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ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin

うれしい知らせ・・・新しい進路へ

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うれしい知らせが舞い込んできた。
アゴラ子ども美術工場に通う○君の高校合格の電話だった。
「合格しました!」
○君は、たいへんやさしい子どもさんだ。
私に修学旅行のお土産に交通安全のお守りを買ってきてくれた。うれしい知らせ・・・新しい進路へ_f0215179_15274735.jpg
アゴラの先生が事故で倒れた時、すごく心配して病院に何度か来てくれた。
身体中傷だらけの先生の手を持って自分の頬にあてて「痛いね〜痛いね〜」って同調していた。
時には身体をさすり、時には手紙をかき、花を持ってきてくれた。
小学1年生からアゴラに通い、アゴラが大事な場所だった。
その○君もそろそろステージが切り替わる時となった。
今子どもたちの状況はどうなっているのか知っていますか?
就学時検診、保健所等での成長発達の検診は、正常を見るだけでなく、少しでも異常が見つかったら、養護学校へ通うように進められる。たとえ小学校へ行く事になったとしても、中学、高校と区切りごとでその都度行政や学校は養護学校を進められる。
養護学校が悪い訳ではない。養護学校へ行けばもっと優しく子どもたちに接してくれる先生がいて、その先生もたくさんいて、その子の様子に応じて対応してくれる。
優しい社会になったよね!と一般的にはそう思ってしまう。
しかし少しでも障害だと言われた子と親はどんな気持ちでいると思いますか?
養護学校へいった子どもたちは、いずれ作業所等に就職していきます。
決まりきった道が用意されています。
それが自立だというように。
その事を世間は知っていますか?
私たちは平等に自由を持つ権利が許されています。
生まれながらにして・・・。
でもほんとうに自由ってどういう事なのか・・・
養護学校へ行った子どもたちの就職、進学ってどういう広がりがあるのかと考えた事がありますか?
普通中学、高校へ行った子どもたちに夢を持て!といわれていても、養護学校へ行った子どもたちへ同じように大人は夢を持て!自由に生きろ!って思っているのでしょうか?
学校進学はたいへん大きな壁となります。
社会が作った道に載せる事があたかもいいように思えるのですが、その大なり小なり障害という言葉で区切られた子どもたちにとってその道は、決められた、固定された、限局された道であるように思うのです。
幼稚園の時に、話さないから発達障害だと宣告された。自閉症だし、みんなと同じように成長は出来ないよと宣告された。ちがうな〜この子は。。。
そんな事を言われた子や親たちはどんな気持ちで日々を過ごしているのでしょうか。
誰がどんな権限でその子の未来を予言するのでしょうか。
障害がある子どもたちに対して、ちがうという目を持ってその子を見る。
おおめに見る・・・そういう感じで社会は動いているような気がします。
だから将来の夢に対してもある程度でいい…そんな感じで制限して子どもたちを見ているような気がします。
でもちがうんだ!ということを私はアゴラ子ども美術工場で知りました。
アゴラ子ども美術工場には、16年間いろんな子がいました。
東大、京大、国立大学等へ行った子、染色関係へ行った子、大学で歴史を学び編集者を夢見途中の子、美大へ行った子、様々です。
いわゆる優秀という子たちもいます。障害と言われた子どももいます。
でもその障害は、いつしか障害ではなくなり、その子の大事な個性であり、その子の持つ可能性へと変わります。
その子たちを変化させていくことは、何か・・・
それはその子を大事に思うこと。その子の可能性を信じる事。その子の道を決めない事。そして変化を見落とさないこと。その子の表現をたとえ小さなものであっても認める事。そしてその子を優しく包む事。
そうやってこられた先生の様子を見てきました。うれしい知らせ・・・新しい進路へ_f0215179_15303552.jpg
先生のやってこられた事は、目立つ事ではありません。子どもだましのようなちんけな物だと捨てられる物も拾って大事にする事って、この社会のスピードや重要視される事の中には、意味のない物だと言われてしまう事でしょう。
合理主義の社会にとってはとくに・・・
消されてしまうアナログの世界がアゴラ子ども美術工場にはいっぱいあります。
でもアナログの世界の中にこそ、子どもたちが生き生きと自分から生まれる表現を形にしていきます。安心する場所から可能性は生まれるのです。
お母さんのおなかの中、羊水に包まれていた頃、私たち大人も子どもたちもみんな多分安心していたはずです。
あなたがいいよ、大事だよってみんな思っていたはずです。
そしてこの心地よさを知っているはずです。
その心地よさが社会の中では、消えていってしまうのです。
区別という枠で・・・
みんな同じ土俵の上でそれぞれの子どもたちの成長を見届けたい!
あなたの存在は無限大!
主婦という区切りをもらった大人の私でさえも、個として自分のやる事を認められる事って大変うれしく、そこに存在意義を感じるものです。
大人になった私たちは、いやというほど感じているはずです、区別される事を・・・。
その大人が今の子どもたちの可能性を見ないでどうするのか・・・。
区別せず、存在意義をみんなが同じように感じられたなら、この社会はもう少し、居心地よくなるのかもしれません。
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「明日大丈夫かな?」ってずっと心配していた○君。
大好きなワンピースもお預けだった○君。
心配する○君に私は、ずっと鞄の中に持ち歩いていたアベンチュリーというクリスタルを手渡した。
○君の手にそっと置いて、○君がクリスタルを握る手を私の両手で包んだ。
「大丈夫、大丈夫!安心しなね。拝んどいたる。大丈夫。大丈夫。」
何が大丈夫かわからずとも、「大丈夫」と唱え、○君に微笑む。
帰り際、アゴラの先生は○君を大きくハグした。そして「大丈夫だ。大丈夫だ、○」と頭をなでた。
○君は、「ありがとう」っていって帰っていった。
次の日の午後・・・
「先生!高校合格!」○君からの電話あり。
本当に良かった。4月からまた○君の新しい挑戦が始まる。
守られた空間からまた新しい学校の先生や生徒との交わり、電車で通い、今までとはちがう社会を歩く。
そこにちゃんと優しさが存在していることを願い、アゴラで○君の笑顔を心待ちにしていよう。
by polepole-yururin | 2013-01-29 15:21 | 子供たち