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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

沖縄を知る

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お正月、沖縄についての本を何冊か読んだ。
図書館で沖縄と安保条約について検索したら、子ども図書のところの沖縄シリーズの本が出て来たのでとりあえず読んでみた。
沖縄は、略奪の歴史が続く。
昔沖縄は、琉球王国と呼ばれ、単一国家だった。
中国、朝鮮と盛んに貿易をやり、武器を持たない豊かな国であった。
しかし薩摩班が、いきなり琉球王国に武力で攻め入って琉球王国を奪ってしまった。
貿易の権利を奪い、豊かさも奪い、そして民には重い年貢をかして、琉球の人たちを苦しめた。
1903年大阪の「内国勧業博覧会」で「人類館」の展示対象にされ差別的支配を受け、県外への出稼ぎ、移住、飢餓をしのぐための「ソテツ地獄」などの苦しみを体験。
1931年はじまった「15年戦争」末期の太平洋戦争では、日本の本土を守るための「捨て石」とされ、県民総動員体勢のもと大きな犠牲を払わされた。住民の「集団自決」…強制集団自決と呼ぶべきものだった。
沖縄は、第二次世界大戦では、唯一の国土戦が行われた。
アメリカ兵は、沖縄に上陸し、家々を焼き付くした。沖縄にはガマがたくさんあり、そのガマに人々は隠れ、雨風をしのいだ。当然、病院も家もすべてガマの中であった。時には手榴弾が投げ込まれ、ガマもろとも爆破された。
逃げまとうても逃げる事が出来ない状況と「集団自決」の教育・・・それが沖縄戦だった。
そして終戦・・・
戦後も島の至る所に広大な軍事基地を建設、金網が張りめぐらされた。そして住民たちは強制的に土地、家を取り上げられた。

戦後アメリカと日本の歴史を振り返ると・・・
第二次世界大戦後、日本を占領したアメリカは、日本に武器をすてさせた。
1949年8月ソ連が原爆実験に成功
同年10月中華人民共和国成立

1950年6月 朝鮮戦争
そして武器を捨てさせられた日本だったが日本国憲法成立の3年後の実態は・・・
憲法で定めた「軍備の放棄」を破る「日本再軍備」の道を進む事となる。
朝鮮戦争が始まった2か月後、警察予備隊結成→1952年保安隊→1954年自衛隊軍隊の形整える。
アメリカ軍を日本に無期限駐留させること。朝鮮戦争では日本はアメリカを支持する事で、「朝鮮特需」と呼ばれる好景気にわいた。

1945年9月2日、ベトナムは日本支配から解放され、ホーチミンに率いる「ベトナム民主主義共和国」北ベトナムが独立宣言した。しかしフランスが支配に乗り出し、ベトナムは戦争に巻き込まれる。インドシナ戦争勃発。
アメリカはフランスを支持し、フランスが撤退した後フランス支配時代を率いた南ベトナム・ベトナム共和国を支援。

1951年9月サンフランシスコで「サンフランシスコ講和条約」と「日米安全保障条約」この条約には、中国は招かれず、ソ連は、内容に不満で参加せず、調印され1960年「日米安全保障条約」第6条では、「日本国の安全と極東のへ平和および安全に寄与するためアメリカ海軍・陸軍、空軍が日本国で施設や区域を使用する事を許される」軍事基地を各地に置くこととなる。

1952年、サンフランシスコ講和条約、吉田茂(麻生副総理の祖父)発効。日本に対する連合軍の軍事占領が終了。
しかし条約3条により沖縄・奄美大島を含北緯29度以南の南西諸島・小笠原諸島は、引き続きアメリカ軍が占領下のまま。取られた土地に土地代を払われるも、九坪コーラ1本分。

1953年「土地収用例」が公布、地主が倹約を拒否してもアメリカは一方的に土地を使用できるという内容。土地の強制使用の始まり・・・
ブルドーザーでめちゃくちゃ。泣き叫ぶ人々に銃剣を突きつけ、焼き払っていく。

1964年、アメリカは「8月4日アメリカ海軍の駆逐艦マドックがトンキン湾で北ベトナム側から魚雷攻撃を受けた」という事を理由にジョンソン大統領に戦時大権を与え、ベトナム戦争に本格的介入。しかし「ペンタゴン・ペーパーズ」という政府の機密文書を手に入れ、自作自演だった事が明らかになった。いわゆる侵略戦争である。沖縄のアメリカ軍基地から爆撃機が飛び立ち、沖縄の山地では海兵隊や特殊部隊の訓練、射爆場での演習、弾薬の補給、伊江島では核兵器の塚訓練行われた。

