2011年 09月 24日
台風一過
台風一過・・・小学校の大きな古木が根こそぎ倒されていた・・・
浜松に上陸した台風15号。
こんなにすごい台風は静岡に来て初めてなんじゃないだろうか。
風は、我が家のミモザを倒し、公園の古い桜の木を根こそぎなぎ倒した。
3時ごろ、停電し全ての電気が止まった。
停電で、電話は不通。
トイレは水が流れず、冷凍庫の中身が心配だ。
すぐに友人に携帯電話で停電の有無を確認した。
どうやら近所は全て停電で、台風が通り過ぎたのを確認して、息子といっしょに停電の状態を車で見に行った。
近所の公園の古い大きな木々は倒れ、枝は折れ、商店街の道沿いの大きな木々も倒れていた。
その大木の撤去作業にもう既に来ているのには、すばやい市の対応に感心した。
信号はとまり、国道へ行く信号も消えていて、横断するのが恐々だった。
とにかくガソリンを満タンにしようとガソリンスタンドに寄ったが、3件店を閉めていた。
電気で稼動するようで休業を余儀なくされていた。
結局我が家の近所のガソリンスタンドがやっていて、ガソリンをゲットできた。
灯台下暗しとはこういうことかな・・・
このガソリンスタンドは、自家発電と思いきや、停電しなかったんだそうだ。
ガソリンは満タン!車で携帯を充電しようと、家電、車製品のお店に向かったが、何処も停電で休業。
そのうち暗闇に中でも営業しているホームセンターを見つけ、充電器を手に入れることが出来た。
ホームセンター内にはひとりひとり従業員が懐中電灯で照らしてくれて案内してくださった。
夕飯時も停電は続き、アロマろうそくを2個灯して、お味噌汁と、冷凍庫の中の食材をとりあえず、料理した。
ごはんも久しぶりに鍋で炊いた。
我が家はオール電化にしていないので、こういうときガスが使えてよかったと思う。
そうこうしているうちに電気が回復した。
ほっとした反面、このろうそくの火に安堵し、静かなやさしい夜を今日は過ごせたのに・・・と複雑だった。
電気がついたのは、我が家のほんの周りだけだった。
用事でコンビニに行ったら、コンビニはごった返していた。
パン、おにぎりは全て完売、たくさん方が買出しに来ていた。
町の明かりは消えていて、こんな暗い町を見たのは、昭和天皇が崩御された頃と、被災地の夜ぐらいだな~と思った。
友人宅はまだ明かりはともらず、暗闇で料理をしているといっていたので、我が家で料理して冷凍庫の食材を我が家の冷凍庫に引き受けた。
ちょうど、その日の前まで被災地・女川に行っていて、女川の方から当時の状況を聞いた矢先だった。
4日まで食べるものはなかった・・・笹かまぼこだけをひとり1枚食べて飢えをしのいだ。
明かりもなく、暖もなく・・・そんな様子を聞いてきた。
だからこんな台風の被害なんてどうてことないよな~とつくづく思った。
一夜明けて、1日前に行っていた女川が大変なことになっていると、テレビで知った。
ゲ!先生達仮設にようやくは入れたと安堵されていたのに・・・
すぐに連絡をとって、先生達の安否確認は出来たものの、孤立化された仮設に取り残された先生もいえば、仮設に帰れず、知り合いのところに泊まった先生もいらっしゃったことを知った。
女川の先生方に、台風を案じられて見送られた我々だったが、次の日には先生方が大変なことになっていたことに、言葉を失った。
災害と共存するってどういうことなんだろう。
海からにげても・・・山から押し寄せてきた・・・
こういうことは、昔からあったんだろう・・本当は。
ここだけは安心だということろは、ほんとこの世にはないんだ・・・だから共存し、今を大事に生きていくことでしかないんだな・・・。
台風一過・・・次の日は息子の小学校最後の運動会。
この日ももう来ない・・・
おいしいお弁当でした。
