ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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本当の被害とは・・・

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東電、地下水バイパスで3回目の地下水放出を実行!
合計で2092トンの地下水を海に放出!井戸の一つは基準値超え!
真実を探すブログ様より

原発事故後の現状は上記ブログにもあるようにひどいものである。
この情報がほとんど流れない。
大事な情報が流れず、芸能情報ばかリ流れる。
私達の日常は何処にあるのか?
テレビを見ている人にとっては、テレビの中が日常である。
考えたって仕方ない・・・今明るく生きて行こう!
意識を楽しいことに向けて行こう!
大半の人はそう思っているのだろう。

福島医大の山下医師は、ニコニコしていたら病気にはならないのですね。っとニコニコしてゆっくりした口調で話してた。
これは、以前医療者だった時、ガン治療や病気にならない生き方を提唱して人気のあった産婦人科の医師が言っていた。
私もちょうど体調を崩していたため、この考えに乗っかった。・・・気持ちが楽になった。
サイモント療法という米国からの意識療法というものも10年前、まだ日本に上陸したか否かという時に学んだ。
今やその療法は私の知人が講師を務め、一躍時の人となっているらしい。
確かに西洋医学だけでは、難病、重病等の治療には限界であり、凝り固まった病気への執着は心を疲弊し、なおかつきつい治療をすることで身体も衰弱して行く。
看護師時代、私はたくさんの患者さんを看護し、看取った。
先の見えぬ治療を繰り返し乗り越え、体中メスで切り刻まれても笑っていたおばちゃんを看た。
どうしてここまでガン細胞はメスの傷を乗り越えて、また表層に昇ってくるのか?外科治療が本当に有効なのか?手術した方が衰弱したんじゃないかと思えるほどだった。
ただ患者さんは医師に従うのである。
そんな救われない西洋医療を端で見て来て、私は西洋医療の限界を感じ、自然に代替医療を学んでいた。(医療すべてを批判する訳ではなく、様々な治療を見て来て所々感じた。西洋医学は対症療法故に患者を丸ごと診ない傾向があることも問題としてあるが・・・)
が、その代替医療は、保険診療でないため、お金がかかるという問題点がある。(西洋医学は保険診療でまかなわれているから、低額ですんでいるが、今の政府はこれからこの点に対して自己負担として行く雰囲気を醸し出しているので、国民は、政府が誰のために政治をしているのかをちゃんと見極めないといけない!)
またこの療法もお金と交換するシステム故、純粋な治療とも言えない場合もあり、そこには人の病気に対する不安をうまく利用する場合が多い。さらに精神安定という癒しが含まれる。よってその代替医療は、いわゆるスピリチャル的な要素も関与する。
そのスピリチャルとか、自己啓発とか、様々な精神的介入を提唱するものが一時世の中を一世風靡した。
確かに心の不調は、この精神の安定は大事で、心と身体は一体であり、心の不調は身体の不調と直結する。だから不安要素を持ち合わせているよりも、意識をずらして楽しいことを考えて生きることの方が心の安定ははかれ、ゆったりと過ごせるのである。
嘗て渡辺淳一の「鈍感力」という本が話題になったが、本書には、何も考えず、気にせず、生きる方が幸せであるということのオンパレードだった。
確かに、ぼ〜として生きる方がどうでもいいように思われ、お笑いや作りばなしのドラマを見ていたら時間もあっという間に過ぎて行く。知らぬ間に一日が過ぎ、明日が来るのである。
時間かせぎという意味ではいい方法だ。
がしかし、原発事故後、これと同じ言葉を福島医大の山下医師が使っていた。
え!?これは違うだろう!そう私は思った。
原発事故という起きてはならぬ事故が起きてしまい、放射能汚染が拡散し、今も続いているのに、大丈夫大丈夫と一点張りで、本当のことを言わぬ政府と、県と、医師たち・・・
原因と結果が世の中の法則である。
