ゆるりんのポレポレ日記 yururinp.exblog.jp

つれづれなるままに~日頃出会うこと、思うことを綴っています。


by polepole-yururin
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行き詰まった社会

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昨日小児科へお母さんのケアボランティアに行ってきた。
昨日も重い現状を抱えた方のアロママッサージ。で大体はお話をすることが主である。
ほんと大変重い現実を日々抱え、小児科病棟で子供のそばで添い寝する。
簡易ベットもしくは添い寝、食事はお母さんの分はいつも下の売店で買う。
生活空間はずっと子供のベット横。
そんなことが1ヶ月、2ヶ月・・・半年・・一年・・・続く。
だいたいお母さんが子供のそばにいることが常。
たまに変わってもらうことはあっても、ほとんどお母さん。
それがお母さんの勤めであるし、わが子かわいさの母性である。
そんなお母さんは、自分を責める・・・
自分の妊娠中が悪かったか・・・自分の普段の生活が子供に負担をかけてしまったか・・・
人は病気になると、自分を振り返ったり、生き方を思い返す、そして反省し、光を見つけようとする。
ただ話す相手もなく、一人のマイナスな思いの堂々巡りを繰り返していては、お母さんの心は救われない。
さてどうするべきか・・・
病院の存在が最近どうあるべきなのか本当に考える。
確かに命を救っていただく、治療の場が病院で、その治療は医師が判断し、指示する。
その指示に従い、看護師が点滴、投薬を行い、薬剤師が薬を調合し、検査技師、レントゲン技師などがその治療のバックアップをする。
治療とはあくまでも医師の指示された治療中心に行われることであり、それが病院の存在である。
が、・・・・
病気は、治療だけで治癒しているか?
私は看護学校でナイチンゲール誓詞を読み上げ、戴帽式に望んだ。
看護学校では、ナイチンゲールのいうことが看護の役割だと学んだ。
あくまでも患者さんのそばで環境を整えることだと学んだ。
そして死の勉強会があって、患者さんがもし死を目の前にしたとき、あなたは患者さんに何ができるか、何をもって看護をするか?と問われた。
「患者さんの只中に入ること」を強く教えられた。自分が患者さんだったら・・・
また「狼に育てられた少年」という本を題材に、いかに人間は環境でいろんなことが左右されることを学んだ。
「環境を整える」・・・看護者側の一番の大事なことだと教えられた。
実習用紙に患者さんの看護を項目別にして計画を立て看護実習に望んだ。
患者さんの痛みの軽減、思いの吐き出し、声かけ、・・・身体をさすり、食事の介助をし、体を清潔に保ち・・・
患者さんに付き添ってADL拡大に向けてかかわっていくことが看護だった。
しかし現実はあくまでも医師の介助。看護師の仕事は指示を遂行することに追われ、またさまざまな書類が医療現場では増えて、パソコン画面に向き合う医療者が増えていった。
いま、身体をふいてくれるのも、看護助手さんで、患者さんを検査等に連れて行くのも看護助手さんである。
看護師さんは、大丈夫ですか?と体温計を持ってきてくれて血圧を測ってくれるぐらいのときと点滴付け替えのときに話すくらいか・・・
何かが違っている医療現場。。。
看護師は、看護してこそ看護師なのに・・・看護は目で手で、そして言葉で守り・・・寄り添うことだと字でも言っている。
やさしさが基本だろうに・・・
環境を整えることは一斉掃除をするベットケアだけじゃないのよ・・・言葉を持って寄り添う姿勢が大事なのだと・・・
ナイチンゲールは患者さんを自分ごとのように想像し、看護を追及したのだろう。
その想像はやさしさに他ならない。
食べるものをお母さんに出してあげてほしいのにそれもさまざまな病院システムがあるようで簡単には意見を遂行されない。
こうだから・・・決まりだから・・・システムだから・・・予断だけれど義捐金の配布についてもそう・・・国や公的な施設は書類当の段取りや制約があり、臨機応変に状況判断してもらえず、ぜんぜんシステムが作動しない。
今考えたことが1年、2年後にようやく形になる。そんなときにはもう遅い・・・意味がない。
そんな疑問を持つ医療者はいるだろうに、いつの間にか組織の人なってしまい、仕方ない・・・難しい・・・それはそうなんですけれども・・・と。
デジタル社会は便利としているようで、制約をもっとつくる。人間も同じく融通の利かない物となっていく。
マニュアル化した社会は、統一ということでは大変大事だけれど、そこに広がりを見せない・・・

