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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

水仙が教えてくれた

遅咲きの水仙
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クロッカスが咲いていた!びっくり。
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クリスマスローズ。関西で10年前に買ったもの。
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八重のクリスマスローズも今年は咲きそう♩
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我が家の庭は今こんな感じ。
毎年、11月には咲き出している水仙が、今年は先週にやっと咲き出して・・・。
本来は水仙って春を届ける花だったから、今冬に咲き出す方が、感情的にはうれしくって、いいのだが・・・。
気候がおかしくなったのか?どうなんだろうと草花に話しかける。
社会の変化をちゃんと教えてくれるのは、やはり昔からいた住人であろうか。
植物、虫、鳥・・・生き物の存在がどのように変化しているのか?どんな表情を見せているのか?・・・と意識し始めて、そういえば・・・といつもと違う事に気づく。
すると社会はあまりにも違う方向にいってしまっている事に気づくわけである。(原爆投下や第五福竜丸の悲劇を知りつつも、今、原発が存在するように)
先々週、アゴラ子ども美術工場で、子どもたちの影絵劇が上演された。
光のアーティスト高橋匡太さんも、忙しいところ時間を割いてわざわざ見に来てくださった。
ちなみに今高橋さんは、 新潟県の越後妻有で、光の祭典を開催している。
雪の中に光の花が咲き乱れている。その光景はたいへん幻想的でいいのだという。
一度は見てみたいな〜。
話は元にもどり・・・影絵劇「ドングリ山の生き物とアゴラ」は私が書いた話。
毎年、子どもたちがシナリオを書くのだけれど、今年は先生が倒れたり、時間がなかったり、書くよ!って言う子がいなかったから、私が書く事になった。
創造性を欠いた大人の私には奇想天外な話は思いつかず、結局本当にあったアゴラのお話を書く事にした。
里山に生き物たちと人間の共存、そして16年の月日が里を変えてしまった。豊かさを得た人間。その反面動物たちが里に現れる。作物被害。絶滅する生き物。動物の死。どんどん変わる里に疑問をもつ子どもたち。その疑問から行動するアゴラの子どもたち。そしていつしか戻る理想の里山。桃源郷。
そんな話を書いてみた。90パーセントはノンフィクション。
子どもたちは、そのお話を読んで、切り絵を始めた。
そしてアゴラ周辺の里の情景を形づかせた。
忙しい子どもたちは充分な練習する間もなかったが、影絵を無事上演させた。
上演を終えた子ども達の表情は、たいへん誇らしげだった。
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こんな光景はあまり見なくなった。
学校でもフェスティバルとか言って、個人個人の発表会はあっても、題材は福祉のことや世界遺産の事をまとめた事を発表するお決まりのもの。
子どもたちに社会の事を否応なしに意識してもらうようにつとめる学校側。
もっとラフにもっと芸術的な感じの表現活動があってもいいものなのに・・・
劇とかお誕生日会とか昔は学校であったのにな〜。
この劇を見に来た親御さんたちもいい感じ。
そんな時、「社会的ですね・・・」ってある方が言ったのを聞いた。
この「ドングリ山の生き物とアゴラ」という話が社会的だと・・・
社会的っていったいどういう意味で使うのか?
社会的って多分、社会に一言申す的なニアンスでとられているのだろうが、訳が分からない。
昔あるアーティストの作品展を見に行った時、3・11が起きた直後の作品展で、ひび割れたカウンターの上に皿を置いて廃油を入れ、その中にオブラートの花を咲かせていた。
その時そのアーティストに「3・11を意識されたんですね。じゃ〜この古いガスコンロを使って作品を作られても良かったですね」っていったら、「僕は社会派じゃないんでね。」って苦笑いされた。
私は、その社会派とか、社会的とかという言葉で線引きする感覚に違和感を覚えた。
私には何処にも社会的や社会派などという言葉は存在しない。
3・11も自然破壊も私の前に起こった出来事であり、日常である。
だから当たり前に意識もするし、当たり前にある事だ。
その当たり前を当たり前に感じる事が日常である。
震災があって震災を考える事とガーデニングをして花の咲きが遅いと思う事は同じある。自動車を走らせ道ばたにたぬきが死んでいるのを見た時、あ〜あ〜、何で死んだんだろう?かわいそうだと思うこと、魚釣りにいって魚が捕れなくなった。なぜだろう・・・て思う事は日常の趣味の領域から自然に思う事だろう。
それをあえて、文章にしたり、形にする事は当たり前の行為であるのに、なぜ、社会派、社会的などという言葉で敬遠するのだろう?
社会の出来事に当たり前に反応し、当たり前にものを申すことが出来なくなっているのか?
誰かが監視しているのか?
私は人は本当はもっと自由に、もっと当たり前に表現し語っていい存在だと思うのだけど、政治家なのか、財界なのか、学校なのか、会社なのか、近所なのか・・・当たり前さえもわからなくなっている社会を形成しすぎているのかもしれない。
「枠」好きの日本人は得に・・・。
生きにくいという言葉は「枠」にとらわれた自分の呪縛であるように感じる。
もっと純粋に子どもたちのように生きられたなら、社会派とか社会的という言葉の意味さえかわるのだろうに〜。
今日は大変風が強い。
日本海側は雪なのかもしれない。
まだまだ水仙の花も雪の中かな〜。

本出版しました!
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私、ゆるりんが本を自費出版しました。
その本、『[はしら雲]震災と女川の人たち』の編集を担当したのが、KAMEの翼のチームメンバーであり、アゴラ子ども美術工場の卒業生の市川君です。そして若者・市川君の巣立ちが始まりました!主婦だったゆるりんは、エッセイストとして、学生だった市川君は編集者として第一歩を踏み出しました。今思いが形になりました。
是非、この本を読んでください。

 〜出版にあたって〜
2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲いました。
地震、津波、原発事故・・・こんなに衝撃的な出来事が私たちの目の前に起きました。そしてKAMEの翼プロジェクトチームは、支援に動き出しました。支援場所を被災地・女川と決め、2011年に5回、2012年1回女川へ行きました。
そこで出会った方々の声は、私たちにとって衝撃的な事実でした。テレビ、新聞等で伝えられないあのときの思いを知ってほしい・・・そんな気持ちからこの『「はしら雲] 震災と女川の人たち』を執筆しました。挿絵をたくさん入れて子どもたちにもわかりやすく伝えようとした本です。語り継ぐ大事な歴史の一部として記憶に残していただけましたら幸いです。 

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1冊  1200円
お問い合わせ:自立舎 
℡:0537−27−1428 メール:agoraart@thn.ne.jp

印刷部数限られていますので、本屋さん等には置いていません。自立舎までお願いします。

by polepole-yururin | 2013-02-24 12:09 | 思うこと