浜松に上陸した台風15号。
こんなにすごい台風は静岡に来て初めてなんじゃないだろうか。
風は、我が家のミモザを倒し、公園の古い桜の木を根こそぎなぎ倒した。
3時ごろ、停電し全ての電気が止まった。
停電で、電話は不通。
トイレは水が流れず、冷凍庫の中身が心配だ。
すぐに友人に携帯電話で停電の有無を確認した。
どうやら近所は全て停電で、台風が通り過ぎたのを確認して、息子といっしょに停電の状態を車で見に行った。
近所の公園の古い大きな木々は倒れ、枝は折れ、商店街の道沿いの大きな木々も倒れていた。
その大木の撤去作業にもう既に来ているのには、すばやい市の対応に感心した。
信号はとまり、国道へ行く信号も消えていて、横断するのが恐々だった。
とにかくガソリンを満タンにしようとガソリンスタンドに寄ったが、3件店を閉めていた。
電気で稼動するようで休業を余儀なくされていた。
結局我が家の近所のガソリンスタンドがやっていて、ガソリンをゲットできた。
灯台下暗しとはこういうことかな・・・
このガソリンスタンドは、自家発電と思いきや、停電しなかったんだそうだ。
ガソリンは満タン!車で携帯を充電しようと、家電、車製品のお店に向かったが、何処も停電で休業。
そのうち暗闇に中でも営業しているホームセンターを見つけ、充電器を手に入れることが出来た。
ホームセンター内にはひとりひとり従業員が懐中電灯で照らしてくれて案内してくださった。
夕飯時も停電は続き、アロマろうそくを2個灯して、お味噌汁と、冷凍庫の中の食材をとりあえず、料理した。
ごはんも久しぶりに鍋で炊いた。
我が家はオール電化にしていないので、こういうときガスが使えてよかったと思う。
そうこうしているうちに電気が回復した。
ほっとした反面、このろうそくの火に安堵し、静かなやさしい夜を今日は過ごせたのに・・・と複雑だった。
電気がついたのは、我が家のほんの周りだけだった。
用事でコンビニに行ったら、コンビニはごった返していた。
パン、おにぎりは全て完売、たくさん方が買出しに来ていた。
町の明かりは消えていて、こんな暗い町を見たのは、昭和天皇が崩御された頃と、被災地の夜ぐらいだな~と思った。
友人宅はまだ明かりはともらず、暗闇で料理をしているといっていたので、我が家で料理して冷凍庫の食材を我が家の冷凍庫に引き受けた。
ちょうど、その日の前まで被災地・女川に行っていて、女川の方から当時の状況を聞いた矢先だった。
4日まで食べるものはなかった・・・笹かまぼこだけをひとり1枚食べて飢えをしのいだ。
明かりもなく、暖もなく・・・そんな様子を聞いてきた。
だからこんな台風の被害なんてどうてことないよな~とつくづく思った。
一夜明けて、1日前に行っていた女川が大変なことになっていると、テレビで知った。
ゲ!先生達仮設にようやくは入れたと安堵されていたのに・・・
すぐに連絡をとって、先生達の安否確認は出来たものの、孤立化された仮設に取り残された先生もいえば、仮設に帰れず、知り合いのところに泊まった先生もいらっしゃったことを知った。
女川の先生方に、台風を案じられて見送られた我々だったが、次の日には先生方が大変なことになっていたことに、言葉を失った。
災害と共存するってどういうことなんだろう。
海からにげても・・・山から押し寄せてきた・・・
こういうことは、昔からあったんだろう・・本当は。
ここだけは安心だということろは、ほんとこの世にはないんだ・・・だから共存し、今を大事に生きていくことでしかないんだな・・・。
台風一過・・・次の日は息子の小学校最後の運動会。
この日ももう来ない・・・
おいしいお弁当でした。
by polepole-yururin
| 2011-09-24 08:33
| 出来事