1965年、佐藤栄作(安倍総理の祖父・岸信介と兄弟)首相が戦後初めて沖縄を訪れた。

1972年沖縄が本土に返還。沖縄の施政権は日本に返還。しかし日米間で調印された沖縄返還協定には「核兵器の撤去」については何の取り決めもなく、軍事基地についても「本土なみ」とはほど遠い見通しであった。
沖縄返還協定は「アメリカが琉球諸島と大東諸島についてサンフランシスコ条約第三条によって得たすべての権利と利益を放棄し、日本からこれらの領域と住民に対する行政・立法・司法上すべての権利を行使する機能と責任を引き受ける」とし、1)施政権の日本への返還、2)これらの地域への日米安保条約適用、3)米軍に寄る基地の使用許可、4)アメリカに対する日本国民の請求権の放棄、5)アメリカの統治下で行われた裁判の有効性、6)琉球電力公社・琉球水道公社の財産の日本政府への移転など取り決め、国民の反対を押し切り強行可決された。

沖縄返還にあたっては、「核兵器は作らず、持たず、持ち込ませず」という佐藤首相が小笠原返還時に示した非核三原則が適応され、沖縄返還後の1974年、ノーベル平和賞受賞した。しかし核兵器に関して、日米間で密約が交わされていた事が明らかになり、非核三原則は批判をかわすための約束に過ぎないと批判された。

1995年9月4日、沖縄は50年間耐えてきた悲しみ、怒り、屈辱を一気に吹き出す事件、沖縄県北部の町でアメリカ兵による少女暴行事件が起きた。
同年10月21日「少女暴行事件を糾弾し、地位協定見直しを要求する県民総決起大会」開かれる。普天間高校三年・仲村清子さん演説
「もうヘリコプターの音はうんざりです。私はごく普通の高校三年生です。たいした事は言えないと思いますが、ただ思った事を率直に伝えますので聞いてください。私は戦争が嫌いです。人を殺すための道具が自分の身の回りにあるのは嫌いです。次世代を担う私たち高校生や大学生、若者のひとりひとりが、いやな事を口にして行動していく事が大事だと思います。若い世代には新しい沖縄をスタートさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願っています。私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」
戦争に繋がる基地のない、平和な沖縄を願う人々の思いは、「県民投票実現」と繋がっていく。

1996年6月21日、沖縄県議会臨時本会議は「日米地位協定の見直し及び、基地の整理・縮小に関する県民投票条例案」を賛成多数で可決。

以上のような歴史がずっと今も続く沖縄である。
この沖縄を、「一フィーと運動」と称して活動し続けてきた方がいる。
沖縄出身の中村文子さんだ。
中村さんは、戦中に一時沖縄を離れ、戦争が終わる頃に沖縄に戻った。
変わり果てた沖縄と戦中の人々の様子を観て、そして戦後もアメリカ統治の中での苦しみを体験した。
そしてアメリカ兵が撮ったカラーの映像がある事を知り、本当の沖縄戦を知る足がかりとして、そのフイルムをアメリカから買い取る運動を受け継いだ人だ。
戦争の無惨さ、アメリカの沖縄に対する非人道的な行為を見続け、忘れ去られた・・・いや無視される沖縄の本当を伝え続ける人だった。
中村文子さんの自宅には、日本国憲法第九条全文の掛け軸がかけてあった。
日本国憲法第九条とは、戦争を放棄、軍隊の設備を持つ事もやめ、何処の国とも戦争をしないという交戦権を認めない内容です。
『日本国民は正義と秩序を貴重とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』
中村さんは、これを読むたびに戦争で亡くなった方たちを思い出します。
「九条の戦争放棄と国際平和主義は、多くの愛する親、兄弟、友人血であがなわれたものです。その犠牲にたっているからこそ、私たちは、この平和の理念を大切にしていかなければならないのです」と。
中村文子さんは、2001年 冬「地の塩賞」受賞します。
「地の塩」とはキリストが弟子たちに向かって「あなたたちは地の塩だ」と言ったところから来ています。塩は量が少なくても料理においしい味をつけるとともに、腐るのを防ぐ力を持っています。「あたなたちは、この地上の世の中で、塩のような役割をはたしなさい」といういみなのでしょう。
あごらという玄関紙主催するもので、平和活動や女性地位向上、人権問題などの活動を長い間つづけてきた女性に贈られる賞。

中村文子さんは、子どもたちにこの日を忘れないでと伝えます。
1945年4月1日アメリカ軍が沖縄本島に上陸した日。
1972年5月15日沖縄が本土に復帰した日
1945年6月23日沖縄戦が終わった日
1945年8月15日日本の終戦記念日
1944年10月10日沖縄全島が大空襲を受けた日


しかし今も世界の戦場へ向けて、沖縄の基地からも最新兵器を積んだ軍機や兵士が飛び立っている。
沖縄基地は、アメリカの大事な世界への軍事拠点である。
沖縄基地をなくすことは、しいては世界平和への道なのかもしれない。

1月19日、辺野古への基地建設を争点にして市長選が行われた。
選挙前のメディアからの報道は、自民党推薦の末松文信氏の姿がガンガン流れ、現職の稲嶺 進氏は映像が少なかった・・・
しかし現職の稲嶺 進氏が当選。
お金では屈しない本当の沖縄魂を見た。
日本は沖縄抜きでは語れない。
沖縄基地は、世界の戦場へ向けて、最新兵器を積んだ軍機や兵士が飛び立っているのだから・・・
by polepole-yururin | 2014-01-26 14:28