病気はあくまでも患者側のものである。医療者はあくまでも補佐である。が・・・
最近は医療もサービス業となって経営の成り立ちを基本とする。(それは戦後の医療制度・保険制度のゆがみやいろんな付けが回ってきているためで・・・)
そういう感じで今のようなサービスをうける側とする側で区切ってしまう社会では、ますますやさしさは抜け落ちるだろう。(棒読みの言葉のサービスや利益という意味では、昔よりはしゃんとしているようにみえるけれど・・)
意味あってその職業についているのなら、その職業の本当の意味を思考しながら働くことが大事なんだろうな・・・
医者の意味。看護師の意味。政治家の意味。保育者の意味。教師の意味。
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今日もあいにく雨である。
けれど庭がしっとり濡れている。
木々が喜び、呼吸しているようだ。
ふとブログを書きながら窓越しのバラに目をやると、鮮やかなバラの葉っぱの表情に心揺れた。
緑、黄色、茶、黄土・・さまざまなやさしい色目に興奮する。
周りの灰色の空気と一枚一枚の葉の表情・・・うまく溶け合い私に問いかける。
きれいだな~って思った。優しい心にしてくれた。
今日の空をしみじみ見ている方がこの世の中にたくさんいますことを祈って~。
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Commented by tama_ajisai at 2012-01-21 12:38
そうなんですよね~。
看護助手さんは患者の体を触る機会が多いので
看護師さんより患者の様態を知っているんですよね。
看護師さんにその日の様子を聞くと「私は今入ったところなので・・・」って
言いながらその時間にしなければいけない仕事に走り回ってる。
重病の人に優先順位がいくのはわかるけど???

患者や家族は医療行為に期待を寄せるのはもちろんですが
入院中安心して過ごせることも重要だと思うのですよ。
ましてやお子さんに付き添うお母さんたちの不安たるや想像を絶します。
そんな方達への心のケアをなさっているpolepoleさんは素晴らしいなぁ。
いつも、行動的なボランティア精神に頭が下がる思いです。
ご自身のお体も気をつけて下さいね(^^
Commented by polepole-yururin at 2012-01-21 21:35
tama ajisaiさま、ありがとうございます。
tama ajisaiさまもご経験ありますか?そう、看護師さんこないんですね。私が入院しているときも・・・看護師さんに聞くとそういうことなんですね。でもおかしいですよね。看護師さんも、看護学校時代の志と現場のギャップに行き場をなくしている子達がいっぱいですが、難しいようです。
でも私もどうすることもできないもどかしさや私がやることがいつか何かの変容につながるといいのですが、もし私がやめてしまえば、それだけで終わり・・という具合ならやっている意味がないので、今後のかかわり方を思案しています。
お母さんたちの救いはどこにあるのでしょうかね・・・
Commented by ひらり at 2012-01-22 16:52 x
看護という字は、目と手と言う字。看護計画やら看護記録やら、看護研究やら委員会やら。看護師の仕事はいっぱいある。本当は、ベッドサイドの看護が一番大切なのに。主役は患者さんなのに。
Commented by polepole-yururin at 2012-01-23 09:03
ひらりさまおはようございます。
そうでしょ・・・ほんと患者様から離れたら看護じゃないよね・・・看護師は看護する人なんだから・・地位向上を求めていくことは、医師の介助で追われた業務に対して大事な働きかけかもしれないけれど・・・。
看護研究は、看護がいかに患者さんの治癒にプラスに転じていることにかかわっていかをデーターをもって追求していくことなんだけれど、患者は個人であって、いくらデーターで上がっても患者の置かれている立場は違うだから看護研究を主におくことが本当にいいものかどうか・・・特に大学病院は研究施設だから、患者は患者であるというより、モニターのようだ・・
ちゃんとしたことは一人ひとりの細やかな思いやりから来ることで、そこが看護師の本当の基本だろうと・・・優しい人が看護師さんだと昔はみんなそう思っていたものね。
Commented by ohana-karenn at 2012-01-29 10:04
yururin>
うん、私もそう思うよ。
Commented by polepole-yururin at 2012-01-30 07:56
ひらりさんそういう医療者がふえるといいね。
by polepole-yururin | 2012-01-21 09:39 | 思うこと | Comments(6)