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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

こんなときこそ小さな心遣いを〜

テレビニュースや時代の変革に対して、大変テンションが下がっている今日この頃。
あ〜あ・・・と嘆きながらも気を取り直して朝のコーヒーを飲み、前に進もうと!とまたアゴラ子ども美術工場へ行って庭作りに勤しもうと意気込んでいた矢先。
被災地・女川から電話があった。
女川町立保育所の前所長さんのE先生だった。
「山のしどけをY先生と採りにいったので、〇〇さんに贈りました。食べてくださいね。」って。
「え〜!ありがとうございます!わざわざ本当にお手間入りをありがとうございます。」
そしてその夜、宅急便が我が家にやってきた。
大きな箱に、濡れた新聞紙に丁寧に包まれた採れたての山菜のしどけが、たくさん入っていた。
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あ〜先生ありがとうございました。
私にとって、このしどけは、思い出深い、大変意味あるものだった。
私は、3・11が起こり、一ヶ月が経った被災地へ知人と支援に行った。
一番被害の大きかった石巻へ向かい、そこのボランティアセンターで子どもの支援している青年に出会い、いち早く子どもサポートに力を注いでいらっしゃった女川第一保育所を、支援の拠点として初めて宮城県牡鹿郡女川町へ足を運んだ。
そこで保育所の先生方と出会い、保育所の先生たちは避難所運営者として動いてらっしゃった。
そして保育所の先生へと子どもたちへと避難所の人たちへ小さいながらも自分たちの支援をしようとたびたび通う事とした。以下2011年の震災の項参照・・・
2011年5月、支援に行った私たちに避難所の保育所の先生は、避難所の方々への食事を作る傍ら私たちにもごちそうしてくださった。
震災後二ヶ月の頃、まだまだ女川は自衛隊しか入れない状態で、食事も服も様々なものが支援物資でまかなわれていた。
そういう場所で、第一保育所では、支援物資のおにぎりとかのできあいのものだけでなく、自分たちで食事を作ろうと奮闘されていた。温かさをモットウに手を加えられた食事を避難所の方へ提供されていた。
スパゲティーとおひたし。
「このおひたしは、しどけといいます。ここら辺の山で採れる山菜です。今日朝採ってきたんです。
わたすらは、この山菜をよく食べるんです。この時期になるとね・・・。」とE先生は言った。
E先生はこの震災で17人の親戚を亡くされた。しかし当時は民生委員をされていたので、自分ごとよりお年寄りの避難の支援や遺体確認をする家族に毎回寄り添い、一緒に確認する作業を手伝っていらっしゃった。当然前保育所所長だったので、現保育士所長のサポートも担っていらっしゃった。
先生は震災前は、食育で子どもたちやお年寄りに食の大切さを教えてらっしゃった。
そういう先生が、もうそろそろしどけの頃だと思い、山に入り避難所の方と私たちにわざわざしどけを採りにいってくださり、旬のものを食べさせてくださった。
何も無くなった・・・無くなる以上に無惨な破壊された女川の街で、私が先生が採ってくださった採れたての山菜を口にするとは思わなかった。
おいしかったと同時に何とも言えぬ深い暖かみをいただいたしどけの味だった。
一口一口噛み締めて大事に食した事を思い出す。
それからも先生との交流は続き、一年後そのやりとりの中で知り得た先生たちの思いを書き記した。
そして今年2月に「はしら雲」という本にして出版した。といっても自費出版なので、まとめたと言った方が的確かもしれない。
その本を女川へも贈った。
E先生は丁重に喜んでくださった。
本にまとめるにあたり、女川の先生の心の奥底に潜む悲しみは、想像を超えるもので、公務員という立場や責任といういう立場で、単純に物事を書き記すには行かず、本当に難しい作業だった。
結ばれた人間関係も複雑な出来事故に、様々な人の思いに揺さぶられた。
そして傍観する事の方が、人って傷つかないんだな〜って事も感じた。
傍観して他人事にして放置して生きる事の容易さと、それに引き換え一生懸命自分ごととして思考し動く事の難しさ・・・
そのあり方に、この社会の縮図とも言うべきものを少し垣間みた。
それでもやはり私は動く事を選択し今にある。
そして今日、女川からしどけが贈られてきました。
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早々にお礼の電話を入れ、料理方法を聞き、熱湯に入れて20〜40秒、そして塩揉みして、おひたしにして食卓に並べた。
ほろ苦いアシタバのような風味がふわ〜っと口の中に広がった。
ほろ苦さが、私の震災への思いと同化した。
そしてあの時いただいたしどけの思いをまた深く噛み締め、女川を思った。
このしどけの優しさを私は忘れない。
この世の中が、どんなに矛盾だらけで、歪まれようと、丁寧に生きる人の中には、人を思う深い優しさがあり、思い、想像し、行動する事が、どれだけ人の心の隅々にまで浸透するか・・・
上等な菓子折のように買って贈る贈答品のやり取りが社交辞令になり、事を単純化し、ありがとうの形までもがマーケティングに乗っかり、戦力となる。
人の心までもが売り買いされる世の中である。
そんな中で、たとえ小さくとも、他を思う心遣いのやり取りは、本当に大事な事なんだと改めて思う。
そのしどけをもってアゴラへ行った。
一緒にあの時しどけを口にしたもうひとりだから。
するとアゴラの先生は、二三本のしどけの枝をビンに突き刺した。
「つくといいな〜♩ついたらまた山に植えよう。女川を思いまた山の再生だね!」って先生は言った。
そしてなにげに「はしら雲」の本の横に置いた。
「はしら雲」の第四章に載せてあるE先生を思い、また本を読み返した。
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*この本には書けなかった先生の事、そして他にも・・・
先生はたくさん遺体を目の当たりにした。手がなく、足がなく、顔も変形し、あるべきところにあるものがない・・・無惨な状態をひたすら震災後見続け、避難所運営された先生だったんだってことを・・・
by polepole-yururin | 2013-05-30 09:51 | 震災