その原因がそこにあり続けるのに、ないものにして笑ってるといいんだよっていう免疫細胞や言霊の使いよう。
普段は、そんな迷信まがいのことは医療現場では、馬鹿にしてる輩なのに・・・
美味しんぼでの反応もひどい話である。
二日前の朝日新聞にはなまる先生と題して福島の小学校教師が、子どもたちに大丈夫である福島で生きることの大切さを伝えていた。そして美味しんぼの件に対して憤りを感じていると言っていた。
どうなんだろう・・・
私は福島のことを知りたいとあらゆる本を原発事故後読んだ。チェルノブイリ、広島、長崎、マーシャル諸島・・・新聞もずっと大事な記事はとっている。講演会にも行った。福島に行き来しているジャーナリストの方々の話も直接聞いた。
その本の中には、様々な見解があった。
その中で、脱原発を訴えつつも、福島で頑張ろう!という人々がいることに動揺した。
放射能に感受性の高い子どもたちになぜ地産地消の給食を食べさすのだろうか・・・とか、外で遊べない状況になぜ子どもたちをそのままここにおいておくのだろうか・・・とか、・・・
福島大学教授の清水教授の講演はを原発事故半年後に聞いた。本まで買って読んだ。
彼は福島はコミュニティーの崩壊を来してるとデーターとグラフで示し、福島の問題点を挙げていた。
その教授は、福島で頑張って生きていく方法を県民と考えようとしているらしい。
が・・・やはり違和感は消えない。
マーシャル諸島の人々は水爆実験後、3年で帰還をさせられた。すると急に発病が増大した。政府はそれに関して因果関係はないとして住民の話に耳を傾けなかった。
住民たちは決死の覚悟で、自分たちで自主避難したのだ。その行動が他国の人々に伝わり、マーシャルの人々は世界に存在を知らしめ、今も交流は続き、放射能被害への保障問題等に向き合っている。
エートスということばがある。
これは、チェルノブイリ原発事故の時、避難できなかったベラルーシの人々に対して行われた放射能汚染区域でも元気に生きて行こうとするキャンペーン的生活指導という啓蒙と活動である。
そしてあくまでも自力で生きるための道を切り開くための自立支援である。
というと、聞こえはいいが、これは酷な話だと私は思う。
私は、教育ほど怖いものはないと最近嫌というほど感じている。
政治や社会に意識しろと言いつつ、テレビや新聞等からは大事なことは流れず、流行というものをドンドン流し続けた業界である。消費と情報が一緒になって私達を攪乱する。
原発もクリーンネルギーとなって良いものになった。芸能人、文化人、スポーツ選手も良いものになった。
専門家という名のついた人物は正しい人となった。
自己責任と言う言葉が二十年ほど前から使われるようになって(アメリカから上陸)すべて生きる上では自分の責任であるというもっともらしい言葉であるが、ひどい目にあった場合、すべて自己責任という言葉でくくる前に、責任を問うべき人は自分以外にいるものである。
自己責任という言葉は権力者側から作られた言葉である。
今、福島の問題で風評被害という言葉を前に出して、福島は大丈夫だとする考えは、確かに今まで通りの生活をする上で、原発事故もちゃんと収束し、汚染水も垂れ流さず、福島原発に向かう原発労働者も必要なくなった場合なら使える言葉である。
でも、上記有名人が何を根拠に大丈夫だというのか・・・超名人の存在は広告に過ぎない。
偶々見つけた福島の人のブログ。(エートスプロジェクト)
そこには福島の動きが書かれている。
ちょっと読んでみてほしい。
福島を考えるということは、ノリでもないし、今だけの経済効果でもないし、もっと根本的な原発を国策とした政府や電力会社への保障追求と原因除去を早期にすすめ、因果関係をちゃんと認めていき、福島も日本国民も安全という安心のもと暮らせる社会体制を作ることである。
「鈍感力」は自分のためにあらず、権力者の為のありがたい国民性である。
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by polepole-yururin | 2014-06-03 23:35 | 思うこと | Comments(0)