい、戦争のない世界、武力なしの話し合いで交渉する世界になったんだと、私達は習った。
近代文明、文化的な人々の暮らしと思想。
そうなったんだと習ったんだ。
けれど、ある人はそれは間違いで、理想で、理想より現実には武器が必要で、力が絶対だといい、武器を他国に輸出し、武力行使容認の解釈変更がどんどん起こっている。
おかしいの一言である。
この解釈がどうして今まで悪だとしていた戦争をも容認するのだ!
パレスチナへの空爆、イラク戦争が今も続く・・・
この世は破壊の空気が漂いすぎている。
第二次世界大戦で人は、地獄を知ったであろうに、それさえ捏造で正義の戦争という人たち。
その発言に精神性さえも含めて神国日本と始まる。
精神性を持ち出して、戦争の肯定をする話はお門違いである。
日本は選ばれし精神性を持ち合わせた国であるという。
その選ばれし精神性の持ち主であるのなら、それこそ、言葉で外交をしっかり行い、武力など使わないとしっかり宣言し続ければいい!
核爆弾をもち、牽制しあう国のあり方が平和を維持する方法なんて第二次世界大戦時代から何も変わらない。
未熟な自分しか見えないエゴの塊である。
その大きなエゴを膨らませている事自体、本来の精神性からは遠のいている事すらわからない。
スピリチャルという言葉があるがこれも精神性という言葉を使うものである。
宗教も同じ。
その宗教やスピリチャルの中で、人は平等であり、救われる存在である、そして隣人を愛す事が最も大事だという。
その隣人は限られた隣人のみを限定している事じたい、精神性から離れた思想であると言える。
一つに皆が従順に従う関係、神と信者、その関係は、尊いものではなく、帝国主義と何ら変わらない。
言葉で操る聖人が今本当にあっちこっちに現れる。
危ない社会ほど現れる。
危うい聖人は、目の前に堂々と現れる。
広告のように現れる。
本当の聖人はわからない。
本当の聖人は上にはいない。同じ目線にいる友である。
限られた富を得るために友を力で破壊する行為は、神の国日本とは言えない!
排除する意識は、もっとも精神性から離れた悪である。
日本の怪しき空気が漂う今、解釈変更し、軍備拡大に予算が投じられる事自体大きなまやかしである。

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追記:―聖人のなりすましと自分がない信者―
阿久悠のテレビドラマがあった。そのドラマで阿久悠の生まれ育った時代背景を話した。
「昭和6年に僕は生まれた。戦時中教えられた教育勅語、終戦後、墨塗りをした。昨日までは正しかった事が今日には悪になった。捕まっていた奴が釈放され、自由にいた人間が捕まった。僕らに価値を問うても僕らには価値観などない。いいも悪いも何もない・・・」といった類いの言葉を吐いた。
かつてこの言葉はNHKのドキュメンタリーで、戦争に行った男たちが同じ事を言っていた事を思い出した。
その言葉を聞くと、翻弄した人たちがいっぱいいたんだ。大変な時代だったんだ。だから阿久悠さんの言うように価値観を持つ事さえ出来ない歪みを得たんだと確かに思う。
けれど・・・
確かに子どものときに学校教育でこれが正しいんだよという事が一日で逆転し、今日からは間違いだと言われればどうしようもないことが起きるだろう。
けれど、ある程度大人は、何が正しいか、正しくないのかわかるはずだ。
その正しさがわからず、国からの言葉で自分の価値観を確立すれば、それは翻弄されたという犠牲者になる。
ただそこまで心を潰し、ロボットのようにお上の言うように動く人間形成をさせられていたのではないかとも言えるのである。
だからアメリカの介入で急に自由を与えられ、今までの統制が崩れたとき、ハッとする。
すると正しさが、国のために人を殺していた事だった。
安易に教育勅語をという意見に対して、本当に考えないといけない。
アメリカの価値観もそうだが、日本からの価値観もちゃんとそれぞれに請負ではなく、どうなのか?と思考できる人であるべきだ。
だから要するに明治以降の教育勅語含めた日本教育は、自分で思考するという意識、自分という意識を作らされずに全体の中の自分を作るための教育だったのだろう。
アメリカからの価値観もおかしいと思えばおかしいと思えばいいものの、世の流れに任せてきた成れの果て。
世はうつろうというが、そのうつろいの最初には発信する何かがあり、その発信に世を持って行ってほしいと願う人が権力者側にあるとしたら、意図的に世はその方向性に流れて行くのである。
それのお助けは広告代理店、メディアである。
結局日本人は戦中戦後も権力に持って行かれているのであるから、阿久悠のいう翻弄された自分とは、自分のない自分であり、外からの支持がないと動けない他人任せの人だったと言っているようなものではないか。
阿久悠の父親は憲兵だった。権力の近くにいた人だから、当然阿久悠に伝える言葉は権力の言う言葉が正である。
真実は変わらない。
変わるのは力社会の掟である。
パレスチナの空爆を悪と言えない人がいたら、それはいつも権力の側にいる人なのだろう。







。。。
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Commented by noreizoko at 2014-07-17 00:14
こんにちは。最近友人がイスラエル勤務になり・・・。イスラエルの事情もある、などと、言う様になっちゃって。救いは、じつは、イスラエル人の中にも抵抗派がいるということでした。
Commented by polepole-yururin at 2014-07-24 21:31
noreizokoさま、遅くなり申し訳ございません・・・
そうですよね、権力が国名を出して動くことが国民すべての意識のようになってしまう。アメリカも日本も個人はちゃんと考えている人がいる。
けれど、権力は、国そのもの様な顔をする。今の危ない動きは、資本を牛耳るひとたちのエゴの戦いで、その意識のない人々がひどいめにあうこの社会に懸念。
テレビからの情報はもはやないですね・・・
by polepole-yururin | 2014-07-13 12:11 | 思うこと | Comments(2)